集団のアイデンティティ

ハリスの下の娘は13歳にしてタバコを吸っていたそうです。彼女が言葉を話すようになって以来、ハリスが反タバコ主義を吹聴しつづけてきたのにもかかわらすです。ハリスはかなり如才なくやってのけているつもりでいたそうです。その不快さを強調し、健康を害することについてはさほど触れなかったそうです。それで効果はなかったと言います。彼女は落ちこぼれ集団に属していましが、そこでは喫煙は当然のことだったのです。それが集団の規範だったのです。仲間からの圧力ではと思うかもしれません。ところが、心理学者シンシア・ライトフットが話を聞いたティーンエイジャーたちによると、それは「まったくのでたらめ」だといっています。その一人は飲酒をはじめたいきさつを次のように語っているそうです。

「自分がどれだけすばらしい人間であるかを何とか皆に示そうとし、その最も有効な方法は、もし他の誰もがお酒を飲み、それを当然のこととして皆が考えているのであれば、自分も彼らと同じ価値観をもち、認められるべき存在であることを証明するために同じ行動をとることだ。同時に仲間たちからの圧力というのは、まったくのでたらめだ。学校に人学してからというもの、仲間たちの圧力については、誰かが私のところに来て“ほら、これを飲みな。かっこよくなれるぜ”と言うものだと教えられてきた。だが、まったくそんなことはなかった。」

ライトフットがまとめているように、「仲間からの圧力というのは、従うことを強いられるというよりは、集団のアイデンティティに関連する、もしくは関連するであろうと思われる経験に自分も参加したいという願望に近い」。ティーンエイジャーが集団の規範に従うことを強いられることはまれです。そんなものははるか昔、子ども時代に卒業しているのです。

タバコを)吸うティーンエイジャーたちは喫煙する仲間をもつだけではありません。大概、その親も喫煙者です。心理学者もそうでないものも、ほとんどの人はティーンエイジャーの喫煙に親の姿を見ます。子どもは、喫煙は大人のやることだと思うようになり、ゆえに自らもそれをやりたくなると考えます。ハリスは、以前、ヤノマミ族の男の子がペニスを結びつける理由を説明した同様の仮説に異議を唱えていました。喫煙はペニスを結びつける習慣よりも複雑な習慣ですが、一つだけ大きな利点があると言います。それはデータが豊富に揃っていることだとハリスは言うのです。

以前はアメリカの多くの地域でタバコは大人文化の一つとして受け入れられていましたが、同様に子ども文化の一つとしても受け入れられていたのです。ティーンエイジャーたちも喫煙をはじめましたが、それは同年代の子どもが皆そうしていたからなのです。親は反対するにもやんわりと諭すだけでしたし、それすらしない親もいました。ヤノマミ族の間でペニスを結びつける習慣が受け継がれたように、喫煙は文化の他の側面と同じように受け継がれていったのです。

もはやそのような形では受け継がれません。大人のほとんどが喫煙するようなアメリカの地域社会はめずらしくなり、親自身は喫煙しても子どもの喫煙を認める親は少なくなったからです。今日、喫煙はむしろ思春期の子どもたちの団結心を象徴するものとなってしまったのです。高校の中の特定の仲間集団への忠誠心の象徴、いい子ぶりっ子やガリ勉たちのような他集団への軽蔑心の表われ、そして大人が何を考えようと、大人の規則なんてくそくらえだという意思表示なのです。お揃いのジャケットを着用することで、自分がどのギャングの一員であるかを示すようなものなのです。頭のてっぺんを小さく丸く剃ってしまうことで、どの部族に属しているのかを示すようなものなのです。

集団のアイデンティティ” への10件のコメント

  1. 私が飲酒や喫煙をし始めた頃のことを思い出してしまいました。私の祖父も父も飲酒喫煙常習者でした。だから私も始めた、わけではありません。祖母も母も祖父、父のそうした習慣を大変忌み嫌っていました。私はそれを知っていたのですが、結局始めた。友だちの責にするわけではありませんが、タバコは確かに勧められるままに吸い始めやがて常習化しました。しかし、この習慣は藤森先生のおかげで止めることができました。飲酒も友だちと始めました。これは今、常習から脱しつつあります。まぁ、それはともかく。「集団のアイデンティティ」は飲酒喫煙を始めた頃の気分を言い表しているような気がします。悪いということは知っていましたが、始めてしまった。「仲間からの圧力」では決してなかった。親がそうしていたからでもなかった。今考えると何とも説明しがたいことではありました。友達との絆、のような美化と当時は思っていたかも。ところで、わが子にはタバコだけは絶対にやらないようにと伝えています。果たしてどうなることやら。

  2. その集団に所属しているのだ、という格好のアイテムになっているようですね。その殆どが大人が目を覆いたくなるような、未成年が手を出してはならないと法律で決められているようなものだったりしています。大人にとっては嗜好品でも、子どもたちにとっては根性試しのような代物で、その辺りはどのような規制をかけてもスルリとかいくぐってその手へと渡っていっているのかもわかりません。大人からの圧力は効果は殆どなく、仲間からの圧力という程の圧力でないものにはしっかりと順応していくようです。子どもたちが良い集団に恵まれますように、と祈るばかりです。

