体罰と児童虐待

家庭生活が破壊されると、家庭での子どもの行動も破壊され、それは家庭にともなう感情にも波及するようです。こうした変化こそが研究者の目に止まるのだとハリスは言います。親の離婚が家庭外での子どもたちの生活にどのような影響を与えるのかを調べるためには、そのデータを家庭とは別の場所で収集する必要があり、さらに正確を期するのであれば、公平な、すなわち子どもたちの家庭状況に関しては無知である人が観察者となるべきだとハリスは考えているのです。こうした条件下では、前述の行動遺伝学的データから判断するかぎり、親の離婚は家庭以外の場所での子どもたちの行動には影響せず、そして性格にも永続的な影響は及ぼさないという結果を見ることができるだろうと言うのです。

最近、体罰と児童虐待についての記事を目にすることが多くなりました。ハリスは、この話題を取り上げようと思っていますが、どうしてもこの話題は戦慄を禁じえないと言います。ハリスは、直接ハリスの考えを知ることによって誤解されるとは思っていませんが、彼女の説明を聞かないで、人づてに聞くだけの人に対して心配しています。それは、言葉は間違って引用されることもあれば、一人歩きすることもあるからです。人は思ったことも、表明したこともないことについて公然と非難されることがあります。同じ非難にさらされるのであれば、実際に思っていることを非難されたいと言います。これは、私の何度かそんな思いをしたことがあります。直接聞いたり、直接意見を交わしての批判であれば受け入れることができるのですが、言葉尻をとらえて批判されることがあります。新しい考え方を提案するときは難しいですね。ハリスは、だからこそ、彼女の意見を明確にしようとしています。

第一に、子どもを殴ったり、怪我や長期にわたる苦痛を負わせたりしていいとは思っていません。第二に、時折子どもを叩くこと、それが適時に、そして体の適切な場所に施されるものであれば、子どもを傷つけるとは思ってもいません。

体罰はかつては世界中の親が用いる手段であり、アメリカの家庭の大半でも用いられていました。それは人類以外の種でも見ることができるようです。親の行動としてはじめから備えつけられているものだとさえ感じるくらいだとも言います。しかし、彼女がそれについて説明しようと思ったのは、育児相談の専門家たちによって押しつけられた罪悪感から親を解放することだそうです。時折カッとなり、子どもを叩いてしまったとしても、あなたが子どもに消えることのない傷を残してしまったことにはならないと言います。その一方で、あなたと子どもとの関係が損なわれてしまった可能性はあります。子どもに対して不当な態度をとったときに、子ども自身がそれを見抜くだけの年齢に達していれば、子どものあなたへの評価は下がります。すべての責任を逃れることはできないのだと言うのです。

育児相談の専門家たちは、子どもたちのあなたへの評価が下がるから子どもに手をあげてはならぬと警告しているわけではありません。子どもを叩くのがなぜ悪いのか、彼らに言わせるとそれは子どもたちをますます攻撃的にするからだと言います。

この論理には説得力があります。子どもに体罰を与えることは、その子どもに攻撃的な行動の手本を見せることになるからです。人を自分の思いどおりに行動させるためには人を傷つけてもかまわない、あなたは自分の子どもにそう教えることになるというのです。

体罰と児童虐待” への10件のコメント

  1. 児相への相談件数は年々増加しているという背景には何があるのでしょうか。かつて体罰が、世界中の親が用いる手段であったことから、それをよしとしない風潮ができたということ以外に、何か問題がありそうな気もします。これまでで一番、世間は虐待というものに敏感になっています。そのような中、親が抱いてしまう罪悪感からの解放を意識した研究結果を導き出したりなど、行き過ぎた社会を戻すという役割が「研究」にはあるようですね。以前、「お母さんの解放」を掲げている活動家の方にお会いしました。その方は、「今の時代はお母さんがとても窮屈。愛のある前提で、もっと自分らしい楽しい育児をするべき」と言っていました。確かに、世間が求める子育て方式に縛られている世の中なのかもしれません。

  2. 幸い親に叩かれて育った経験がないので、他人を叩くという行為が実のところよくわかりません。残念ながら、ビンタされた経験は数度あります。そのほとんどが「先生」と呼ばれる人たちからです。私は相当生意気な生徒だったのでしょうね。わが子を叩くことなくこれまでやってこれたことは幸いなことだと思っています。「しつけ」と称して子どもの頭をポカポカ叩く、あるいはもっとひどいことをして子を死に追いやる。つい最近もそうした悲劇が起こりました。やられた子はやる大人になるでしょう。「子どもに体罰を与えることは、その子どもに攻撃的な行動の手本を見せることになるからです。」まさにこの通りですね。中学校が荒れた時期がありましたね。今もどこかでそうなっているか・・・。おそらく小さい頃に体罰によって行動を制御された子たちがその時期そうした行動に及んだのかも。まさに見せられた手本を実践に移したのでしょう。そんな気がします。

