アドバイザー

長年この話を信じ、よかれと思い、拙著である児童発達の教科書の読者たちにもそれを伝えてきました。だがいっぽうで子どもたちにはしてほしくないし実際にしないような他の多くの行動、たとえば好き勝手に出かけるなどの手本を提供したおぼえもありません。さらに、彼らにはしてほしいが実際にはしないようなこと、たとえばブロッコリを食べる習慣などの多くの行動に関する手本は提供していたはずなのですが。

子育てのスタイルは、育児アドバイザーの世代交代によってめまぐるしく変わることがあります。新興勢力は既成のものとは何か違ったことを発言しないとこの業界では生き残れません。ところが、アドバイザーたちはすべての人種民族から同じように支持されているわけではありません。アメリカのような国は多くのサブカルチャーをかかえ、子育てに対する考え方は部分的には、どのサブカルチャーに属するかに左右されます。アジア系アメリカ人やアフリカ系アメリカ人はヨーロッパ系アメリカ人のアドバイザーの発言にはさほど介意せず、ゆえに子どもに体罰をくわえることへの抵抗感が少ないようです。中流ヨーロッパ系アメリカ人は現在では体罰を慎み、その代わりにタイムアウトを好んで使うそうです。タイムアウトとは、部屋の隅などに子どもを何分か座らせておくお仕置きです。ハリスは、明るい栗毛色の髪をした幼い男の子が地元のスーパーマーケットで棚の間を走りまわっているところに遭遇したことがあるそうです。通路の長さの半分くらい遅れて追いかけていたのがその父親でしたが、「マシュー、タイムアウトが待ってるぞ!」と叫んでいたそうです。

黒人の親たちはこのようなしつけには冷ややかだそうです。彼らは「タイムアウトなんて、白人たちのためにあるようなものよ」とインタビューでは語っていたそうです。

白人はあまりに軽々しく物事を信じてしまうのかもしれないとハリスは言います。懲罰に関する研究、アドバイザーたちが助言の根拠とする研究のほとんどは、離婚した親をもつ子どもたちに関するジュディス・ウォーラースタインの研究同様、役立たずだと言うのです。役に立たない理由の一つは、研究者たちがサブカルチャーによって育児スタイルが違うことを考慮していないからだと言います。

マイノリティーである民族集団や低所得層の多い地域に住む親ほど子どもに体罰を与える回数が多いことは十分すぎるほど実証されているそうです。すべてではありませんが、これらの集団の中には、子どもたちの行動がより攻撃的で問題を起こす回数が多い集団もあるのです。こうしたサブカルチャーの違いは、研究者が求めている「もたらすであろう結果」と勘違いされてしまいがちだと言います。中流階級の白人の子どもたちは体罰を受けることも少なく、攻撃性も低い傾向にあるため、中流階級の白人地域の子どもたちと低所得の黒人地域の子どもたちとをいっしょくたにすると、体罰を受ける頻度と攻撃性との間に相関関係が認められることはほぼ間違いないのです。もっともその期待もあまりに多くのアジア系アメリカ人が被験者として含まれていると打ち砕かれてしまいます。なぜなら、これらの親は体罰を辞しませんが、子どもたちは攻撃的にならないからです。

アドバイザー” への6件のコメント

  1. マイノリティーであるということが、体罰を与える回数が多いというのはどうしてなのでしょう。自分が社会から認められにくい、自分を表現しにくいという感覚が、体罰として表出してしまうとかあるのでしょうか。そういう集団や地域で育つ子どもたちは、様々な好ましくない体験をするのかもしれません。その様な環境下にいる大人は、アドバイザーと言われる方の意見に耳を傾けることやその意見を耳にすることはあるのでしょうか。去年、イタリア都市部の地下鉄で、1歳を過ぎたくらいの子どもにハーネスをつけている家族を見かけました。子どもは車内で泣き叫び、保護者も必死に泣きやませようと紐を引っ張ります。子どもは歩き回りたいという時期であるということや、大人の移動しなくてはならない理由、そして、その光景を眺めている周囲の人々。アドバイス一つをとっても、その方の背景や状況を理解した上で考えなくてはならないということを感じました。

