IQの違い

年齢とともにIQの遺伝率が上昇するのは、そのほとんどが間接遺伝子作用、すなわち遺伝子作用による作用によるものです。はじめのわずかな差異がのちに大きく膨らんでいきます。実際、知能検査ではこの差異の膨張が過小評価されているかもしれないとハリスは言います。なぜなら知能検査の結果は相対評価だからです。子どもたちは同年代の子どもたちとのみ比較され、年齢ごとに同じ割合で130台、100台、そして70台へと振り分けられます。

学業成績に基づいてクラスが小集団に分かれると、対比効果により集団間の差異が拡大します。その影響はクラスの中でも成績の思わしくない集団において、顕著に現われます。成績優秀者はすでにここまで最善の努力をしてきているからです。このような集団対比効果は、IQにはたらく間接遺伝子作用の重要な源となっているとハリスは考えているようです。

教室内の子どもたちが人種や社会経済的地位に基づいて小集団に分かれると、そこでも対比効果により集団間の差異が拡大します、もしくはなかったところに差異が生まれます。もし教室内の子どもたちを無作為にマイルカ・チームとネズミイルカ・チームに分けたときに、マイルカ・チームに優秀な生徒が二人おり、ネズミイルカ・チームにはついていけない子どもが一人か二人いた場合、両チームの当初のIQ平均値が同じであったとしても、両チームの学業に対する態度は対照的になるかもしれないとハリスは言います。そのまま数年間学校に通った後、彼らがひきつづきマイルカ・チームとネズミイルカ・チームとして自分たちを認識していたとします。子どもが一緒に過ごすのは主に同じチームメートで、どちらのチームに属しているかによって、学校での学業に励んでいるか、学業を馬鹿にしているかのどちらかになります。当初は学業への態度が違っていただけですが、それがIQの平均値の違いとなって現われると言うのです。

ダニエル・セリグマンによる『知能について』という著書がありますが、彼はその中で『ベル・カーブ』と同じ指摘を『ベル・カーブ』ほど煽動的ではないにせよ、いくつかしているそうです。『ベル・カーブ』という本を私は読んだことはありませんが、1994年にリチャード・バーンスタインとチャールズ・マリーによって書かれた本だそうです。その指摘というのは、黒人と白人のIQの違いを取り上げ、その理由を環境の違いに求めようとする社会科学者たちの懸命な努力について述べているそうです。社会経済的地位の差や所得の差はその違いを説明するには十分ではないということをセリグマンは指摘しているのです。同じ社会経済的地位の子どもたち、もしくは親の所得が同じ子どもたちを見ても、IQの平均値には差があるというのです。セリグマンにとって、これらの結果は不本意なものであったそうですが、それでももう一つの環境に帰結する解釈にわずかな望みを託したそうです。

「これらの詳説は決して環境の影響に関する論議に終止符を打つものではない。原則的には、黒人と白人の間の溝のすべて、もしくはそのほとんどは違う種類の環境的要因、すなわち標準的な社会科学データではとらえられない要因に帰することができるのである。環境論において、最後に望みを託されるものとして時折登場するのがX要因だ。X要困とはその影響力を測ることも、さらにはそれを明確に説明することさえもできないものだが、議論をつづければ、それはアメリカで黒人として暮らす経験からくるものである。それがあることによって黒人の生活は、白人の生活とはまったく異なる、比較することもできないものとなる。その過程において、両者の溝を埋めることができる環境の働きがわずかながらに存在することを示したであろうすべての相関係数の正当性がX要因によって蝕まれてしまう。さらに誰も明確にはできない方法で、要因は知的能力を抑制してしまうのだ。」

IQの違い” への9件のコメント

  1. 今回のブログで紹介されている「黒人と白人のIQの違い」に関すること、これはアメリカ社会では大問題ですね。IQは私も測定されたことがありました。今時の子どもたちはどうでしょうか?測定されることがあるのでしょうか?私の子どもがIQ測定されたという記憶は私にはありませんから、今は余程必要がなければ測定はしないのでしょうか?いまや私たちは心の知能指数EQということをIQに優るとも劣らぬ重要なことと捉えています。しかし、ブログを見る限りIQはどうやらヒトに遺伝的影響を及ぼしていることを認識せざるを得ません。ダニエル・セリグマン氏『知能について』を私も読んだことはありませんが、何だか興味を惹かれるタイトルです。「X要困とはその影響力を測ることも、さらにはそれを明確に説明することさえもできないもの」。親の所得が同じでも、社会経済的地位が同じであっても、白人と黒人の子どものIQ偏差値には差があるというどうしようもない事実を説明するために「X要因」を設定しているようです。日本以上に格差が大きいアメリカ社会ならではの必要に迫られた研究結果なのでしょう。

