素晴らしい高校

ミッドウッド高の生徒の多くは移民の子どもたちです。彼らは親が信じている教育の重要性を仲間集団にもちこみ、手放そうとはしません。おそらく仲間たちの親の多くも同じことを信じているに違いありません。ミッドウッドの生徒たちは学校是認派と学校嫌い派とに分裂しません。ハリスは、このような学校がなぜうまくいくのか、より念入りな研究を期待したいと言います。

態度が感染することには悪い面もあるとハリスは言います。好ましくない態度も好ましい態度同様に感染しやすいからです。自分の子どもが「悪い仲間」とかかわり、それが子どもに累を及ぼすことを心配する親は多いようです。大概その心配は正しいのですが、自分の子どもは影響を受ける側ばかりではなく、影響を与える側にもなりうるものです。いずれにしても、非行に走る傾向のある子どもは、同じ傾向をもつ他の子どもたちと一緒になるとますます問題を起こす回数が増えます。子どもたちはこのような友だちと一緒にならない方が幸せだろうと言います。

残念ながら、子どもの友人関係に対して親がもつ影響力は子どもが成長するにつれてしぼんでいきます。子どもが幼い頃には、子どもの友だち選びは、少なくとも学校にいるとき以外は、ほぼ親の掌中にあります。ところが、10歳にもなると、その見こみはいっさい断たれてしまうと言うのです。この年齢以上の子どもに友だちと会うことを禁じれば、またはその子が親からするとかかわってほしくないような友だちに惹かれるようであれば、隠れてその友だちと会い、そのことで嘘をつく可能性も十分にあると言います。そしてまもなく嘘をつくことがすっかり習慣化してしまうだろうと言うのです。もっともすでに習慣化されていなければの話ですが。

ハリスは、あなたにできることは限られていると言います。暖房機に鎖で縛りつけることは勧めませんが、そうしたくなる気持ちは十分理解できると言います。その子を転校させるか、引っ越すか。そのいずれも解決策としては完璧とは言いがたいと言います。かかわってほしくない友だちに惹かれるような子どもであれば、学校や住む住宅街を変えてもさほど好転しないかもしれないと言います。彼女はそこでも昔の友人に劣らず悪い友たちを、新たに求めるかもしれないからです。

とはいえ、場所を変えることにより奇跡を起こせるときもあるとハリスは言います。昔ハリスは、ワープロソフト利用者のためのサポートラインであるワードパーフェクト・ヘルプラインである女性と興味深い会話を交わしたことがあるそうです。この女性はユタ州プロヴォに在住し、彼女には十代から三十代前半まで11人の子どもがいました。ハリスが子どもの発達に関する教科書の執筆に当時携わっていることを知ると、彼女は下から二番目の子どもの話をはじめました。他の子は全員立派に育っているのに、その子だけは悪い仲間とつき合うようになり、高校を中退したいとまでもらすようになったというのです。「彼をその場から連れ去ったんだけど、あまりのすばやさに彼は何が何だかわからなかったみたいよ」と彼女はハリスに話しました。彼女は彼を同州の辺鄙な小さな町に住む長女のところへ行かせたそうです。厳しい処置ではありましたが、効果はあったそうです。この少年は高校を卒業し、大学への進学を目指しているそうです。

素晴らしい高校” への7件のコメント

  1. 子どもの存在を丸ごと信じていても、親としてはやはり、子がどんな仲間と一緒にいるのか、心配がないと言えば嘘になります。「影響を受ける側ばかりではなく、影響を与える側にもなりうる」から。私は「仲間」の存在がおそらく親以上に重要であるだろう年頃の子を持って、今という時をリアルに生きています。「・・・ほぼ親の掌中にあります。ところが、10歳にもなると、その見こみはいっさい断たれてしまう」、このことは本当です。幸い、子の友だち関係で困った経験はしていないのですが、中高のお子さんを持つ親御さんたちは子どものことで何かと心配事があるでしょう。ブログの最後に紹介されていた方の対処法は結果として英断でした。「あまりのすばやさに」、親のこうした行動が吉と出たのでしょう。ためらわずに行動に移せる勇気、この勇気を持てるように日頃訓練だけは積んでおきたいものです。転ばぬ先の杖、は必要ですね。

