重大な影響

子育て神話はまた、科学的追究の進歩を遅らせてしまったと言います。有用な調査報告の代わりに、無意味な研究、親の溜息と子どものあくびとの相関関係を示すような退屈な研究が増殖しました。研究者たちが注目すべきこと、彼らが求めるべき答えは次のようなものであるはずだと言います。どうしたらクラスの子どもたちを学校肯定派と学校反対派という相反する集団に分裂させずに保つことができるのでしょうか。この分裂を防いで子どもたちをまとめあげ、やる気のある状態に保つことに成功した教師、学校、文化は、いかなる方法を用いたのでしょうか。もともと不利な性格特性をもっている子が、その特性を悪化させるのを防ぐ方法とは何なのでしょうか。攻撃的な子どもが、子ども時代には同輩から拒絶され、思春期には、同じ経験をもつ他の子どもたちと集うようになってますます攻撃的になるという悪循環に飲みこまれてしまったら、それを止めるにはどうすればいいのでしょうか。子ども集団の規範を改善させるために、はたらきかける方法はあるのでしょうか。より大きな文化がティーンエイジャーの集団の規範にすこぶる有害な作用を引き起こすのを防く方法はあるのでしょうか。何人揃えば集団が形成されるのでしょうか。

ハリスは、こうした質問に答えることはしてきませんでした。そのための研究はいまだかつて行なわれたことがないからです。

子育て神話によると、親は子どもがどう育つかに重大な影響を及ぼすと考えます。そう、「重大な影響を」です。私たちはここかしこでのIQのことを話題にするわけでも、100項目にも及ぶ質問に一つでも肯定的な解答を増やすことを話題にするわけでもないのです。私たちの話題とは、子どもが人気者になるかそれとも友だちをもたない者になるのか、大学を卒業するか高校を中退するか、神経質になるかそれとも十分に適応できるか、処女でいられるかそれとも妊娠するか、だと言うのです。人がどう行動するか、どれだけ望ましい生活が送れるかを左右する心理的特徴、自分から見ても、また自分と生活や仕事をともにする人々から見ても目につく特徴のことを話題にするのです。それは、一生あなたにつきまとう特徴です。そういうふうに人は考えます。親は子どもに大きく影響する、しかも一生残るような影響を、と。

しかし仮に親が影響を及ぼすことがあっても、その内容は子ども一人一人によって異なるはずだとハリスは言います。なぜなら子ども同士で共有する遺伝子による類似性を取り除くと、同じ親に育てられた子どもでもそっくりにはならないからです。同じ家庭で育てられた二人の養子は別々の家庭で育てられた二人の養子とその性格的な類似性は変わらないのです。同じ家庭で育てられた一卵性双生児は、別々の家庭で育てられた一卵性双生児とその類似性は変わらないのです。家庭はそこで育つ子どもたちに一体どのような作用を及ぼしているのでしょうか。それが何であれ、それは子どもたちをより良心的にするわけでも、社交性を低下させるわけでも、攻撃性を強めるわけでも、不安を取り除くわけでも、幸せな結婚生活を送る可能性を高めてくれるわけでもありません。少なくとも家庭は子どもたち全員に対してこれらを施しているわけではないのです。

重大な影響” への5件のコメント

  1. ハリス女史が「研究者たちが注目すべきこと、彼らが求めるべき答え」として提起した課題はすべて子どもたち同士の関わりの中にあります。よってその「答え」は子ども集団の研究によってのみ得られるものだということがわかります。親と子との関係、あるいは先生と生徒、乳幼児という「子育て神話」が大前提としてきた関係では得られない回答を求めるための「質問に答えることはしてきませんでした。そのための研究はいまだかつて行なわれたことがないから」。私たちが真に子どもを理解しようとするならば、そして「子育て神話」から解放されようとするのであれば、子どもたち同士の関係性をこれからとことん追求していかなければならないということがわかります。「子育て神話」の呪縛から解き放たれると、温かく応答的に子どもに関わったり、子どもたちの行動に共感したり、あるいは彼らの関係が生み出す新しいものに気づいたりできるのかもしれません。極端なことを言えば「親はなくても子は育つ」くらいの気持ちを私たち大人は持っていてもいいような気さえしてきます、人類の未来のために。

  2. 料理を作るように、レシピを見ながら子育てを進めてもその通りにならないのは、相手が食材ではなく人間だからですね。白紙でない、相手は意志をもった人間であり、生きようという意欲に満ち溢れた存在なのですから、大人の都合や方法論を押し付けたり、不安や心配を押し付けたりすれば、それは嫌がって当然なのだと思えてきます。大人もまた子どものその気持ちに気付くことが出来れば変わっていけるものなのかもわかりませんが、大人というのは子どもより身勝手で不器用で、そして頭が硬く出来上がってしまっていたりします。子どもから学びながら自身を省みて、大人も少しずつ肩の荷をおろしていく練習をしていくといいのかもわかりません。

  3. 「親は子どもに大きく影響する」と認識している世の中が大切にしていることというのは、きっと、親になるということで自分を律して理想の親になろうとしたり、子どもへの影響を考えて社会的な行動をとろうと自然に行いが変化していくことを期待しているかもしれません。親という存在はそういう存在なのだという刷り込みがあるのでしょう。しかし、そういうしがらみが親を疲弊させ、育児社会を混乱に陥らせているという本末転倒な事態は避けていかなくてはいけません。「親が影響を及ぼすことがあっても、その内容は子ども一人一人によって異なる」という見方は大切にしたいです。つまり、影響のされる主体は子どもであって、その内容を受け入れるかは子ども次第であるというスタンスを持つことによって、子どもを一人の人格者であるとより認識できるかもしれないとも思いました。

  4. 〝仮に親が影響を及ぼすことがあっても、その内容は子ども一人一人によって異なるはずだ〟ということで、親の影響が子ども全員に重大な影響を与えるというわけではなく、子どもによって異なるということなんですね。そのような視点で捉えていくと、子どもが主体となって考えることができる、つまり、子どもといえども社会の一員であり、人格を持った存在であることを認識できやすいのではないかと思います。また、白紙で生まれてくるわけではない、ということにもつながっていくのではないかと思いました。

  5. 人間とはその時々に必要な能力を付け進化を繰り返して来ました。紫外線の強い地域では肌を黒く染め、寒冷地ではエネルギー消費を減らすため体を大きくし、そして子供をより安全に育てるために集団を作りました。しかし今は核家族化が進み、孤食などが問題になってしまっています。これは果たして社会を作るなかでの進化と呼べるのでしょうか。昔はあったであろうお隣さんとの交流は減り、名前も知らないことが当たり前となった現状は私には退化としか思えません。日本の社会のあり方はこれからどう進化、または退化していくのでしょうか。

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