家庭での体罰

家庭での体罰は子どもたちの家庭での行動を悪化させるかもしれませんが、あるいはたんに母子関係や母親自身の生活全般が首尾よくいっていないことの徴候に過ぎないのかもしれないのです。子どもは母親が思っているほど悪いことをしているわけではないのかもしれないのです。いずれにしても、残る証拠を見るかぎり、家庭で体罰を受けている場合でも、それによって家庭以外の場所での子どもたちの行動が攻撃的になるとはいえないとハリスは言います。第一の研究を実施した研究者たちの結論、それは、親が子どもを叩くのをやめれば「アメリカ社会の暴力性は低減される」ということは、少々誇張されすぎた感があると言うのです。

もっとも、ハリスの言う体罰とは、正常な範囲で行なわれるもの、時折施される通常の体罰を意味しています。もちろん、「正常な範囲を超えた懲罰すなわち児童虐待でさえ子どもに永続的な影響を与えるものではない、などと言うほど私はバカではない。」と言います。

そこまでバカではありません。第一、激しい虐待は脳への損傷など身体的外傷を引きおこし、長期的もしくは永久的な影響をもたらすこともあります。また長期的影響としてPTSDという外傷後ストレス障害も起こりえます。

しかし、私たちがここで見てゆくのは多種多様な親の行動なのです。先に述べたような結果をもたらすほどは激しくない虐待に関しては、それが子どもたちに外の世界にまで引きずる心理的影響を及ぼすのかどうか、ハリスは確信は持てないと言います。及ぼすのかもしれませんが、それを裏づけるものは何もないのです。

もちろんそれに関する研究は数多いのですが。今まで報告されてきたものによると、虐待を受けた子どもたちは、あらゆる問題をかかえることになると言います。虐待とは無縁の子どもたちと比べて攻撃性が高いだけでなく、彼らはまた友人関係を築くのも、それを維持するのも苦手で、学力も思わしくないということは、根拠のはっきりしている所見だそうです。成人した暁には、自分の子どもを虐待する可能性も高いようです。これを「児童虐待の世代間伝承」と心理学者は呼んでいます。彼らの言う伝承とは、経験と学習を通してのもの、環境的手段による伝承を意味するのであって、遺伝子を論じているのではありません。

心理学者が遣伝子を論じることはまずないそうです。それがなぜだかはわからないとハリスは言います。もし彼らを問いつめれば、心理的な特徴はそのいくらかは遺伝したもの、すなわち親から子へと伝えられたものであることを認めない者はほとんどいないだろうと言います。ところがどういうわけか、彼らは研究中や論文執筆中には、そういう理解を思考体系から締め出してしまうようだ言います。彼らも今日では、子どもの行動は親の子に対する振る舞いを左右すること、子どもが親に及ぼした影響と親が子に及ぼした影響とを識別する方法はないことを進んで認めるようにはなっているそうです。ところが、親の行動と子どもの行動との間に確認されている相関関係のうち、遺伝に原因を求められるものがあるという可能性に言及しているのは行動遺伝学者だけだそうです。他の人々はそれに触れもしない、触れるとすればその影響を度外視するときだけだとハリスは言います。彼らの研究法では、何をしても、一つの可能性として遺伝の影響を排除することはできないにもかかわらず、彼らはいでんを度外視すると言うのです。

家庭での体罰” への4件のコメント

  1. 体罰に関しては、実のところ私はよく分かっていません。今回のブログでは「ハリスの言う体罰とは、正常な範囲で行なわれるもの、時折施される通常の体罰を意味しています。」とあります。この「正常な範囲」で行われる「体罰」は「脳への損傷など身体的外傷」「長期的影響としてPTSDという外傷後ストレス障害」を結果として伴わない体罰ということで、伴ったら「虐待」。まぁ、簡単に考えればそういうことなのでしょう。「心理学者が遣伝子を論じることはまずないそうです。」これは新鮮な発見です。しかも心理学者は遺伝を「思考体系から締め出してしまう」のですね。そして遺伝子を論ずるのは「行動遺伝学者だけ」。あるカテゴリーに属する研究者において往々にして観られる傾向ですね。時に研究者たちの専門性が私たちを混乱した方向に導く場合があります。いろいろな分野に関心がある私は学者の方から「その考え方は危険だ」と言われることがあります。何がどう危険なのかしっかり説明してもらえないままに。何がどう危険なのでしょう。

  2. 心理学と遺伝学は、相互に情報を分かち合い、影響しあうことは難しいということで、「総合学」という部署を作るしかないのでしょうかね。「臥竜塾」は、そのような総合学のような場でもあるように感じました。また、子どもの姿を見ていて、それに対する職員の対応は理念以外に「それまでに育ってきた環境」の影響が出ていることを感じます。その環境において、何がよくて何が悪いのか、そして、その悪いと思っていることは思っているよりも悪くはなく、その子の発達であるということを感じとってもらえるような関わりを最近考えるようにしています。児童虐待の世代間伝承。子どもは一番身近な大人の影響を受けやすく、その模倣は人類を残すための負の一面でもあるのでしょうか。

  3. 心理学者たちが遺伝を度外視するのは何か不利益があるからなのでしょうか。まるでダイエットのためには運動を取り入れることが必要であると知っているのに取り入れない女の子のようですね。彼女たちは、面倒だからという理由が主なのでしょうがもし仮に研究者たちがうわべでは堅い言葉で取り繕いながらも本質では彼女たちと同じ、または似通った理由で取り入れないのであれば、今後心理学の研究をみる目が変わってしまいますね。

  4. 心理学者の方々が心理学者になったのも、実は遺伝が関係していたとしたらどうでしょうか。努力家になりたくて努力する人はいないと聞いたことがありますが、努力できる才能や勤勉さ、ヒトの性質のそういったものも環境要因のみで説明できるとは思えません。むしろ環境要因のみで説明するとなると、それこそ白紙論を助長させてしまうことになるような気がします。ヒトは元々能力を持って生まれてくる、その能力の大元にあるものは、そのヒト個人の特性と、そして遺伝なのではないでしょうか。

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