  3. 私はまだ小学生の頃、喫煙と言うものに非常に強く憧れていたのを覚えています。いわゆる駄菓子を使い喫煙の物真似をし手遊んでいました。そして中学生になった頃には、周囲の悪い仲間に頼り初めての喫煙をしたこともよく覚えています。あの時はなぜあんなにも憧れ、無茶をしてまで煙草を手にいれようとしたのかはわかりませんでしたが、飲酒をはじめるのは自己の価値を示すため、という今回の内容を見て少し納得できました。結局煙草はそれきりで今も一切喫煙はしていないのですが、友人が喫煙している姿を見るとあの頃の懐かしい記憶が呼び起こされます。

  4. 〝自分も彼らと同じ価値観をもち、認められるべき存在であることを証明するために同じ行動をとること〟でその集団に所属している証明が喫煙という行動で表現しているのであるのならば、未成年の喫煙が法律で禁止されていることも、その証明するということの難易度を上げることになり、より強力な証明となる手助けをしているのだろうと思います。本当はあまり良い形ではないと思いますが、このような形で法律を使うこともあるんだなという思いです。そのような形で覚醒剤などの禁止薬物も蔓延していくこともあるのかと思うと、そんな集団に入らないようにして欲しいなという思いです。

  5. 飲酒・喫煙は未成年ではしてはいけないといわれています。だからこそ、その行為をするということは大人のぶることでもあり、未成年がすることは逆に大人のルールに反した行為にもなるのですね。「仲間からの圧力というのは、従うことを強いられるというよりは、集団のアイデンティティに関連する、もしくは関連するであろうと思われる経験に自分も参加したいという願望に近い」確かに、そういった感覚はあるように思います。そこには規範といったものはなく、自分が参加したい、認められたいといった表れなのかもしれません。そう思うと人はやはり集団に属することで自分のアイデンティティが確立してくるということが分かります。そして、仲間集団による影響がかなり大きいということもよくわかります。かつ、人は自ら主体的に集団に属そうとすることが遺伝子の中にあるということも読み取れますね。

  6. 「集団のアイデンティティ」というのは実に昔タバコを吸っていたときの事を思い出させるような内容であります。無意識の中で生じてきた感情の裏付けがそこにあり、おもしろく感じます。集団にいるという安心感がその行動を起こすということもわかります。確かに親がしていたことに憧れのようなものを感じていたときはありますが、その影響で始めたわけでもなく、その集団の規範にいたことは確かですね。そんな無意識な行動が人を様々な行動へと動かすということは環境の影響の大きさをより感じさせてくれます。

  7. 私の父はヘビースモーカーで更に大酒飲みでした。おかげさまでその姿が反面教師となり、私は喫煙をしませんし、お酒も殆ど飲みません。ただ、一度だけ煙草を吸ってみようと試みたことがあるのですが、それは大人への憧れというよりも周りの仲間たちが吸い始めたからでした。集団のアイデンティティーとあるように、私の属する集団の仲間がそうするのであれば、それをしなければという想いに駆られたからです。ただし、私には煙草は合わず、その後も吸うことなく今に至るわけですが、仲間と同じ意思や想いを共有したい、感じていたいという気持ちはやはり大きいと感じます。決して良いものではないと理解しつつもそれに手を出してしまうや行動をしてしまうことは、何よりも属する集団の意思を尊重するからなのでしょう。集団の持つ影響の大きさを改めて認識させられています。

  8. 未成年による喫煙と飲酒ですが、藤森先生が講演でもその辺を触れていたのを思い出しました。よく高校生が「周りはみんなやっている」と言っていかにも自分の行為を肯定した言い方をしていますが、周りと言うのはほんの一部であって、決してみんなではありません。それこそ集団のアイデンティティで、自分の所属しているカテゴリーの中でのみ通用する価値観、考え方に染まり、世間一般では否定される行為も肯定されてしまい、罪の意識が薄れてしまっているのかもしれません。よくことあること渋谷のスクランブル交差点で盛り上がっていますが、それも一緒の現象ですね。

  9. 「集団のアイデンティティに関連する、もしくは関連するであろうと思われる経験に自分も参加したいという願望に近い」とありました。なるほど、このような思いがそうさせていたのですね。そのような仲間の証のようなものは確かに存在するかもしれませんね。強制はしていないが、それをすることで仲間と認められるようなことはあるように思います。私自身は仲良くしていた友だちが喫煙もしていませんでしたし、飲酒もしていなかったので、そのような行為をしてこなかっただけなのかもしれません。もし、属する集団、仲間が違っていたら自分も同じようなことをしていたのかなと今回初めて感じました。

  10. “「仲間からの圧力というのは、従うことを強いられるというよりは、集団のアイデンティティに関連する、もしくは関連するであろうと思われる経験に自分も参加したいという願望に近い」”と、自分を集団のあり方に、自分もそうであるようにとらえるようになるような考え方でしょうか。
    私自身は、禁煙者ではありませんが、ほとんど周りにいる友人は、喫煙者で、結婚式など、その場でタバコが吸えないという状況があれば、その場には誰も残らず、一人になるという形が何度もありました。そのため、何回かはついて行き、吸えないのに、その場で吸っているかのような雰囲気で会話をしていたことを思い出します。
    こうした行動も集団により影響が、集団の結束に入ることが必要だと感じたからかなと改めて思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です