父親のいない子どもたち

父親がいるか、いないか。これによって先進国の社会で暮らす普通の子どもたちにはどのような違いが生じるのでしょうか。一般的に両親が揃っている場合のほうが子どもたちは幸せであり、それを否定しようとはハリスは思っていません。また子どもたちは両親がともに自分を大切に好意的に思ってくれている証拠があればより幸せであることも否定はしていません。しかし、今日幸せだからといって、それが将来訪れるであろう不幸への免疫を形成してくれるわけではなく、また窮状には後遺症がつきものだという自然界の法則もどこにも存在しないと言います。ここでハリスは、成長過程での出来事がどのような長期的影響をもたらすのかを説いているのです。長い目で見て父親のいる子どもたちは父親のいない子どもたちよりもより望ましい人間へと成長するのでしょうか。もしそうであるならば、それは父親の存在によるものなのでしょうか。

ほとんどの人はそう考えています。1992年、当時の副大統領ダン・クエールは、テレビ番組の架空のキャラクターである主人公マーフィー・ブラウンが未婚の母になったことを痛に非難したそうです。テレ番組の登場人物が避妊をしないで性交渉を行なうのは今にはじまったことではないので、クエールを悩ませたのはそのことではなかったはずだとハリスは考えています。父親不在のまま成長するであろうかわいそうだが無邪気な、しかも架空の子どもを思ってのことだったのではなかったのか。その二年後、社会学者サラ・マクラナハンとゲリー・サンドファーは、クエールの父性賛歌を支持する形で『シングル・ペアレントの子どもたち』という本を出版し、その冒頭ではイタリック体で次のように言い切っているそうです。

「生みの親が一人しかいない家庭で育った子どもたちは、生物学的な両親が揃っている家庭で育った子どもたちよりも概して好ましくない境遇にあり、それは親の人種や学歴、子どもの誕生時に結婚していたか否か、さらには同居する親が再婚しているか否かにはいっさい関係ない。」

好ましくない境遇とはどのようなものなのでしょうか。マクラナハンとサンドファーは三つの指標に基づいて判断しています。実の両親と同居しない青少年は高校を中退したり、働きもせず、学校にもいかないおとなになりやすく、女の子であれば十代で母親になる可能性がさらに高まると言うのです。もちろん、父親不在たけがこれらの問題の原因ではありませんが、マクラナハンとサンドファーはそれが重要な要因であると、つまり「親は別居の決断が子どもたちにもたらすであろう結果を知る必要がある」ほど重要であると考えているのです。

別れて生活するという決断が子どもたちにもたらしうる結果、あきらかにマクラナハンとサンドファーは親が別れて生活することが子どもの抱える問題の原因であると考えているそうです。少なくとも好ましくない境遇にある子どもたちのうち何人かは父親さえいれば高校を卒業し、仕事に就き、妊娠せずにすんでいたかもしれないと考えているのです。

ところが、マクラナハンとサンドファーの著書に掲載されているグラフや表には興味深い結果を見ることができるようです。重大な影響を及ぼすであろうと考えていたことが、そうではないと言うのです。

 

父親のいない子どもたち” への10件のコメント

  1. 子どもにとって、大好きな存在が別れ離れになってしまうことによる心的負担は少なからずあると思いますが、その原因によって子どもの問題を解決できないわけではないと感じました。「父親」がいないことによって、現代社会はどのような価値観を抱いているのかが気になるところです。大多数の意見が世の中の「普通」を作り、それが社会の中でも当たり前のように浸透してしまう危険性が日本にはあることを前提にすると、父親という存在の役割を社会が担えるような環境が必要ということになってくるのでしょうね。また、レールに沿える子どもを育成する時代から、あえてレールに乗らない子どもを育成することが価値あることのようになれば、これまで両親のどちらかがいないという状況によってもたらされた問題は、少しでも減るのかなとも思いました。

  2. 父親がいない子供たち。この「いない」というものがどこまでを指すのか難しい内容ですね。今回の内容のような本来望まない形で未婚の母が出産するケースから、ある程度物心ついた頃に離別、もしくは死別するものまで、最終的にその子が成人した時点で見れば一括りに父親がいないと判別することができますが、決して子供に対する影響は同じとは言えないでしょう。どの段階で父親がいなくなると最も子供に悪影響を与えてしまうのか、どの段階ならばさして影響を与えずにすむのか、そこが気になってしまいました。

