正当派

ティーンエイジャーが非行グループに入るのは、そのような態度や行動が普通だとみなされる住宅街に住んでいたことに原因がある場合があるとハリスは考えています。彼女が自分の子どもたちを育てたような閑静な中流住宅街でも非行グループはあったそうです。他の集団に拒絶されてこのグループに入った者もいれば、自ら進んで入った者もいました。子どもたちがある集団の一員であると認識するのは、その集団が「自分と同じような」子どもたちで形成されていると感じるからだと言います。親はその集団が子どもに悪影響を与えると考えますし、実際そのとおりになる場合もあります。なぜならばメンバー間で共有するものはすべてメンバー間の相互影響や他集団との対比効果によって誇張されがちだからと言います。もっともその影響は相互的であり、もとから共通して持っていたものも多いようです。

ティーンエイジャーが非行グループの一員になるのは親の責任でしょうか?親の育児姿勢を研究する社会化研究者たちは、「正当派」的な姿勢を維持する親の子ども、厳格すぎず、甘すぎず、至当な姿勢を保つ親の子どもは、道を誤った仲間集団に入る可能性が低いと主張します。その子どもはティーンエイジになっても問題を起こしにくいと言われています。ところが、この主張の基礎となるデータの有効性は怪しいとハリスは思っています。

親の育児姿勢に関する調査をはじめたのは、発達心理学者ダイアナ・ボウムリンドだそうです。ボウムリンドははじめに就学前の子どもたちを研究しました。彼女はある研究で、程良い親をもつ子どもには、厳しすぎる親や甘すぎる親をもつ子どもよりも社交上および行動上の問題が少ないことを示しました。彼女の研究では当然遺伝的な影響を統制しておらず、子どもが親に及ぼす影響と親が子どもに及ぼす影響とを区別する方法もなく、女の子と男の子とでは異なる結果が得られましたが、それに抗議した人はほとんどいませんでした。ボウムリンドの功績は児童発達のあらゆる参考書に取り上げられることとなったのです。

今日、ボウムリンドの後継者たちにとって、就学前の子どもたちは研究対象ではありません。彼らは思春期の子どもたちにのみ注目しているそうです。その利点は、思春期になると、長い質問にも回答できるということにあるからです。親からどのような扱いを受けたか、親は厳しすぎたか、甘すぎたか、それとも程良かったかと訊くこともできれば、その同じ彼らに何回くらい喧嘩したか、何回くらいマリファナを吸ったか、代数学の試験の結果まで訊くことができるのです。これらの研究者が求めている相関関係は、これらの青少年が自分の親について語ったことと自分自身について語ったこととの相関関係なのです。

今でもなお、当然のごとく、遺伝的な影響を統制することもなければ、子から親への影響と親から子への影響を区別する方法もありません。さらに得られる結果は民族集団によっても異なります。そこに混乱を招く材料がさらに加わりました。同一人物が二種類のデータを提供していることだとハリスは言います。彼らは親に関するデータの情報源であると同時に、彼ら自身に関するデータの情報源でもあるのです。同様の問題点はマレー・ストラウスの懲罰に関する研究でも指摘されているそうです。自分の子どもに何回体罰を与えたかを語った母親が、子どもの行動についても語っているのです。

正当派” への5件のコメント

  1. 正当派という言葉は難しいですね。道理の合っていることは、各々の環境で多少なりとも変わってくるものだと思いますが、「厳格すぎず、甘すぎず、至当な姿勢を保つ」という基準なのですね。保育士をしていると、「親の育児姿勢」が子どもにどのような影響を与えているのかがダイレクトに伝わってきます。聞き取り対象として、両者の立場を俯瞰して捉えることができる「保育士」という手もあるのかもしれませんね。おそらく三者ともに意見が合致しないということもあると思いますが、これまで見落としていた視点が見つかるのかもしれません。研究というのは、本当に大変な作業なのですね。

  2. 子どもの問題行動を親に結びつけてしまう危険性が私たちにはあります。親がクレーマーだったり、月謝の納入が遅れたりしていると、その親に対するイメージをもって子どもを観てしまう可能性が皆無ではないからです。その子が問題行動を起こした途端、あぁあの親にしてこの子あり、とかってに決めつけてしまい兼ねません。ハリス女史による問いかけ「ティーンエイジャーが非行グループの一員になるのは親の責任でしょうか?」は、親を知らない、あるいは知っているその親がとてもいい人だったら、「そんなことないでしょう」と答えるでしょう。ところが、親が社会的非難を浴びるような存在だったら即座にその通り、となりそうな気もします。さて、後半には研究者の研究手法が紹介されています。「ボウムリンドの功績は児童発達のあらゆる参考書に取り上げられる」とあります。彼女の研究手法についてハリス女史は疑問を投げかけております。読んでいるとその疑問の意味がわかります。あることを立証しようとするとなかなか大変なことがわかります。

  3. 「正当派」的な姿勢を維持する親、そしてその子。良いイメージが湧きます。しかしそれも一つの刷り込みであるようです。親と子はそれぞれ別の目で見守っていく必要があるのですね。しかし親の徳は子におりる、という子どもあると思います。親の人格が高潔であることは勿論大切なことであり、ただその練磨の過程において子どもが道をそれたとしてもそれは親の責任ではなく、子にその資質があったと解釈して良いとすると、親も子もそれぞれ一人の人であり、互いに尊重すべき間柄であることがよりわかるように思えました。過保護、過干渉は子どもを自分の所有物のように考える親に多いような気がして、それが子どもを尊重するということとは異なるということを親は気付くべきですね。

  4. 今回の内容は当事者ではない人間がその本人に関する質問に回答すると、親でもデータに多かれ少なかれ誤差が起きるということですが、その誤差は上方修正なのでしょうか下方修正なのでしょうか。もちろん民族性や国民性などにより様々なのでしょうが、どのような人種にどのような傾向がみられるのかということがとても気になりました。所属集団、家庭環境、遺伝など影響を与えるであろう因子はそれこそ限りなく見つかるのでしょうが、なにかひとつでも確実な因子を見つけてみたいものです。

  5. 「正当派」というものの考え方はその人それぞれで違いがありそうです。〝厳格すぎず、甘すぎず、至当な姿勢〟が基準となりそうですが、その親の生き方やこれまでの背景などいろんな要素が複雑に絡み合いできていると思いますし、それを受けている方がどう感じているのか、でも違いがあるのだと感じます。その複雑な親子の関係を側でみている保育者や先生など周りの人の存在があることが必要であるのかもしれません。それでも難しいように感じますが、両方が見落としていたものや本当に伝えたかったことなど第三者の立場だからこそ理解できるものもあるのではないかと思います。自分たちが「子どもから感じる親の感じ」また「親から感じる子どもの感じ」というのを伝えていくことも必要であるように感じました。

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