子育て神話の功績

子育て神話は、現代独特の現象なのかもしれないとハリスは言います。ものごとを極端な状況にまで追いこみ、論理的な限界話を超えてまで考え方を押し進めようとします。子育て神話では親への要求が誇張され、それがあまりに苦難を強いるものになってきているので、ハリスは、もはや円熟期を過ぎて、腐敗すら近いようにハリスは思っています。

これが人畜無害な空想話であれば、これほど強くこだわりはしなかっただろうとハリスは言います。それに子育て神話にもなんらかの有益な副作用があるかもしれません。少なくとも理論的には、親がやさしくなるはずです。もし自分の犯した間違いが子どもの一生を決めかねないと思えば、親は控え目になり懲罰を減らすでしょう。ところが親が控え目になっても虐待行為が減少している様子はまったく見られません。また今の若者たちが二世代もしくは三世代前よりも幸せで精神的にも健康であるという徴候もまったく見られないのです。

子育て神話が実際に功を奏したという証拠はどこにもないとハリスは言います。しかし、被害は確認ずみなのです。子どもをこのすばらしい機械にかけてもどういうわけか、幸せで賢く、十分適応した自信あふれる人間にはならなかった不運な親は、ひどく自責の念にかられることになったのです。こうした親は、一緒に生活するのが難しい子ども、もしくはなんらかの理由で地域社会の規範に従うことのできない子どもをかかえて苦悩するだけではないのです。彼らは地域社会から自分に向けられる非難にも耐えなければならないのです。時には非難されるだけではすまされないこともあります。法的な責任が問われることもあるのです。罰金を科せられ、実刑判決が下される恐れもあるのです。

子育て神話は、子どもたちを不安の種へと変えてしまったとハリスは言います。親は自分が間違ったことをするのではないかと神経質になり、何気ない一言や目配せが子どもの可能性を永久につぶしてしまうのではと恐れます。子どもの下僕になってしまったばかりではありません。その下僕としても力不足の烙印を押されてしまうのです。なぜなら、子育て神話の布教者たちが定めた規準はあまりに高く、それを満たせる者などどこにもいないからです。たっぷりと寝る時間すらとれない親は、子どもたちに十分な「大切な時間」を割いてあげていないと言われるのです。親は自分には何かが不足しているという思いに駆られます。その不足分を補おうと子どもたちのためにオチャをたくさん買い与えます。最近のアメリカの子どもたちはびっくりするほどオモチャをたくさんもっているのです。

子育て神話は、家族の生活にまやかしという要素をもちこんだとハリスは言います。心からの愛情表現は、義務的でうわべだけの愛情表現に押し流され、まったく意味をもたなくなってしまったと言うのです。

子育て神話の功績” への7件のコメント

  1. 今回のブログの内容も「あるある」話です。他人様に迷惑をかけてはいけない、他人様の厄介になってはいけない、などということを昔はよく耳にしました。そういう大人にならないように子を育てる、これが子育て、と思っていたことがあったかもしれません。詰まる所、すべては親の責任だ、と思わされていたかも。「子育て神話」は、子どもには兄弟がいないといけない、だから一人っ子ではダメ、という考え方を支持していたのかもしれません。「子育て神話は、子どもたちを不安の種へと変えてしまった」このことが少子化を招いた張本人でしょう。子育ては手がかかるとか、将来教育費がかかるとか、大人の自分の時間がなくなるとか、とにかくネガティブ要素が喧伝されているような気がします。「あまりに苦難を強いるものになってきている」とか「子育て神話は、家族の生活にまやかしという要素をもちこんだ」とか。若者の自殺率が先進国中トップクラスになってしまったのも「子育て神話」に原因があるかもしれないと思ってしまいました。

