生まれながら

以前、テリー・モフィットと彼女のティーンエイジャーの非行論について紹介しました。モフィットは犯罪行為を二つに大別しています。一つは、一つ目のニキビができたときにはじまり、最後のニキビ治療薬を使い終える頃には卒業するような行為としています。もう一つは一生つづく行為です。子どもの頃はそれなりにしっかりしていて成人後もそれなりに良民となるような人は、一時、これらのいずれでもない期間を過ごすことが多いようです。それは集団としての行為、つまり年齢集団間の戦いです。これらの子どもはたいてい心理的な問題をかかえているわけではありませんし、親に責任があるわけでもありません。それが彼らの社会化なのです。仲間たちによって社会化されているだけなのです。

一生つづくような犯罪行為は、前者に比べるとはるかにまれであると言います。それに携わることになるのはほんの一握りの人々です。しかもほとんどは男性です。カール・マケルヒニーは七歳にしてすでに殺人を犯しましたが、こうした人々の犯罪行為は幼い頃からその兆候を見せはじめ、電池仕掛けのウサギのように止まることを知らないのですが、ウサギのようなかわいらしさはまったくないとハリスは言います。犯罪者として一生を過ごすことになるであろう者は、前に挙げたような性格特性が強い場合が多いと言います。攻撃性、怖いもの知らず、人の気持ちを理解できない、興奮への欲求などです。このような人々は、どの社会にも、こうした性癖のために社会的に葬られたり、早死にを招いたりしがちな社会においても時折登場します。アラスカ北西部のイヌイットの一人は、人類学者に次のように話しているそうです。

「昔は、問題行動を繰り返しどうしてもそれをやめることのできない男がいた場合、誰かが彼を静かに氷の上から突き落としたものだ」

その男は《JAMA》の論説者がカール・マケルヒニーを評して言ったような「社会にとって危険な存在」だったのです。

生まれながらの悪人などいるのでしょうかだろうか。その問いに対してハリスは、「より好ましい言い方をすれば、ほとんどの社会における誠実な仕事のほとんどに順応できないような特徴をもって生まれてくる人物は存在する」といいます。しかし、そのような人物にどう対処すればよいのかはまだわかっていないと言います。私たちは彼らの儀牲になる危険性と常に直面しているのですが、彼らもまた犠牲者なのだと言います。人類の進化の過程で犠牲となった人々なのです。完璧な過程などないのです。進化とて例外ではないのです。進化の過程で私たちには巨大な頭が与えられましたが、時としてその頭が大きすぎて産道を通れない赤ちゃんがいます。はるか昔はそのような赤ちゃんは死ぬしかなく、その母親も同じ運命をたどりました。同じように進化により選び抜かれた他の特徴も時として限度を超えてしまい、取り柄となるどころか足手まといになってしまうことがあると言います。「生まれながらの犯罪者」がもつ特徴のほとんどすべては、多少その程度が低ければ、狩猟採集民族社会の男性にとって、または彼が所属する集団にとって有用なものばかりです。怖いもの知らず、興奮への欲求、そして衝動的な行動。これらの特徴はライバル集団にとっては恐るべき凶器となるのです。彼の攻撃性、強靭さ、そして無慈悲は、集団のメンパーを統率するのにも有用ですから、彼は狩猟採集民族の長の第一候補となったはずだというのです。

生まれながら” への10件のコメント

  1. 集団に牙をむき、馴染むことができなかった者を排除してきた歴史がこの地球にあったという過去から、私たちは何を学ぶべきなのでしょう。ほとんどの社会に順応できない性質を持った人に対して、何を思い感じるのかと考えただけでも、不思議と思考が止まります。進化という過程では、そのことを考えること事態が人間社会が成熟してきたという一つの証なのでしょうか。ただ、今の時代ではどうにもできない性質の活かし方を、探し求め続ける使命があるような気もしています。

  2. 少し身震いを感じる今回のブログの内容です。サイコパス、ということを思い浮かべました。「生まれながらの犯罪者」。そんな人、いるのだろうか、と思ってしまいます。「犯罪者として一生を過ごすことになるであろう者」、たとえば、スリをして「一生を過ごすことになる」人はいるのでしょう。スリを仕事とする人々。「殺し屋」なる存在は果たして実在するのか、私はよくわかりませんが、否定することもできない。「私たちは彼らの儀牲になる危険性と常に直面しているのです」、確かにその通り。少し考えてみると怖いことです。通りを歩いていて偶然「危険性」と直面してしまう。嫌だけど、あり得る。「彼らもまた犠牲者なのだ」。えっ?「人類の進化の過程で犠牲となった人々」・・・。好きでそうなったわけではない、ということでしょうか。何ともしようがなく、抗うこともできずに「犠牲者」になってしまう。毎日のニュースを見ていると、世にも恐ろしい事件が起こり得るということを確信せざるを得ません。「狩猟採集民族社会」に生まれた方が良かった人々がいる。生まれてくる社会が人を幸せにもするし、不幸にもする。わからないことがたくさんありますね。

