厄介な存在

なぜ親は子を虐待するのでしょうか。その理由の一つは精神病にあるのかもしれません。精神病には一部遺伝するものがあり、家族の、それも養子縁組による家族の中ではなく、生物学的につながりのある家族の中で、血筋に沿って流れていきます。

おそらく虐待する親のうち、精神的に病んでいる者は少数にすぎないと言います。ところが、それよりも多くの人々が今やすっかり聞き慣れてしまった性格的特徴を備えているようです。攻撃的、衝動的、怒りっぽい、飽きやすい、他人の気持ちに鈍感、自分の身のまわりの管理が苦手などです。そのような親たちは自分の子どもの管理にも手こずる場合が多いようです。運悪くそのような人のもとに子どもとして生まれてきてしまったら二重の災難に見舞われたようなものだとハリスは言います。惨めな家庭生活と、家庭外の世界で成功するチャンスを低減させてしまう遺伝的な授かりものなのですがう。シンデレラは惨めな家庭生活を送りましたが、彼女を虐待した継母からはいかなる遺伝子も受け継ぎませんでした。この昔話には、運よくよい遺伝子さえ受け継ぐことができれば、あなたは立派な人間になれる、逆境に打ち勝つことができるというメッセージが隠されていたのです。『オリヴァー・ツイスト』も同じメッセージを伝えています。小説に登場する悪党は結局、オリヴァーの邪悪な異母兄弟、邪悪な母親の息子だったのです。オリヴァーには別の母親がいたのです。彼女はオリヴァーのようにやさしい人だったのです。このような話はもはや政治的に正しくないとハリスは言います。なぜなら公平さに欠けるように思われるからだと言うのです。実際、公平ではないのです。

公平ではないのは、虐待が行なわれる家庭の中で、一人だけに被害が集中することです。もしこの子どもが虐待家庭から引き離され、里子に出されたとしても、その子がふたたび被害に遭う可能性はあるのです。ある決まった特徴、たとえばかわいくない顔や、難しい性格などは、虐待の被害に遭う危険性を高めてしまうと言うのです。また被害者にはある特定の特徴が欠けていることも考えられると言います。不思議なのはなぜ虐待される子どもがいるのかではなく、なぜ子どもたちのほとんどは虐待されずにすむかということだと言うのです。子どもとはまことに厄介な存在です。腹が立つことも多いのです。それにもかかわらず、ほとんどの親は自分の子どもを傷つけることはありませんし、ほとんどの子どもたちは被害に遭うことはないのです。自身が子ども時代に虐待されていた人間の子どもたちですら例外ではないのです。進化によって子どもたちには私たちに怒りを和らげる特徴や徴候が与えられているのです。それにより私たちは彼らを守ってあげたいという気持ちになり、自分の子どもたちに対しては愛情をいだくのです。中には、彼ら自身に責任はないものの、これらの防衛装置を持たない子どもたちや、持ってはいても正しく機能できないほど弱い状態で保持している子どもたちがいるのです。

さらに公平さに欠けるのは、家庭で被害に遭っている子どもたちは仲間の間でも敬遠されがちであることだとハリスは言います。どこへ行っても被害者になってしまう、そんな子どもたちがいるのです。もし彼らが立派な人間になることができなかったとしたら、その原因は家庭での経験に求めるべきか、それとも公園での経験に求めるべきでしょうか。心理学者はその答えを持っていませんし、そう問うこともありません。彼らはただ家庭がより重要であると仮定するだけだとハリスは言うのです。

厄介な存在” への9件のコメント

  1. 精神病の中にも遺伝するものがあるのですね。それ以外にも、性格的特徴という、子どもの行動を受け止めきれない、把握することが難しい気質であればあるほど、虐待へのリスクは高まる。そのような状況下では、周囲の助けなしには改善することは難しいですし、そのままでは本人負担が増すばかりで悪化の一途をたどるのみです。子育てがしにくい時代という、人間関係の希薄さなどが関連して、虐待件数が増えていることに繋がっているのですね。俗に言う「厄介な存在」であっても、今度は厄介さをプラスに変えられる社会や時代になっていくのでしょうか。それとも、そのような存在は社会から隔離され、一生を過ごすことが良いのでしょうか。その中間を探ったり、世間がそれに対して問題意識を持つことから解決の糸口は見つかるのでしょうね。

  2. まずは遺伝的な特徴。遺伝的特徴が理解できるなら、子どもは「厄介な存在」にはならないような気がします。わが子を見る限り、私の遺伝子を相続しているのでしょうが、実際のところ、亡くなった私の父の遺伝子をもろ引き受けているかのようです。その振る舞いが私の父親そっくり、という感じですね。「ほとんどの親は自分の子どもを傷つけることはありませんし、ほとんどの子どもたちは被害に遭うことはないのです。」確かに虐待事案は非虐待事案に比較して少ないということは事実でしょう。少ないからこそニュースにもなると思うのです。これが日常茶飯事ならいちいちニュースにならないでしょう。それから子どもが引き継ぐ親の遺伝子はその性格上、他の子と比較して「公平」にはならないでしょう。二卵性双生児でも性格は必ずしも似通わない。似ているところは無論あるでしょうが、実際はそれぞれ。福沢諭吉の平等論も極めて抽象過ぎますね。私たちの生は「公平」ではない。だからこそ「ばらばらでいっしょ」のフレーズが重大な意味を持つのでしょう。

