心の中の集団性

ジュディス・ウォーラースタインのような臨床心理学者があれほどまでに確信をもって親の離婚は子どもにとってゆゆしい事態であると考えるのはなぜなのかハリス疑問に思います。それは社会心理学者ディヴッド・G・マイヤーズが指摘するように、実際ゆゆしい事態だからです。ただし、その理由はウォーラースタインが挙げたものでも、彼女が考えるようなものでもありません。

離婚はいくつかの点で子どもにとってゆゆしい事態となります。第一に、重い経済的代償を払うことだとハリスは言います。離婚した親の子どもたちは、普通、生活水準の急降下にさらされることになるからです。経済状態は彼らの住む場所をも左右しますが、どこに住むかは彼らに大きく影響するのです。つまり第二に新たな地域への転居を余儀なくされることです。中には何度も転居を繰り返すことになる子どももいます。第三に肉体的虐待を受ける可能性が高まることです。継父や継母と同居する子どもたちは、実の両親と生活する子どもたちよりも虐待を受ける可能性がはるかに高いそうです。そして第四に、離婚のために子どもが個人間で養った人間関係を断ってしまうことだと言います。

以前ハリスは、集団性と個人間の人間関係の違いについて述べていました。集団性が子どもたちの社会化を可能にするのです。私たちは粗雑な性格をもって生まれてくるのですが、それを暮らす文化によりふさわしいものとして形づくり、錬磨していかなければなりません。この作業は子ども時代にある集団、通常他の子どもたちによって形成される集団へと自分を順応させることの中で行なわれます。性格の長期的な改修作業や、生得的な社会的行動のパターンは、心の中の集団性の分野が司っているとハリスは言うのです。

個人間の人間関係を監督する分野は、性格に長期的な改修を施すことはありませんが、だからといってその分野が重要でないとは限らないのです。私たちが考え、思うとき、個人間の人間関係を司る分野は長期的な改修作業をうながす分野よりも身近で、より意識しやすいものとなります。個人間の人間関係は、その時々の気持ちや振る舞いを左右し、まるで屋根裏にしまいこんだ昔のラブレターの束のように、記憶として名残をとどめるとハリスは比喩しています。

個人間の人間関係は重要です。それは常に私たち人類にとって重要でありつづけてきました。だからこそ私たちは進化によって、個人的な人間関係を構築したい、そしてそれがそれなりにうまくいっていれば、それを持続させたいという欲求をいだくようになったのだとハリスは考えています。愛情や悲しみといった強い感情は力にもなります。スティーヴン・ピンカーは著書『心のはたらき』の中でその作用を説明しているそうです。

離婚とそれに先行する両親の確執は子どもを不幸にします。親子関係が破壊され、家庭生活が乱されるという不幸です。離婚が子どもたちに及ぼす影響を調べるときに臨床心理学者や発達心理学者が見ているのはその不幸なのです。離婚に関する研究では、子どもたちは家庭か、もしくは親と一緒に出かけた場所でインタビューを受けるのが普通だそうです。そしてさらに都合の悪いことに、研究者たちは子どもたちの行動を親の報告に頼っているのです。たとえ最良のとき、親が離婚騒動に巻きこまれていないときでさえ、子どもに関する親の報告は中立的な立場の観察者の報告とあまり一致しないようです。

心の中の集団性” への11件のコメント

  1. 離婚が子どもにとってゆゆしい事態となる4つの点があげられていました。経済的代償、転居による影響、虐待の可能性、人間関係の断絶という、どれもがベビーな問題である印象です。子どもは大人の所有物ではないですし、より良く生きていける子どもの権利もあるはずです。大人の都合で不幸になることはあってはいけないとは思うのですが、その大人も社会という未曾有で読めない存在の犠牲者であるのかもしれません。心の中の集団
    性が司っている長期的な改修に希望を見いだし、子どもたちに問題解決力や、落ち込んでも立ち直る力、しなやかに対象する「レジリエンス」の存在が重要になっていくのこなとも思いました。

  2. 今回のブログのタイトルを読まずに即本文にあたり、読み進めて行くと「心の中の集団性」という表現に出くわしました。聞き慣れない、見慣れない表現です。全文を読んだ後タイトルを確認するとズバリ「心の中の集団性」。原文ではどういう単語が使われているのでしょうか。まぁ、それはさておき、「離婚」が子どもに与える影響、この場合は「ゆゆしい事態」に関することが簡潔に表されています。子どもに与える影響と、その配偶者とどうしても結婚を続けられない事情とを比べたらどちらがより重大なのか。「子は鎹」とはよく言ったものです。子どものことを考えるならば、離婚はよそうということになるでしょう。子どもがいる親の離婚は甚だしい子ども軽視ということになりはしないか。その背景には子ども白紙論が厳として存在するような、そんな気もしました。子ども中心に考えるなら自分たち親は二の次存在でいいと思っています。「子にまさる宝なし」とも言われます。

  3. 子供に関しての情報を親のみに頼り得ようとすると、なかなか本来の情報を得ることができないでしょう。もちろん子供のことをよく理解しているのは親ですが、それ以上に理解しているのが本人なのですから。言語能力や知力の問題で子供から得られる情報が断片的であったり限定的であるならば、その情報から本質を見極める技術であったり、そもそも会話をしなくとも思考が読み取れるなどの技術が生まれたら今の常識が覆されるのでしょうね。

