懲罰に関する研究

懲罰に関する多くの研究がかかえるもう一つの問題は、この研究法では、因果関係をはったきりさせることができないことだとハリスは言います。いかなる民族集団や社会階級においても、その中には他よりも攻撃的になり、他よりも体罰を受ける頻度が多い子どもたちがいます。もし攻撃的な子どもほど体罰を受ける頻度が高いのであれば、親の体罰が子どもの攻撃性の原因なのでしょうか、それとも子どもの行動がしゃくにさわるから親が何度も体罰を与えるのでしょうか。しかし、どちらであるかわからない場合がほとんどだとハリスは言います。

研究者たちが因果関係の問題に対処する一つの方法は、子どもたちを何年か追跡することです。《小児医療および思春期医療研究》の1997年8月号には、心理学者マレー・ストラウスとその同僚たちが実施したこの種の研究が掲載されているそうです。研究者たちは、子どもたちの反社会的行動の初期値を統制するために、一定期間で子どもたちの行動がどのように変わったのかを観察しました。子どもが6歳の段階で、母親が子どもに体罰を与える回数が平均以上ある場合、8歳になった子どもは、より難しい子になるのでしょうか。その通り、と研究者たちは結論づけました。2年に及ぶ研究期間中、体罰を受ける頻度が高かった子どもは、より難しく、より攻撃的になりました。「反社会的行動をやめさせようと親が体罰を施せば、結局そのもくろみとは正反対の結果を見ることになりかねない」と研究者たちは言い放ちました。

この研究は人々の知るところとなりました。AP通信がそれを取り上げ、全国の新聞、雑誌で報告されました。よく使われた見出しが「体罰が非行をうむ」でした。その抄録は《JAMA》にも掲載されました。ところが、AP通信も《JAMA》も別の研究、心理学者マージョリー・ガンノウとキャリー・マリナーが行ない《小児医療および思春期医療研究》の同月号に掲載されていたものについては触れなかったそうです。主旨は同し、その方法も類似していたが、結果が違っていたのだ。「子どもたちのほとんどに関しては、体罰が子どもに攻撃性を教えているという主張は根拠に欠けると思われる」というのがガンノウとマリナーの結論でした。黒人の子どもたちに関しては年齢に関係なく、そして研究に参加した幼い子どもたちに関しては人種に関係なく、体罰は実際に攻撃的行動の低下に一役買っていることを二人は発見したのです。

まったくもってこの種のことは心理学ではあまりに多いそうです。もろい原因、はかない結果。《小児医療および思期医療研究》はまるごとリサイクル用の収集箱に投げこんで忘れてしまおうとハリスは言います。

しかし、ここでちょっと待っていただきたいと言っています。収集箱からもう一度探し出し、研究者たちの使った方法をもっと詳しく見てみよう。そう確かに違う点があるようです。第一の研究では、研究者たちは子どもの行動をその母親から聞いたものをもとに査定しています。体罰を施しているその張本人です。研究者の質問に対する母親の答えは、子どもたちの家庭での振る舞い方に基づいています。第二の研究では、子どもたち自身から話を聞いています。研究者たちは学校で喧嘩をしたことは何回くらいあるかと尋ねています。家庭でたび重なる体罰を受けてきた子どもたちは、体罰を受けたことのない子どもたちと比べて、必ずしも喧嘩の回数が多いわけではありませんでした。

懲罰に関する研究” への6件のコメント

  1. 体罰が原因で攻撃的になるのか、子どもの行動が原因で体罰になるのか、難しい問題ですね。生まれながらの犯罪気質という例外を除けば、子どもの行動というのは環境でおおむね改善できると信じていますが、体罰によって必ずしも子どもが攻撃性を獲得するわけではないというのは頭にありませんでした。攻撃性というのは、いつどのようにしていくことで身についていくものなのか気になります。そして、「体罰が非行をうむ」と「体罰が子どもに攻撃性を教えているという主張は根拠に欠ける」という両者の見出しがありながら、前者がフィーチャーされるのは、時代が何を求めているのかという力が働いているようにも感じました。

  2. 調査対象の違いから導き出される結論の相違。体罰と攻撃性の因果関係は母親を調査対象にした場合と子どもたちを調査対象にした場合とでは異なる、なるほど。私は「体罰が非行を生む」と思っていたかもしれません。ヒトに殴られて育った子はヒトを殴るようになる。ヒトに愛されて育った子はヒトを愛するようになる。怒られてばかりいた子はやがて他人を怒るようになる。一見わかりやすい言い回しです。しかし、冷静に考えてみると、事はそう単純ではありませんね。「どちらであるかわからない場合がほとんどだとハリスは言います。」あるいは「もろい原因、はかない結果。」一体何が正しいのだろうか、疑問ばかりが増えてきます。学問の世界は白黒つける世界なのだろうと単純に思います。白と言った、その途端に、別の人が黒、という世界。あるいは昨日まで白かったのが今日は黒くなっている。何とも難しい世界です。

  3. 調査の対象が親であることは結果を大きくねじ曲げてしまう要因になりうると私も考えます。家庭での姿と仲間集団の姿は大きくことなることも実証されてるのですから結果がことならないと考える方が不自然でもありますね。卒業研究で養育について学んだときも、「体罰を受けたからこそやってはいけないことだと改めて自覚した。」という回答もみられたくらいですから、体罰を起こしてしまう心理には受けてきた養育とは別の要因があるのでしょう。

  4. 体罰をしている張本人とされている張本人からの口頭による情報からの研究です。テレビ番組で隠しカメラを設置してその様子を見るような企画がありますが、そのようにして見なければ真実は見えてこないものなのかもわかりません。ドア一つ隔ててそこはプライバシーな空間というまるで別の世界ですし、その家庭だけの世界です。そう思うと、それぞれの性質を持った子たちがそれぞれの世界で生きていて、その子たちが一日の中の何分の一かの時間を過ごす場所が園ということになります。保育という仕事が重要でないはずがないと改めて思えてきます。

  5. 子どもが攻撃的になってほしいと思う親はおそらくいないのではないかと思います。生まれつきそのような特徴を持っている子ども以外は環境によってそのような攻撃的な部分は影を潜められると思っていますが、その原因が親の体罰にあるのか、子どもの行動にあるのか、という問題は、確かに突き詰めていくのが難しい問題だと思います。ですが、体罰が攻撃的な面を生むという見出しばかりが注目をされてしまうというのは時代が、世の中の世論がどんなものを待っているのかということにも大きく関係してきそうだということを感じました。

  6. 「家庭でたび重なる体罰を受けてきた子どもたちは、体罰を受けたことのない子どもたちと比べて、必ずしも喧嘩の回数が多いわけではありませんでした。」とあります。研究というのは難しいですね。一概に主観だけで結論をつけることは非常に難しいことだと思います。結局のところ、体罰によって攻撃的行動につながったかどうかということは一概には言えないというのですね。「体罰が非行を生む」ということも言えますし、逆に「体罰は実際に攻撃的行動の低下に一役買っている」ということも言えるとなると、どうやらこのことも「親の影響」と一概に言えるわけではなく、子ども集団内での環境による影響も多くあるということなのでしょうか。これまでの研究を見ていても家庭での様子と外の様子とは違うと言います。子どもの攻撃性は家庭と外の環境とはまた違った見え方になっているのかもしれません。

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