  3. 子供は大人にたいして防衛機能をもって生まれてくる。この考え方は今まで持ち合わせていませんでした。もちろん、乳児にたいして大人はかわいいという感情を自然に抱く、もしくは抱かせやすいいでたちを乳児がしているというのは知っていましたが、子供自信の機能としてあるという考えをしたことはありませんでした。この考えからすると、姉妹で虐待を受けるケースを考えた場合、防衛機能すらも遺伝するということでしょうか。そう考えると虐待を受けた子供は虐待をするというケースのつじつまがあうような気もします。

  4. 「仲間の間でも敬遠され」、「どこへ行っても被害者になってしまう」子たち、その理由を家庭に求めるということは、イコール「家庭がより重要であると仮定するだけ」、つまり子ども集団をないがしろにした論点に落ち着いてしまう、と解釈できます。家族環境も遺伝もその占める要素は無ではないながら、これまでのハリス氏の主張を顧みると、子ども集団以上の重要度を持っているとは思いにくく、また実際に持っていないのでしょう。休み明け、園の子どもたちは普段以上に賑やかです。休み中にあった楽しいことを共有するからでしょうか、それとも楽しくなかった気持ちを晴らしたいからでしょうか。どちらにしても子ども集団の中に子どもたちならではの安らぎがあるのだろうということは、表情によく出ています。

  5. 〝私たちは彼らを守ってあげたいという気持ちになり、自分の子どもたちに対しては愛情をいだく〟とあります。このことからいわゆる〝親バカ〟となるのは子どもがそのようにさせている、仕向けているのだろうと思いました。そして、防衛機能は遺伝してしまうのであれば、極端に弱い防衛機能しか持っていなかった子どもの子どもは弱い防衛機能が遺伝してしまうと考えていいのでしょうか。もしそうであれば、虐待行為が遺伝するだけに留まらずに子どもの防衛機能の方にもその要因が認められるということになりますね。

  6. 虐待を考えるなかで「なぜ子どもたちのほとんどは虐待されずにすむか」という視点はこれまで考えたこともなかったです。虐待がなぜ起こるかではなく、なぜ虐待が起きないかを考えることも大切ですね。子どもを「厄介なもの」として感じる反面、その子どもたちを愛情をもって接することができるのも人間です。しかし、その反面、どこへ行っても被害者になってしまう子どももいるのですね。家庭においても、仲間集団内においても、被害者になってしまう子どもたちに対して心理学者は家庭がより重要と仮定するだけとあります。これまでの内容を見ていると家庭だけに原因があるということではなさそうです。家庭とそのほかの環境とで見せる顔が違うということが言われていました。ということは、家庭だけに問題があるというのは違うのでしょうね。

  7. 「不思議なのはなぜ虐待される子どもがいるのかではなく、なぜ子どもたちのほとんどは虐待されずにすむかということだと言うのです」という考え方をするのですね。少し見方を変えることで、よりクリアになるということでもあるのかもしれません。「進化によって子どもたちには私たちに怒りを和らげる特徴や徴候が与えられているのです…自分の子どもたちに対しては愛情をいだくのです」とありました。この気持ちは本当によく分かります。自分が親になって、こんなにも子どもは愛おしい存在なのかという感情を抱かせてもらっています。同時に、園の子どもに対する思いというのも変化がありました。自分と同じように子どもを愛おしく思っている、親御さんの子どもたちなんだと思うと、子をもつ前と後では全く違う感情で接するようになりました。

  8. 私には3人の息子がいますが、どの子もなかなかに厄介です。どうしてこんな風になってしまったのだろうかと途方に暮れることもしばしばありますが、それでも言葉では言い表しがたい可愛さと愛おしさを持っています。その部分こそが進化によって与えられているという怒りを和らげる特徴なのでしょうね。これもある種の生存戦略の賜物であり、子どもが自らの育ちを保証するための力であることが分かります。ただ、その特徴を持ってはいても正しく機能できないほど弱い状態で保持している子どもたちがいるということはしっかりと押さえておかなければなりません。虐待は間違いなく正しいことではありませんが、その要因については単純なものでなく、遺伝も含め様々な因子が複雑に作用していることも理解しておかなければと思います。

  9. 藤森先生の進化論から考えると人を傷つける行為自体おかしなことで、いくら他人に腹が立ち、怒りを覚えても、その人を傷つけてしまおうという行為までは達しないと思います。しかし人が狩りで使う剣や弓を発明することで、それが獲物ではなく対象相手が人に変わっていったのは確かなことです。それは自分の身を守るため、それこそ自分の家族を守るために相手を傷つける事をやむ終えずしてしまうのは、仕方がないのかもしれません。それが自分の身内に手を出してしまうというのが今回の大きな問題ですね。いくら我が子に腹が立ち、怒ったところで次の日にはスッキリしています。それが家族というか親子の関係だと思います。しかし、その当たり前が崩され、虐待が起きてしまうのが今でも信じられません。どんなに可愛くなても、親はそれらを度外視して子を守る存在と勝手に思っていましたが、それも刷り込みなのでしょうか・・・。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です