  3. 身に覚えのないことで避難される、言葉尻をとらえて批判する、これはよくマスコミが行っているのを目にしますね。最近で言えばトランプ大統領の鯉の餌やりシーンがそうです。一部だけを見て物事を判断してはいけない。わかってはいても目でみたものを信じてしまいますが保育の場面でも子供の目に余る行動もそのうらに隠された要因がありということが多々あります。もちろん出来るだけ前後の出来事も知るように心がけてはいますが、なかなか難しいです。

  4. 〝人は思ったことも、表明したこともないことについて公然と非難されることがあります〟とありました。自分には身に覚えのないことなのに、さも自分が言ったように世間の中で解釈されるということが実際にあるのですね。同じようなことでフェイクニュースというのも最近聞くようになりました。いずれにせよ、受け取る側の自分たちはどんな態度や考えで受け取らなければならないか、ということを思います。

  5. 「この話題は戦慄を禁じえない」それを承知の上で触れていく勇気、というのでしょうか、子ども研究の性質上触れねばならない課題へもハリス氏のこれまでの知見、そこから生まれる見解でもってして、読み手を納得へと導くようですね。
    それにしても体罰がこのように因果応報の形をとるという見解は驚きでした。文化の中に浸透している場合に、体罰の加害者は加害者意識なく体罰を行なっている可能性があります。被害者も被害意識がない場合、少しずつ加害者との距離が開いていくその原因が体罰にあるとは思ってもないかもわかりませんね。時代の進歩と共に子育ても進歩、進化していく中で、なくなっていくものなのでしょうか。「最近、体罰と児童虐待についての記事を目にすることが多くなりました。」この矛盾のような現代の子育てにまつわる現状を、どう打開していけるものなのでしょうか。

  6. 今回は体罰と親との関係が内容になっています。「体罰」は「親の行動としてはじめから備えつけられているものだとさえ感じるくらいだとも言います。」とあります。確かにそういった側面がありますし、時代によっては当たり前であったことはありますね。しかし、最近では体罰は否定されいます。そのわけが今回書かれています。「時折カッとなり、子どもを叩いてしまったとしても、あなたが子どもに消えることのない傷を残してしまったことにはならないと言います。その一方で、あなたと子どもとの関係が損なわれてしまった可能性はあります。」このことは言えますね。以前、1歳児や2歳児の保育でのひっかき・噛みつきも言葉が出ないのではなく、衝動で出てしまうものであり、そもそもその行動自体を無くしていかなければいけない。と言われていたのを思い出しました。信頼関係を無くすというよりも、その手本を教えてしまう行動になるのですね。喧嘩や悪いことを教えるために体罰を教えることは子どもの攻撃性を増やすのでは、まったく本末転倒ですね。気を付けなければいけないわけですね。

  7. 「人を自分の思いどおりに行動させるためには人を傷つけてもかまわない、あなたは自分の子どもにそう教えることになるというのです」というのはとても重い言葉です。人を自分の思い通りに行動させようとすることもよくないことですし、そこに暴力という恐怖を与えて、制しようというのは冷静に考えればとんでもないことだなと思います。しかし、体罰を肯定する人たちは愛情でもあるという表現をしますが、他者に暴力をはたらいている人の心情というのは果たして冷静さがあるのでしょうか。自らの行動を制御することができないがために及んでしまう行為のように思えてなりません。そんな大人にはなりたくないですし、それを子どもに見せたくはないです。

  8. 「人を自分の思いどおりに行動させるためには人を傷つけてもかまわない、あなたは自分の子どもにそう教えることになる」これは本当に気をつけたいことです。基本的に親は子どもを殴ったり、怪我や長期にわたる苦痛を負わせたりしていいとは思っていないはずです。しかし、今日のように体罰が後を絶たないのは何故なのでしょうか。人によってはその行為に愛があるのであれば問題はないという人もいます。しかし、いくら愛があったからとはいえ、暴力は暴力に変わりはないはずです。結局は体罰を振るう親もその経験があり、自分の受けたことをそのまま行動に移しているのかもしれません。やはり暴力からは何も生み出さず、自制心を持って自己をコントロールする先にこそ、子ども、そして他者に対して本当に取るべき対応というものがあるように思えます。

  9. 高校の時に部活で指導をしてもらった顧問の先生は体罰的な事はもちろんありませんでしたが、なかなか厳しい指導方法でした。それが染み付いているのか大学に進学し部活で後輩に教える時に意識しているわけではありませんが、高校の顧問の先生と似たような指導方法をしていることに気づいた時がありました。それと育児が全く同じと言うわけではありませんが、何か似たような感覚がある気もします。自分の家庭での育ちというのは自然と体に染み付くもので、癖みたいなものなのかもしれません。だからこそ、親の我が子への態度は本当に気をつけないといけないですね。

  10. 体罰に対しての考え方として根本の所は変わりませんが、この説明を受けることでより明確になるような印象を受けます。「子どもに体罰を与えることは、その子どもに攻撃的な行動の手本を見せることになるからです」という部分では体罰に限らずそういうモデルを示すのが我々の役目であります。まさに体罰の所に焦点を当てていますが、同じですね。しかし、説得力があるというのは同感です。ただ、児童虐待をしている親というのはそこまで考えが及んでないとうのも現状なのですかね。

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