ハリスは、彼女の元同僚のディヴィッド・リッケンが語った別々に育てられた双子に関しての実話を紹介しています。二人は乳児期に離ればなれになった一卵性双生児であり、それぞれ別の養父母の家庭で育てられました。そのうちの一人はコンサート・ピアニストになり、その腕前はミネソタ・オーケストラをバックに独奏を披露するほどでした。もう一人は、音符すら読めませんでした。
彼女たちは同じ遺伝子を持っていることから、この格差は環境によるものに違いありません。確かに養母の一人は家でピアノ教室を開いている音楽教師でした。もう一方の双子を引き取った親は音楽とはまったくかかわりがありませんでした。
ただ一つ意外なのは、コンサート・ピアニストを育てたのは、音楽とかかわりのない親の方であって、ピアノ教師の娘は音符すら読めなかったのです。
ディヴィッド・リッケンは臨床心理学者としてその経歴をスタートさせ、心理学のさまざまな分野において大いなる貢献をした人物です。その彼は親が子どもの人生を形作るという考え方を貫いているそうです。彼はこのちぐはぐな双子のパラドックスを次のように説明しているそうです。
「ピアノ教師であるほうの母親は、レッスンは行ったものの、強要はしなかった、その一方で、もう一人の養母は自分自身が音楽の才能に欠けることもあり、娘にはピアノを習わせ、それを最大限に生かそうと固く決心をしていた。幼い娘のために、彼女は環境づくりに確乎不抜の信念で臨んだ。」
音楽の才能に欠けていた母親は娘にピアノを習わせ、しっかりと練習させました。もちろん生得的な才能もあったのでしょう。母親が熱心だからといって、皆がコンサート・ピアニストになれるわけではありません。しかし、熱心な母親に恵まれなかったら子どもの才能も無駄になってしまうでしょう。こだわりのない母親をもったもう一人の双子は音符すら読めないのです。
ここでその反例としてハリスは自分の娘の話を例に出しています。上の娘はミネソタ・オーケストラとの演奏経験はないものの、ピアノはかなりの腕前で、高校のコーラス部の伴奏を務めるなど、人前での演奏も多かったそうです。まるでこだわりのない双子の母親同様、ハリスは娘に、同じ地域に住む先生からピアノを習わせたものの、強要はしませんでした。熱心な母親とは違い、むりやり練習させたことは一度もなかったそうです。彼女は自らビアノに向かっていたのです。もしハリスが練習のことで口うるさく言っていたら、うまくはいかなかっただろうと振り返ります。ピアノ自体をやめていただろうと思っているそうです。彼女の娘はそのような子どもだったのです。最近になり、彼女にピアノをつづけたいという気持ちを駆り立てていたのは何かと聞いてみたところ、彼女はこう答えたそうです。「ピアノが楽しかったし、うまくなりたかった。それで練習したらうまくなったというわけ」。好きこそ物の上手なれです。
ハリスは娘にむりやりピアノを習わせることも、練習させることも、それをしきりに勧めることさえしませんでしたが、ハリスの家は多少なりとも音楽的な家庭ではあったようです。ハリスの娘が子どもだった頃はハリスもコーラスに入っていて自宅でリーサルを行なうこともあったそうです。今日、娘はもっぱら弾き語りを楽しんでいるそうです。余暇に声楽を習い、コーラスでも歌っているそうです。