親との関係

「好ましい」仲間集団の一員となったティーンエイジャーは、親との関係も良好である場合が多いようです。非行集団の一員となった者は、親との関係がぎくしやくします。発達心理学者たちは、この相関関係を親の影響を立証するものとして、すなわち、彼らの立てた仮説が正しいとい証拠としてとらえるようです。好ましいティーイエイジャーたちが好ましくなるのは、正しい子育てを実践した親の影響を受けているからだと彼らは考えます。また好ましくないティーンエイジャーたちがそうなるのは、親ではなく仲間たちの影響を受けたからですが、それは親が間違った子育てを実践してきた結果だというのです。

ハリスは、そのようには考えていません。彼女の考えでは、いずれのティーンエイジャーたちも同じように仲間たちの影響を受けているというのです。彼らはたんに異なる種類の仲間集団に属しているだけなのだと言うのです。

彼女は、彼女の夫と異なるタイプのティーンエイジャーを二人育ててきたと言います。娘たちは同じ地域に住み、四年違いで同じ学校に通いました。小学校時代はそれぞれが同じような仲間集団に属していましたが、高校に入るとそれが変わりました。上の娘は頭脳派、下の娘は落ちこぼれだったそうです。最終的には上の娘はコンピュータ・サインティスト、下の娘は看護師となり、二人とも立派になりました。一人はその方向に向かって邁進したそうですが、他方は紆余曲折を経てそこに達したそうです。

二人の娘たちは同じ親に育てられましたが、きょうだいとは往々にしてそうであるように、まったく違う人間だったのです。上の子は親の導きをほとんど必要としませんでした。自分のしたいことをしたいようにしましたが、それは折よくハリスたちが望んでいることと一致したそうです。下の娘には私たちの導きはほとんど通用しなかったそうです。聞いたそばからそれをはねつけたのです。それは彼女の仲間集団が掲げる目標や価値観と相容れなかったからです。彼女の親であるハリスたちは苛立ち、腹を立てることが多かったそうです。

驚くべきことではありませんが、ある種の仲間集団に属する子どもは親と良好な関係にあり、別の種の仲間に属する子どもは親とうまくいきません。問題はなぜ、子どもたちはその仲間集団の一員となったかであるとハリスは言います。ハリスは、彼女の夫とともに娘たちに施した何かのせいなのか、ハリスたちの責任なのでしょうか。もしここでハリスはそれは自分の責任ではないと答えれば、それは彼女が責任を逃れ、いかなる関与をも免れようとしているように聞こえてしまうのでしょうか。

ここで、ハリスは自分の経験を紹介しています。その上で私たちの判断を仰ぎたいと言います。「なぜ思春期の子どもたちは愚かなことをしでかすのか?それをとうやめさせるか?」という問いです。

ハリスは、この問いに目を背けてはいけないと言います。確かに彼らはどうしようもなく愚かになるときがあります。私たちの警告を、そして箱に目立つように印刷された警告文をも無視し、タバコがやめられなくなってしまうのです。あまりに早くに初体験をすませ、性生活も派手で、コンドームを使用し忘れることも非常に多いようです。運転すればスピードを出し過ぎ、アルコールも飲み過ぎます。テリー・モフィットの言うとおり、法を破ることは彼らにとってまったく日常的なこととなってしまっているのです。

親との関係” への3件のコメント

  1. 子育ての結果として子どもが「「好ましい」仲間集団の一員となった」り「非行集団の一員となった」りするという「発達心理学者たち」の仮説にはやはり無理があるような気がします。それは私や私の弟妹のことからそう言えます。「なぜ思春期の子どもたちは愚かなことをしでかすのか?それをどうやめさせるか?」という問いの答えは親にとっても重要でしょうが、やがて思春期に向かう子どもたちにとってもその回答が必要な気がします。ところでこの思春期は「ティーンエイジャー」時代を指すのでしょうが、どうも最近は20代も「愚かなことをしでかす」ことがあるように思っています。ですから、私はいわゆる成人あるいは大人になるのは30歳過ぎてからだろうと思うことがあります。もっとも30歳すぎても40歳過ぎてもあるいは50歳過ぎても「愚かなことをしですか」人たちはいるわけですから、愚かなことをしでかすのが思春期の特徴とは思えないところもあります。愚かなことをしでかす大人のほうが思春期のティーンエイジャーより多いかもしれません。

  2. 「いずれのティーンエイジャーたちも同じように仲間たちの影響を受けている」「彼らはたんに異なる種類の仲間集団に属しているだけ」親の想いに結果として沿う形になった人生ならばそれは結果オーライであり、違ったならばドンマイというような、その位の感覚でしかない当事者であったような気がしますが、それは親にしてみれば冷や冷やものだったように思います。親を安心させる為に子の存在があるわけではなく双方の人生を双方がどう生きるかということであり、それを互いの立場から思いやることが出来たなら何とも大人な関係だと考えます。息子たちにも、子どもたちにも、応答的援助を実践できるよう心掛けていきたいと思います。

  3. 〝彼らはどうしようもなく愚かになる〟そして、そんな彼らが自分たちに問うているものから逃げ出さないことが、自分たち親が思春期の子どもたちにできることであるのでしょうか。ただ、自分たち親は一回自分が経験していることで知っていることがあります。 この愚かなことをしでかすであろう思春期はそう長くはないということ、それと、そのあとはむしろ親のことを好きになるということです。何もできないかもしれませんが、応答的な関わりが、待つことが必要である気がしました。

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