  3. 「同じ種でも、個体によってさまざまな個性がみられる。この個性は個体変異と呼ばれ、多くは遺伝的基礎をもつ。その発端は遺伝子の突然変異にある。このような変異をもつ個体のうち、環境に適したものがより多く生き残り、遺伝子を集団内に残す。これは自然選択とよばれ、やがて世代を経て集団内の遺伝子の構成が変化する。突然変異と自然選択は進化の要因である。」先日お別れ遠足で訪れた国立科学博物館内で展示されていた一文です。サピエンス全史の中でも、農耕社会が始まり、ですがそれが実は人類の最大の失敗であったということが書かれていますが、人類はそうした完璧でない過程を辿りながら進化し、歴史を作っていくということを改めて感じました。

  4. 「生まれながらの犯罪者」といいますが、どうにかして彼らを悪の道ではない方向へ導くことはできないのでしょうか。もちろん無慈悲さや衝動性はどうにかしなければいけません。しかし、例えばスポーツなど生かすことが出来る分野はないのでしょうか。怖いもの知らず、強靭さなど武器になるものは、常人が想像できる範疇の外を軽々と越えていくのではないかと思います。もし彼らを見極めるすべがあるのであれば、彼らを導くすべがあるのであれば見つけ出したいと感じました。

  5. 〝完璧な過程などないのです。進化とて例外ではない〟その過ちがあるからこその人間であり、自然であり、その誤差から生まれたものもあり、完璧ではない、だからこその楽しさや面白さがあるのだと思いました。〝生まれながらの犯罪者〟が本当にいるのかどうかは分かりませんが、それも進化の被害者であるという捉え方をすると、今まではただ怖いなど恐怖の対象であったものに、今までと違う目線で見ることができるような気がしました。

  6. 「生まれながらの犯罪者」と言われてまず思い起こされたのがサイコパスと言われる人の存在です。生まれもっていながら相手の感情に共感することが苦手な人というのは確実にいます。ある意味、それはサイコパスの本人自体も犠牲者ともとれるように思います。「私たちは彼らの儀牲になる危険性と常に直面しているのですが、彼らもまた犠牲者なのだと言います。人類の進化の過程で犠牲となった人々なのです。完璧な過程などないのです。進化とて例外ではないのです。」これまで人の進化には無駄なものはないと思っていました。しかし、この一例を考えてみるとそれも完ぺきとは言えない部分があったといことなのでしょうか。それとも多様性という側面から見ると一定の「必要悪」として存在すべきなのでしょうか。最後の文で「狩猟採集民族社会の男性にとって、または彼が所属する集団にとって有用なものばかりです。」とあります。捉え方を変えると生まれる時代を間違ったのではないかという見方ができるのですね。

  7. 生れながらにして悪人というか「ほとんどの社会における誠実な仕事のほとんどに順応できないような特徴をもって生まれてくる人物」という人たちは「狩猟採集民族社会の男性」であればいい意味でそこでは長になることがあることを知るとなにかそうした特徴を持った人たちは現在多くといるでしょうね。その人たちの居場所というのはもちろん自分で探すわけですが、巡り会いで自分に合う環境、居心地の良い場所、そしてその特徴が生かせる環境の大事さを知ります。その人もの犠牲者だということも忘れてはならないですね。

  8. ブログを読み終えてまず感じたことは。だからこそ人類は互いに手を取り合い、協力していかなければならないと思いました。そして共生と貢献。人はみんな違うのが当たり前であり、違う人を否定してしまうのは間違っています。だからと言って犯罪を認めるわけでもありません。以前、藤森先生が多様性について話されたことで気づいたことは「多様性だからと言って何でも認めてもいいわけではない、多様性が成り立つのはそれぞれの根底に共通した物があって初めて多様性が成り立つ」と言われました。ブログの最後の段に書かれてあるように、誠実な仕事に順応に対応できない特徴を持っている人もいて、彼らも犠牲者の一人と書かれてあります。彼らもそう望んで生まれてきてないはずです。そうであるならば狩猟民族の長のように、彼らが認められる道を導いてあげる事が大切のような気がしました。

  9. 何ともコメントしていいのか迷ってしまうような内容でした。時代は変わりますし、社会も変わります。価値観も少しずつ変わっていく中で、私自身も変わっていかなければいけない状況がこれからやってくることでしょうし、今現在もそうなのかもしれません。自分としてはそうやっていくしかないのかなと思いました。どうやって考えていいのか難しい問題です。

  10. 生まれながらの悪人はいるのか・・・やはり非常に難しい問題ですね。ただ、一般的に犯罪的な要素を持つ人でも、狩猟採取民族のような別の集団、文化においては有能な人として捉えられることもあるようですね。人や社会の認識、価値観が変われば人の捉え方も変わるということであり、悪や犯罪に対する定義も変わるということなのでしょうか。犯罪者、悪人とは、生れながらの特性が、社会のあり方、環境にそぐわない人のことを示すように思えます。

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