  2. 今朝も長男は保育園時代の友だちと登校していきました。次男を自転車に乗せて後ろから追いかけて行くと、登校する輪の中にいた小学校で初めて出会ったであろう友だちに話し掛けている場面を目にすることが出来ました。そうして友だちの輪を拡げていっているのだろう長男の小学校での生活を想像すると、どうしても応援したくなりますね。
    「ハリスは、あなたにできることは限られていると言います。」しかしながら親に出来ることは限られていて、家ではあんなに笑顔の長男も学校生活の中で色々な場面に直面していくことでしょう。また、親の希望に沿わない仲間集団と波長が合ってしまうこともあるかもわかりません。朝と夜のわずかな時間ですが子どもとの時間を大切にしたいと改めて思うと同時に、家を子どもが心地良く過ごすことのできる場所であり続けられるようにしていきたいと思いました。

  3. 子どもたちが「行きたい」と思う学校は、どのような学校なのでしょうか。もちろん、子どもと親の意見は異なっているかもしれませんが、自分そのものが認められ、良い仲間集団の一員であると感じられることが重要ではないかと感じました。移民国家の教育には非常に興味があります。文化や風土など、根っからの異なりをどのように埋め、または生かしながら集団を形成しているのか、多様性をどのように保障してそれぞれの好奇心をどう刺激しているのか。移民国家でもあるカナダのフリースクールでは、勉強を教えない学校もありました。多様な社会や子どもたちに合わせて、学校も多様化している中、学校を選択する親の質が求められていることが伝わってきます。

  4. 親として子どものことを思い、いろんな対策を講じることにこれからもなっていくだろうと思いますが〝自分の子どもは影響を受ける側ばかりではなく、影響を与える側にもなりうるもの〟ということに文章を読み、改めて気づかされました。
    小学生になった我が子ははじめは登校班という学校から決められた仲間と小学生に歩いて行っていましたが、それが終わると今度は、やはり心配ですので親同士で話し、連れて行ってもらうように頼んで近くの上級生と一緒に歩いて行ってました。そして、最近はクラスで仲の良くなった友だちが朝から迎えに来てくれ、一緒に行っています。そんな感じでだんだんと親の影響力はしぼんでいくのでしょう。そして、それが自然なんですね。

  5. 偏差値の高い学校というのは在籍している教員や管理職のの基本的なレベルが高いように感じます。勉強を教える能力はもちろん、それ以外の頭のよさを高めてくれるような取り組みを多く目にします。それに比べ、偏差値の低い学校は頭ごなしに怒鳴り抑えつけるという方法をとる教員が多いように感じます。抑えつけるというのは教育にしても保育にしてもとても簡単で、誰にでもできるしなにより楽です。ただ、偏差値の低い学校が改革しようと優良な学校のやり方を真似しようとも学生も教員も未熟ですからいきなり簡単にうまくいくはずはなく結局抑えつけ、鬱憤が溜まり爆発するという悪循環が起こるんですね。

  6. なるほど、人が人に影響するというのは決していいことだけではないのですね。反対に悪いほうに作用することも言えるというのは考えるとあり得ることです。また、そういった子どもをかえるために、大きく環境を変えたというのは驚くべきことですが、ところ変われば人も変わりますし、子どもを取り囲む環境も変わります。それによって内容に出てくる少年が変わっていったというのであれば、それだけ友だちとの関係というものは大きく子どもに影響を及ぼすことになっていくのですね。最近では道徳の教科化が取り上げられることが多いですが、道徳を教えるにしても、それは教科として伝える事よりも、子どもを取り囲む教育環境や地域、社会自体がしっかりと子どもたちを支えるようになっていかなければ、結果として大きな成果は得られないのだと思います。とても考えさせられますし、今の自園の環境のあり方もしっかりと見つめていかなければいけませんね。

  7. 好ましくない態度も好ましい態度同様に感染しやすいとありましたが、確かにそうだと思います。付き合う仲間、集団の規範は行動や考え方に影響することは実体験からも感じるところがあり、自分にその意識がなくとも好ましくない態度が感染してしまうこともあるはずです。「残念ながら、子どもの友人関係に対して親がもつ影響力は子どもが成長するにつれてしぼんでいきます」とあるように、たとえどんなに親が策を講じたとしても、どんな仲間と関わりを持つかは子ども自身の判断となります。ただ、幼少期より志が高く、好ましい態度をする仲間集団の中で過ごせば、物事の良し悪しのふんべつがつき、非行にはしるような判断をすることもないのではないでしょうか。それは仲間関係や集団が態度の質を育てるということでもあり、その点を意識しながら子ども集団のあり方について注目していきたいと思います。

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