  2. 子育て、と一口では言えない困難さを「サブカルチャー」というバックグランドから感じました。子育ての方法はサブカルチャー毎に特徴がある、一律ではない、ということを私たち保育に関わる者は認識しておかなければなりません。つまり「多様性」の存在を認識しておく必要があるということです。自分の子育てを絶対化しないことはもちろん、自分たちとは異なる文化背景を持つ人々を自分たちのカルチャーに同化しようとすることはそもそも人権侵害に繋がりかねないということです。今回のブログには「タイムアウト」が明確に定義されています。「子どもを何分か座らせておくお仕置き」すなわち罰なのですね。よくわかりました。ところで親による体罰と子どもの攻撃性の相関についての記述にはなるほどと思わされました。そして「アジア系アメリカ人は、親は体罰を辞しませんが、子どもたちは攻撃的にならない」という部分にはまさにカルチャーを感じます。

  3. 体罰は悪だ。現在では体罰が及ぼす悪影響が細かく分析、解説され、それが子供にとってよくないことであるということが周知の事実となっています。現実に、私も学生時代にはよく殴られていました。もちろんこれは体罰を肯定するわけではありませんが、体罰をした教師たちが一概に悪い教師だったかといわれると今振り返ってもそう思える教師はほとんどいません。むしろ優しく、自分達のことを思ってくれていたいい教師だったと思うほどです。子供に手が出てしまう要因は数多くあるでしょうが、その一つに教える技術の不足があげられると思います。体罰の不必要性が提唱されている今、自分が手が出てしまいそうなシチュエーションになったとき、それをカバーできるような技術をつけたいと思いました。

  4. 時代によってアドバイザーのアドバイスが様々になってしまうことが理解できます。新しい見解は今までの見解を覆すようなインパクトが必要なのでしょうし、またインパクトがなければ新興勢力と呼ぶ程の力を持てないものなのかもわかりません。しかしながらインパクトのみを追い求めた主張、本質の追求に至れていない主張は最終的には淘汰されてしまうでしょう。全ての文化に適応する子育て観、それを追求するが為に先生はその答えを人類の歴史、人類の進化に求めるのですね。

  5. 体罰に関する考え方についても「サブカルチャー」が違うことで少しずつ異なるということなんですね。そのように考えると、今と昔の日本のサブカルチャーは少し変わっているのだと思います。体罰は悪だと今の社会では言われていますが、昔はそれほどでもなく、むしろ当たり前くらいのものであったように思います。サブカルチャーが違うというよりも研究が進んだということでもあるのでしょうが…。教師やアイドルなどのポジションも変わってきているなど、子育てというものも時代とともに変化するものの中の一つであり、たくさんの要因が関係して形作っているものであることを感じました。

  6. 体罰における考え方は日本でも大きく変わっていますし、世界的に見てもその変化は大きいことだと思います。また、体罰の考え方にサブカルチャーも関わってくるのですね。特にアメリカにおいては様々なサブカルチャーがあるがゆえに、子どもの価値観も違っているでしょうね。私自身は体罰ということをありがたいことにそれほど経験したことはなかったのですが、私の友だちの家庭によってはまだ体罰による躾が行われているということがあった時代です。そのほか、アドバイザー如何によっては子ども観が大きく変わってくることはよくあることです。最近でも「褒める育児」ということが言われていましたが、やみくもに褒めることが良いこととは思いません。体罰においても前回のブログには攻撃性が増すということがありましたから、絶対にいけないことではあります。しかし、その子どもの人生には影響はないともありました。「子どもにとって」というのを保育をする上でかんがえますが、それは「子どもの生きる力」のためであります。おそらく親にとって、アドバイザー的な立場にもなりかねない私たちの仕事においても、しっかりと本質の部分を見ていく必要がありますね。

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