  3. 自分が父親であるからでしょうか、「クエールの父性賛歌」を二人の学者と共に支持したくなります。が、事はそれほど単純ではないでしょう。ハリス女史の論説を読みながら、いつも自分の生い立ちを振り返っています。片や研究者の研究成果としての所論、片や私という一個人の例、どちらが普遍性を持っているかと問われれば、無論前者でしょう。ということで、研究成果をリスペクトしながらも、自分自身が経験体験した個別事例についても無視したり否定したりせずに、素直に振り返ってみたいものだと考えました。そして今回の「父親のいない子どもたち」。私が知っている人々の中にもそうした子どもとして育った人たちはいます。そして、言えることは、そうした人々の中で非行に走ったり、警察沙汰になったりした人はいなかったと言い切れないところはあります。しかし、それを父親不在による、とは断言できません。事の起こりにはさまざまな原因があってのことでしょう。父親の存在は必要条件か十分条件か、はたまた必要十分条件か。あるいは条件で規定されない存在か。

  4. 前回の内容の中には父親が不在になると、子どもは殺されてしまうような一族も現実にあるということが書かれてありました。父親がいるのといないのとで違いが本当にあるのか、というのは確かに興味があるところです。ですが、「父親がいない」という定義がどうなるのかというところも問題になりそうです。実の父がいないのか、いつからか、二人目のパパは父なのか、いろんなパターンが考えられます。その選定だけでも大変そうです。

  5. 人間の本質を知ることによって保育が追求されていくということを思った時、父親の不在がイコール子どもの成長の妨げになっているという父親神話のような、起因をその神話一因に求めるという考え方に違和感を覚えるようになりました。遺伝と環境のような複合的な関係性があってその子やその人が在るということと思います。刷り込みを無くしていくような、縛られていたものから解かれていくような、そういった方向へ人を向かわせる為にされている研究は素晴らしいですね。最後の段落で、改めてそう思いました。

  6. 父親が不在の家庭にいる子どもたちは好ましくない境遇にいるのではないか。と考えることはありました。しかし、決して、そんなことはないと最近では思います。かえって、両親がいても、地域社会や親類筋などから離れてしまっている家庭のほうがよほど、好ましくない環境となりうるのではないだろうかと感じます。私のまわりにも同じような境遇の人はいますが、ブログにあるような好ましくない境遇ではありません。もちろん、全員が全員、好ましくないわけではないでしょうが、それ以上に、友だちや子ども集団での環境のほうがあることのほうが大切であるということをその人を見ていても感じます。

  7. 「マクラナハンとサンドファーの著書に掲載されているグラフや表には興味深い結果を見ることができるようです、重大な影響を及ぼすであろうと考えていたことが、そうではないと言うのです。」と最後にある文面で読み取れるのは父親がいないという境遇の人でもそこまで影響はないということですかね。勝手に先を予想していますが、確かにそんな境遇の人が少し逸れてしまっていないかと言えば言い切れませんがその理由が父親がいないからとは言い切れないことがわかります。だとしたらどんな理由でそうなるのかがより知りたくなります。

  8. 我が家ももしかしたら両親が離婚するのではないかという雰囲気が漂った時期があったのですが、子どもの頃は何であれとにかくその選択肢はとってほしくないなと思っていました。しかし、今思えば、その時は嫌だったかもしれませんが、そうなってしまえばそれを受け入れていたのかなとも思えてきます。「今日幸せだからといって、それが将来訪れるであろう不幸への免疫を形成してくれるわけではなく、また窮状には後遺症がつきものだという自然界の法則もどこにも存在しないと言います」とありました。確かに、イメージ的に、両親の離別が子どもに与える影響というのは大きいものであるということがあるかもしれません。しかし、ハリスの言葉にあるように、その時はダメージがあるが、将来的にどうなのかと考える観点も興味深いなと思います。

  9. 社会には様々な境遇の人がおり、両親が揃っていない家庭の子が一概に不幸であるとは言えないというのが私の本心なのです。確かに親のどちらかがいない場合、そうでない境遇の子と比べ、経済的な面も含めある程度のハンデといえるものはあるのかもしれませんが、単に両親が共に揃っていることが幸せかと言われれば、そうではないと思います。両親が揃っていたとしても虐待を受け、辛い生活を強いられている子どもも現に存在します。子どもの成長において親は確かに環境的にも大きな存在ではありますが、それが全てではないはずです。その点を踏まえた上で、今後のブログの展開がどうなっていくのかを注視していきたいと思います。

  10. 何十年も保育園で働いていると、様々な家庭環境の子ども達と出会う機会があります。父子家庭、母子家庭、夫婦別姓など色々です。やはり刷り込みというか、母子家庭の場合、父親という存在がいない分、育ちに何らかの影響を与えてしまうのではないか?と瞬間的に思ってしまいます。それは父子家庭でも言えます。社会が男性と女性、両方がいることで成り立っているとことが、家庭でも同様なことが言えると信じていました。しかし、重大な影響を及ぼすであろうと思われていたのが、そうではないというのは大変、気になります!

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