仲間からの虐待

家庭で被害に遭っている子どもたちが立派な人間になることができなかったとしたら、その原因は家庭での経験に求めるべきか、それとも公園での経験に求めるべきかという答えを心理学者は持っていませんし、そう問うこともなく、ただ家庭がより重要であると仮定するだけでした。その仮説に臨んだのがカナダのヨーク大学の社会学者アン=マリー・アンバートだそうです。アンバートはヨーク大学の学生に大学入学以前の自分史を書くように指示しました。彼らを誘導すべく、彼女はいくつかの質問事項を用意しました。その中に「何が最もあなたを不幸にしましたか」というのがありました。彼女は学生たちの返答に驚いたそうです。親の好ましくない扱い方や態度、と答えたのはわずか9%しかいなかったのです。ところが37%の学生が仲間たちから邪慳な扱いを受けた経験を挙げていたのです。その経験のために自分は永遠に不利な影響を被っていると彼らは感じていたのです。アンバートはこれを「仲間からの虐待」と呼び、この重大な問題に対してこれまで適切な配慮がなされてこなかったと結論づけたのです。彼の結論は、こうです。

「これらの自分史には、親からよりも仲間たちからの否定的な扱いを綴ったものがはるかに多い。…この結果については他の研究者たちからも確証を得ている。児童福祉の専門家たちが親にのみ注目することが多く、思春期における精神的苦痛の最も大きな原因となるであろう仲間との確執や仲間からの虐待を軽視してきたことを考えると、この結果は驚くに値する。…これらの自分史の中には、幸せで十分適応していた子どもが、仲間たちに拒絶され、排斥され、陰口を叩かれ、人種差別を受け、笑いものにされ、いじめられ、性的な嫌がらせを受け、嘲られ、追いかけられ、殴られた経験の後で、かなり急激に心理的にまいっていく様子や、時として身体的に病み、学力が低下する様子が描かれているものがある。」

日本では、よく話題に上る「いじめ」です。アメリカには、「いじめ」という概念はないのでしょうか?ハリスは、このような状況を、虐待を受ける子どもたちの不幸な生活にかかわっているであろう最後の点は頻繁な引っ越しであると言っています。あまりに転居が多い場合だというのです。親と一緒に過ごしているときでさえも、これらの子どもたちは幸せな家庭の子よりも転居の回数が多いというのです。ところが多くの場合、彼らは親元から離れます。ある子どもが虐待されていると診断されると、その子は虐待の行なわれている家庭から引き離され、里子に出されます。そしてそれがうまくいかなければ、ふたたび里子に出され、三度里子に出される場合もあるそうです。里子制度が有害な影響をもたらすその理由は親や親代わりになる人物をたびたび失うことにあると考えられていますが、ハリスは、たび重なる転居はまた子どもから安定した仲間集団をも奪うことになることに問題があると考えています。仲の悪い仲間でさえ、ないよりはましだと考えています。なぜなら安定した仲間集団がなければ、子どもの社会化に支障をきたすからだというのです。

赤ちゃんには間違いなく親や親代わりが必要です。遠慮気兼ねのいらない養育者とは、植物にとっての日光や土壌のように、赤ちゃんの脳が正常に発育するのに必要な環境の一部であるとハリスは考えています。ところが親や親代わりとなる者は5,6歳以上の子どもにとっては不要なのかもしれないとも言います。それは、以前、ハリスが孤児院で育てられた子どもに関して述べています。