家庭環境の影響

家庭はそこで育つ子どもたちに一体どのような作用を及ぼしているのでしょうか。このことを発見し、発見したことにより苦境に立たされることになったのが行動遺伝学者たちです。というのも彼らも他の皆と同様に、家庭環境が重要だと考えていたからです。そこで案出したのが、「家庭の中で大きな影響力をもっているのはそこに住む子ども同士の相違点である」という考え方です。きょうだい同士で共有するものはどのような大人になるかを左右するものではなく、少なくとも予見しうる影響はないことが証明されているとしたのです。そのため、きょうだい間で共有しないものから子育て神話を証明する責任が重くのしかかることになったのです。

これは聞こえほど無理難題ではないとハリスは言います。実際、親が子どもたち一人一人を同じように扱わなければいけない理由はありません。よき親なら子どもたち一人一人が独自性のある人間になってほしいと思うべきではないでしょうか。それぞれが最も得意とすることをしてほしいと望むべき子ではないでしょうか。これは親の姿勢をマルクス主義的にとらえた見解だと言います。「人はその能力に応じて働き、その必要に応じて受け取る」

実際、ある程度までではありますが、それは正しいとハリスは言います。確かに親は、少なくともいくぶんかは子どもたちそれぞれが違う人間になってほしいと望むべきです。一人目が活動的で話し好きであれば、次はおとなしい子を歓迎するでしょう。もし一人目がピアノ好きであれば、二人目ですが、だからといって二人目がチューバをはじめてくれれば大満足でしょう。しかし、だからといって二人目が懸賞金目当ての拳闘選手や麻薬売人になっても同じように喜べるわけではありません。わが家の二人目が大きくなるにつれ、ハリスは彼女の夫と「成績優秀者はすでに一人いるから、それを繰り返すことはない。二人目には何か別なことをさせよう」などと話し合ったわけではないと言います。逆に二人ともが学者になったとしても、そうした退屈さも悪くはなかっただろうと振り返ります。親がどんな子どもにももっていてもらいたいと望む特質がいくつかあると言います。やさしさ、良心、知性。これ以外の特質に関しては適度な範囲でばらつきがあっていいと親は思っていると言います。しかし、全員に望む特質に関しても、ばらついてもよい特質に関しても、言えることは一つ。家庭環境が長期的な影響を及ぼす証拠は何一つないということだと言うのです。

親は子どもによって扱い方を変えるし、子どもも一人一人違うものです。この二つの事実に関しては疑う余地もありません。しかし行動遺伝学者が子育て神話を支持しつづけるには、親の行動の違いが子どもたちの違いを引き起こしていること、もしくはそれに関与していること、それらが既存の違いに反応しているだけではないことを示さなければならないのです。しかし、いまだそれにはいたっていないようです。それどころか、親が子どもを扱うその方法は子どもたち自身の違いよりも実際には均質である、すなわちきょうだい二人の行動は親が彼ら一人一人を扱うその方法よりもかけ離れているという証拠が見つかっているそうです。

家庭環境の影響” への5件のコメント

  1. 行動遺伝学者でなくても「家庭環境が重要だ」と思っている人は多いと思います。結婚して妻と二人で家庭を営み始め、やがて子どもが一人でき、家族が形成されて。子どもにはなるだけ良い家庭環境を、と志向する親は少なくないはずです。でも、どんな家庭環境が子にとって良いのか、世間の情報に流される事無く、これと判断し実行する人々はどれだけいるのか。そして判断し実行した先に出現する「家庭環境」が果たして子どもにとってどれほどの影響を及ぼすことになるのか。「やさしさ、良心、知性。これ以外の特質に関しては適度な範囲でばらつきがあっていいと親は思っている」なるほど、確かにそう思っている親の自分がいますね。しかし、それは親の思い。子は子。ひとりの立派な人格者。この世に生まれてきて、自分を全うしようとする存在です。「言えることは一つ。家庭環境が長期的な影響を及ぼす証拠は何一つないということ」このことも確かであり、自分が育った家庭環境、そしてわが子が育つ私たちの家庭環境、思っているほど重要でないとわかると気が楽になりますね。

  2. 子育てをしたことがありませんが、子を持った方の話では「健康で優しいければなんでもいい」と、生まれた瞬間は思うものだと教えていただきました。数年もたつと、その思いは薄れ、新しい思いがでてくるのが人間なのでしょうね。そういった思いや願いというものも、実際に子どもに長期的な影響を及ぼすことはないと考えると、何を思うかは親の勝手であり、それを受け入れるかは子の勝手だということかもしれません。「親が子どもを扱うその方法は子どもたち自身の違いよりも実際には均質である」というように、実際の行動とそれに対する捉え方の違い、または知らぬ間の親の行動に均等性があるというのも新鮮です。家庭や親子という概念自体が変わるような最近の内容です。

  3. 親の望みとは、親の妄想なのかもわからないと思えてくるこの度の内容です。その妄想に応えるも応えないも子ども次第であるし、だからこそ例えば友だちの少ないその子に友だちの作り方を教えたところで余計に彼の負担になってしまうこともあるのだろうと思えます。子どもは自分の性質に応じながら、集団の中でうまくやっているのでしょう。大人があれこれ口を出すことが余計にその子を苦しめるということもあるのかもわかりません。大人の影響力の無さを知って、だからこそ出来ることと、出来ないこととの分別を大人はつけていくべきなのかもわかりません。

  4. 行動遺伝学者の方々は研究すればするほど、望む答えではない反対の方に結果が転がっていってしまっているのですね。家庭の影響が大きいことを証明しようとすると、そうでないという証拠が次々と見つかるというのは皮肉なものです。
    なんか家族や家庭とはどんなものであるのでしょう。今までのものではない新たなものであるように感じてしまいます。今までの家族や家庭という概念は大人からのものであり、子どもから捉えると、こんな風になるのかもしれません。そのように考えると、まだまだ子どもから捉えられたものが全くの別物だというものがあるのかもしれませんね。

  5. 親は子供を皆平等に扱う、といった考え方と、親は子供を皆愛する、といった考え方がごちゃごちゃになってしまうとうまくいかなくなりそうですね。違う接し方をしていてもそこに確かな愛はあるのでしょう。しかし保育士は逆のような気がします。血の繋がらない赤の他人な訳ですから好きも嫌いもあるしあって良いのだと思います。しかし保育士だからこそ発達の違いを考慮し、そこにあわせつつも皆を平等に扱わなければならないのではないでしょうか。ただそこに好き嫌いの感情を持っているからこそ、それを感じた子供も保育士を選択し、甘える相手を決めるのでしょう。そのためにはやはり選択肢を少しでも多く用意し、自分にとっての最適な相手を見つけることができる環境を用意するのが大切なのですかね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です