  2. 狩猟採集社会から農耕社会へと変貌を遂げたことこそが人類最大の失敗の一つであるということをサピエンス全史から知りました。新しい発見に驚くような、刷り込みが解けていくような感覚を、この度の内容からも味わうことが出来るように思います。子育て神話によって助長されていたのは人類の幸福ではなかった、という事実。ずっと気張っていた肩の力が抜けていくようです。
    ある意味では親も被害者であり、また、子どもたちは更なる被害者でありました。保育の夜明け、子育ての夜明けを感じます。もっと楽しい社会へ、日本が発展していける鍵がこの中にあるように思えてきます。

  3. 虐待や体罰がご法度なこの時代において、年々児童相談所への相談件数は増しているという状況からも、子育て神話に対する見方を変えざるをえませんね。親は、自分の一挙一動に神経をすり減らし、子育てから解放された祖父母の我が子に対する言動に気を張り巡らし、子どもへの理解がない社会からの批判にさらされ、子どもへの自分の言葉がよくなかったと勝手に劣等感を感じてしまう。親は非常に大変な思いで育児をしなくてはいけないのが、現状であるというのですね。このような社会であっても、楽しく育児を行っている方の共通点というのはなんなのでしょうか。子育て神話をもろともせず、自分をしっかりともち、我が子の特性や性格に沿った環境を用意しながらも、自分の人生をより豊かにするための学びを率先して行動している親というイメージが浮かんできます。そして、「心からの愛情表現」を個人が明確に持つ重要性を感じました。

  4. 今まで言われてきていた子育て神話を見直さなければならないということなんでしょうね。子育て神話に頼ってきた時代があるから、今の世の中のような、虐待が増えたり、若者の犯罪が増えたり、自殺者が増えたりしているのかもしれませんね。そして、子育て神話があることで親も苦労している…。大変な世の中になっていますね。
    そんな世の中に警鐘を鳴らし、これからどのようにしていけばいいのか導いて、示す道しるべのようなものが必要であり、その核となるものを自分たちは学んでいるような気がしました。

  5. そもそものはなし、社会の情勢も、子供の発達に関する科学も刻一刻と変わりアップデートされていくなかで、古くさい神話が語り継がれ実践されるということが間違いではないのでしょうか。もちろんブログの内容にもある通り、有益な副作用は現れるのかもしれませんし、取り入れるべき部分は多かれ少なかれあるのかもしれません。しかし最も根本的な部分が根強く張り付いてしまっていてはどうしようもないでしょう。一つのことに固執せず柔軟により良いものを選択していけることこそ必要なことではないでしょうか。

  6. とても辛辣な内容ですね。しかし、核家族になり、これまで以上に親と子どもだけの時間が延びたにも関わらず、親の育児ノイローゼが増え、子どもたちにとってもコミュニケーション能力不足などが言われています。地域での子育てが希薄になり、親と子どもの時間がこれまでよりも増えたとて、子育てが良くなったというより親における責任がより強くなっているように感じます。確かにそのことを考えても子育て神話というものは見直されるべきはなのだと改めて感じます。親は家庭で子どもとの関りを持っていながらも、かえって時間があれば「より良い関り」をもっともっとと子どもに対して時間をかけなければいけないと追い詰めなければいけない世の中であるように思います。仕事をしていた方がかえって子どもにとっても親にとってもある程度離れる時間ができ、いいのかもしれませんね。そう考えると1・2・3号とありますが、保育に欠けていなくても受け入れる「4号」も必要でしょうし、保育における考え方も子どもの主体性や多様性を持たせるため変化させていく必要があるのでしょうね。

  7. 子育て神話による弊害は現在の子どもの姿に色々な形で表れているのに、それを認めようとせず、まだ足りない、まだ親には何かができるはずだという風潮がより加速しているのではないでしょうか。「子育て神話は、子どもたちを不安の種へと変えてしまった」とあるように、子育てに対する言い知れぬ不安が社会全体に定着してしまっているからこそ、多くの大人が子育てに希望が持てず、それが少子化へ影響を与えている一因のようにも感じます。今の社会に蔓延しているこの子育て神話を何とか払拭し、子育てに希望の持てる子育て論というものを展開することが急務であると感じています。

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