  4. 離婚が子どもにとってゆゆしい事態となる4つの点があげられていました。経済的代償、転居による影響、虐待の可能性、人間関係の断絶という、どれもがベビーな問題である印象です。子どもは大人の所有物ではないですし、より良く生きていける子どもの権利もあるはずです。大人の都合で不幸になることはあってはいけないとは思うのですが、その大人も社会という未曾有で読めない存在の犠牲者であるのかもしれません。心の中の集団性が司っている長期的な改修に希望を見いだし、子どもたちに問題解決力や、落ち込んでも立ち直る力、しなやかに対象する「レジリエンス」の存在が重要になっていくのこなとも思いました。

  5. 離婚による経済的代償の例、その代償の大きさがそのまま子どもに影響を与えるだろうことが想像されます。夫婦共同ローンで買った家は相手側が支払いを続ける形で引き取り、親権を得たこちら側は子どもを連れて賃貸マンションへと引っ越し、仕事は正規社員ながら一人暮らしの時とは支出があまりにも違うことに悩まされ、支払う約束の養育費は月毎に振込みが遅れ、と、大人がまともでいられなくなるような毎日の中で生活を余儀なくされる子どものことを思うと、胸の詰まる思いがします。間違った考えかもわかりませんが、どうしても離婚をしたい場合には次の相手を見つけておく、ということも一つあるかもわかりません。それは自分の為でもあり、また、子どもの為でもあるのですから。

  6. 今回の内容を読んでいくと、子どもにとって離婚はよろしくない事態だということが理解できます。四つに分けて分かりやすく書かれてありますが、その四つに勝る離婚する理由というのが思い当たりません。子ども中心に考えていくなら離婚はやはりしない方が得策だということになるのではないのでしょうか。

  7. なるほど、離婚によっておこる子どもたちの影響は離婚自体によっておこる影響ではなく、離婚によって生活水準の低い場所での生活や地域集団での生活、転居における子ども集団の変化や個人間で起きていた人間関係が断たれてしまうことにあるのですね。しかし、こういったことは離婚家庭によってだけではなく、例えば転勤が頻繁にある家庭の子どもなどそのほかの要因によって近い形で起こりうるものでもあるのかもしれません。また、これは最近感じるのですが、幼稚園などのクラス替えというのも、多少なりとも考えなければいけないように感じます。実際、自分の園でクラス替えを無くしたことで子どもたちの関係も余裕ができてきたように感じたり、その余裕は下の年代の子どもたちに向けられたりとします。そして、そこには明らかに社会があります。集団の中で社会はできていますし、これからの社会を見越すと多様性はより必要になってきます。こういった研究からこども集団のあり方は見えてきますね。

  8. 「重い経済的代償」というのは離婚することで大きな問題であることが伺えます。経済的に苦しくなるがゆえに治安の悪いところへ引っ越すことを余儀なくされ、人間関係の1からの再構築、そして継母、継父からの虐待の恐れと考えると確かに離婚ということに対してのリスクというのは非常に大きいことが伺えます。離婚ついてより考えるようになります。そして心の集団性についてはまだ理解が難しい印象を受けています。

  9. 離婚することで生じる経済的な問題、転居、虐待、個人間で築いてきた人間関係の断絶が子どもに大きな影響を与えるのですね。離婚そのものがではなく、離婚が起因になって生じる問題という見方も重要な部分でもあるかもしれませんね。「集団性が子どもたちの社会化を可能にするのです」とありました。集団の中に入っていくというのはそう簡単なことではないと感じています。時間もある程度はかかることですし、様々な他者とうまく関わっていかなければいけません。それが途中で転居という形で断然されてしまうと、社会性を築くというのは難しくなりそうですね。また少し話は変わりますが、「この作業は子ども時代にある集団、通常他の子どもたちによって形成される集団へと自分を順応させることの中で行なわれます」という言葉も印象的でした。自分を順応させる。このような感覚というのはとても大切なんだと思います。自分が軸ではなく、集団の中に入っていくという感覚が大切なのかもしれません。

  10. 人の内面は集団によって形作られていくことをより感じる内容です。社会や集団を考えた際、性格の異なる個々がそのままの状態でいたとしたら、まとまりを持つことは到底できないでしょうが、それを可能とするのが心の集団性ではないかと感じました。心の中の集団性の分野が司っている中には性格の長期的な改修作業が含まれているようですが、それは集団や社会に順応していくためには必要なものです。周りが変われば人も変わるということがあるように、遺伝的、生得的な性格でさえも、取り巻く環境や集団の作用によってその場に相応しいものに変化していくということではないかと思いました。

  11. 離婚によって子ども達に与えてしまう4つの代償が書かれていますが、中でも人間関係を断ち切ってしまうというのは、子どもにとって一番酷なことではないでしょうか。ブログのテーマが「心の中の集団性」ですが、子どもながらに集団への意識はもちろん持っているはずですし、安心基地である存在でもあるかと思います。それが断ち切られるというのは、本当に辛いことですね。子ども時代に社会性を学ぶとハリスが言っていますが、その重要な時間を大人の都合で奪ってしまうほど、離婚というのは大人の身勝手な行為です。

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