自我の形成

もう一つ別の状況では、転居も一策として考えるべきかもしれないとハリスは言います。その状况とは、子どもがいつもいじめの標的にされてしまっている場合だと言います。もし自分の子どもが地元の序列では底辺どまりで、上の者たちが皆彼をいじめていたら、そこから連れ出してあげたいと思うでしょう。いじめられている子がいじめを受けるのは、一つには皆がその子はいじめられやすいと思っているからであり、こうした事柄に関する仲間集団の意識を変えることはなかなかたいへんだとハリスは言います。転居は普通、子どもたちが仲間集団とそこでの地位を失うことになるため、子どもにとっては不利となります。ところが仲間集団が彼の人生を惨めにさせ、そこでの地位がないも同然であれば、失うものはほとんどありません。

最後の選択肢はホームスクーリングだと言います。ホームスクーリングが一番効果を発揮するのは年齢の近い兄弟がいる、もしくは二家族以上の子どもがいる場合だとハリスは言います。最近ではホームスクーリングの子どもたちも地域主催のスポーツやクラブ活動に参加するケースが多いため、ほかの子どもたちとも出会う機会に恵まれ、活動の範囲が広がります。子どもが仲間社会から完全に孤立しなければ、ホームスクーリングも悪くはないと言うのです。

育児アドバイザーに言わせると、自尊心は親が子どもに与えることのできる最も尊いものなのだそうです。「子どもの自我の形成にもっとも大きく、もっとも重大にかかわっているのが親なのだ」と《ニューヨーク・タイムズ》の紙面で断言するのは科学ライターのジェイン・プロディだそうです。親がその形成へのかかわりを立派に務め上げることができれば、子どもには十分な自尊心が植えつけられると言うのです。それができなければ、子どもは自滅へと一直線です。「自尊心に欠けることであまりに多くの若者が落伍していく」と医師リアナ・クラークは《JAMA》に掲載されたエッセイの中で嘆いていたそうです。「女の子はセックスに興じて母になる。男の子は麻薬や銃に手を出す。こうした悲劇はすべて彼らの自信のなさに原因がある」

これらのライターたちは結果と原因をはき違えているとハリスは考えています。成功をおさめた人は自尊心が高い傾向にあるからと言って、自尊心の高さが成功をもたらすわけではないと言うのです。証拠はむしろその逆を示唆していると言います。最近の研究では子どもたちの自尊心を高める試みを行ないましたが、結果、彼らの学業成績に改善をもたらすことはなかったと報告されているそうです。かといって自尊心の高さが思春期の子どもたちを飲酒や麻薬、早すぎる性体験から守ってくれるわけでもないのです。気分よく感じられることが重要だと提唱する権威者たちが勧めるアプローチはむしろ逆効果なのかもしれないと危惧しているのです。

私も、日本人の自尊心が低いことが話題になり、様々なところで自尊心を高めることが必要だと叫ばれていたことに疑問を持っていました。確かに自分に自信を持ち、自分が好きになることは大切なことですが、それは、ポジティブな考え方をすることに通じることであり、他人からやたらとほめてつく心ではない気がしているのです。ハリスも同様なことを考えているようです。

自我の形成” への5件のコメント

  1. 自尊心や自己肯定感。子どもに必要なマインドとして学者の多くが口にします。そして、その影響を受けた実践者も口にします。日本人の子どもたちは自尊心や自己肯定感が低いとされます。確かに私たちが知っているデータがそのことを示します。かつてフランスでは、若者の自己肯定感の低さが国の将来にとって由々しいものであるとされました。しかし、そのずっと下に日本の若者たちのデータがありました。そこで日本の将来は危ういと思う大人も多かったでしょう。しかし、日本人は仮にできていたとしても「それほどでも」とか「もっとがんばります」という人種です。自信のなさ=できない、ということではありません。謙虚さや出しゃばらなさが日本社会の中でスムーズに生きていく仕方かもしれません。そうして謙虚な集団を形成し、しかし実際はできる人達の集まりですから、実に有能な集団を構築していくことに繋がるのでしょう。自尊心や自己肯定感、あるいは自己有用感、などと言わなくても、子どもたちはその時々でそれぞれに思いながら行動していくのでしょう。それでいいと思います。

  2. 現代では、自尊心はなくてはならないものとなっていますが、他者が判断するものではなく、自分で決める要素であることはなんとなく理解できます。自分を犠牲にせず、自分は大切な存在であると自分で把握できるためには、何かに貢献しているという経験、また、自分そのままでいるということが自然にできていることが重要だと感じました。そして、「子どもたちの自尊心を高める試みを行ないましたが、結果、彼らの学業成績に改善をもたらすことはなかった」ともあり、自尊心と学業のつながりがないというのも面白いですね。やはり、何かを知りたいやりたい経験したいという好奇心が大切なのでしょうか。「自尊心」が重要視されていることは、大人が一方的にそうすることによって自分の何かを守ろうとしているようにも感じます。

  3. 「仲間集団が彼の人生を惨めにさせ、そこでの地位がないも同然であれば、失うものはほとんどありません。」学校へ行って欲しいという親の願いを背負う子どもは本当に大変だと思います。もしそこに良好な仲間集団がない場合に、その場所はその子にとってどのような場所であるか、それこそ親であるならわかろうものです。そこへ行けというのは、一体何なのでしょう。また、そういった仲間集団について大人は影響を殆ど持たないということもわかってきました。すると、クラスの先生に言ったところで意味がないということでしょう。それなのに他の場所を求めない、というのは、最早愛情でも何でもないような気がしてしまいます。経済力のなさが引っ越しを躊躇わせるのか、何にしても未熟な親をもった子どもの幸せを願わずにはいられません。

  4. 日本人は自尊心が低いのでしょうか。日本人の文化としてへりくだる、下手に出る、前に出ないというようなものがあります。それは外国の方からすると物足りなさというか、不思議さを感じさせるものかもしれません。そして、そのような大人が多くいる環境で日々を過ごしている子どもたちにもその文化が伝染していくことでしょう。その環境下で子どもたちは、その時その時にいろんなことを考えながら暮らしているのだと思います。それでいいのではないかと思います。

  5. いじめられている子を転居により救いだすというのは大いに賛成ですが、難しいのはいじめといじりの違いでしょうか。持ち物を捨てられる、身体的に危険な身に合わされるというようなはっきりとしたいじめならまだしも、言葉によるもの、軽くこづくといったものなど、その子の捉え方次第でいじめにもいじりにもなるようなものは判断に困ると思います。もしいじられていると自覚している子から地位を奪い取ってしまえばその子の社会性などは培われずらくなってしまうのでしょうか

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