ジュディ・ダンとロバート・プロミンは、1990年に出版されたきょうだい関係に関する著書の中で、自分たちの結論が「広く普及し、大事にされてきた考え方に反する」ことを認めながらも、「一般的に人々の性格および精神病理学上の違いは…その個人の出生順位と明確につながっているわけではない」と断言しているそうです。
このような断固たる発言は、一般市民のみならず、多くの社会科学者からも相手にされなかったようです。出生順位による影響の存在を信じる力は不死身で七転八起であることを示したのは、1996年に刊行された、アルバート・ソミット、アラン・アーウィン、スティーヴン・ピータースンの共著である出生順位と政治的態度に関する本でした。ソミットと仲間たちは「人々の間に深く根づいた信念には、本来合理的とはいえない要素がある」と述べ、「吸血鬼」すなわち出生順位による影響が存在するという信念を「永久に根絶する」には思い切った手段が、白昼堂々ととどめを刺すことが必要だと思い煩っていたそうです。
吸血鬼の根絶はなぜそれほど難しいのでしょうか。それは強力なお守り、魔法のシールド、すなわち子育て神話に守られているからだとハリスは考えています。心理学者もそうでない者も皆、子どもの性格はある程度生育環境により形づくられるものであり、そのほとんどは家庭内で行なわれるということを、当然のこととしてとらえてきたのです。子どもの家庭内での経験は、家族内での地位、すなわち長子か、末子か、それとも中間子かということに左右されることは明白であるため、研究者たちは出生順位が子どもの性格に一生残る痕跡を残すと信じて疑いもしません。彼らは仮説を立てることからはじめ、それが真実であることを示す証拠を求め、間違いは認めようとはしないのです。出生順位による影響への思いが消えることはありませんでした。吸血鬼は誰かにふたたびその蓋を開けてもらうのを待ちながら、棺桶の中で休んでいるのだとハリスは比喩します。
最近その蓋を開けたのが科学史研究家のフランク・サロウェイであり、出生順位による影響に関する彼の説は、著書『反逆者に生まれて』の中で展開されているそうです。サロウェイの説は非常に精巧に練り上げられていて、同一家族内の子どもたちがうりふたつにはならないという行動遺伝学的発見を進化心理学的観点から説明しています。きょうだいは親の関心を引こうと競い合うものであり、それぞれが他方との区別化を図ることで、つまりそれぞれが別々の専門分野をもつことで、家族内に別々の適所を求めるものである、とサロウェイは指摘したのです。この区別化は子どもたち自身の戦略を反映するものであり、親から押しつけられたものではありません。いずれにしても直接そうされたものではないのです。これらすべての点において、ハリスはサロウェイに賛成だと表明しています。さらに彼は『反逆者に生まれて』の中で、多種多様な情報源を駆使して、その自説を裏づけしようと目を見張るほどのデータを掲示しているそうです。
ハリスは、彼における前提は似ていたのですが、まもなく別の道を歩むことになったそうです。サロウェイは成人後の性格の違いを家族内の適所選びという観点から説明しています。以前紹介したように、彼は、第一子は行き詰まった頑固者で、第二子以降は新しい経験や考えを積極的に取り入れるとしたのです。第一子は神経質で攻撃的、上昇志向が強く、嫉妬深い。第二子以降はのんきでやさしいといいます。サロウェイ自身はもちろん第二子以降です。それに対してハリスは第一子です。しかし、ハリスは、「反証者に生まれて」きたというのにと言います。