  2. 対比効果、改めてその強力な影響力を知る思いです。そう思うと、常に対比効果の影響を受けながら人生という道を歩んでいるということになります。道すがら寄り道をしたりすることも、自身で選んでいるようで、選ばされていたのかもわからないと思えてきます。置かれた場所で咲く、仕事は呼ばれるもの、類は友を呼ぶ、などなど様々な金言が思い出されますが、それも対比効果の積み重ねの中で導かれた縁を表しているように思え、人生や人間の複雑さについて少しばかり理解の届くような思いがしました。

  3. 集団対比効果というものがどれほどのチカラを人間に与えているかということを見せつけられるような内容ですね。IQにもその作用はあらわれるのであれば、体や健康の面にも影響をおよぼすのでしょうか。「病は気から」と呼ばれるていますし、周りが明るく、奮い立たせてくれるような環境であれば前向きになれたり、逆に後ろ向きになってしまったりするのでしょう。そのように考えると、人間は常にこの効果を受けながら生きているといっても過言ではないのかも知れません。常に誰かは誰かに影響し合っているということで改めて人間は一人では生きていけないということを感じます。

  4. 集団対比効果は学びに対する意欲の違いも生み出しているのではないでしょうか。IQを基に能力別カテゴリーに分けることは、個々の能力に差がなく、学習することにおいては効率が良いのかもしれません。しかし、それによって自分が能力の低いカテゴリーの一員であると認めてしまえば、学習をすることへの価値を見出せず、学びに対する意欲を失ってしまいかねません。集団の持つ意識やモチベーションは個々の意識や行動、その後の人生にまで影響を与えるのであれば、活動の中でグループや集団に分ける必要がある場合、それらのことを意識し考慮することは必然であると思えます。

  5. 「対比効果」という影響を我々は知らず識らずのうちに受け、それが人生を左右していることになっていることがこのブログを読むことで見えてくるような思いです。「無作為に選ばれたグループ」とありますが、世の中にはそうして選ばれた中での環境からその時の運命が決められ、そのグループでの立ち位置を考え対比効果が生まれていくのですね。人的環境の中で人は選ぶことのできない環境もあり、それはその人の人生そのもののように思えます。なにか話がずれているかもしれませんが、そんなことを思います。

  6. 集団の所属場所によってことなってくるIQ数値、考えると、知力においても、学べる環境が集団であることが危惧されているのですね。IQより、最近はEQが求める時代でありながらも、義務教育時代にはやはり、IQに重きがあると感じます。もちろん、IQがあることは必要なことだと思います。しかし、所属する集団によって変わってしまうのならばもっと慎重なならなければないないと感じているところです。

  7. 学業の面においても「当初のIQ平均値が同じであったとしても、両チームの学業に対する態度は対照的になるかもしれない」というのは、それほど人の意識の中で集団の対比効果というものが影響するからなのですね。考えてみると社会の中には様々なカテゴリーがあります。保育園や幼稚園においても、「園職員」と「園長」、「職員」と「保護者」、「ベテラン」と「新人」といったようなものがあります。問題はそれぞれをどのようにカテゴライズして、環境として操作するかは園のリーダーによることが多いのですね。とても勉強になります。うまく人間関係がいかないときはもしかするとカテゴリー分けが出てきてしまっているからなのかもしれませんし、それによって人材が生かされていない可能性も出てきそうです。人の社会や集団というもの捉え方はシビアですね。雰囲気作りが大切であるということがよくわかります。

  8. 小学校の時にIQテストをクラス全員で受けた記憶があります。そのあとに当時の担任の先生に「ここにいるみんなはIQが高い人が集まっていたよ」と言われたのを今でも覚えています。当時IQという意味を知りませんでしたが、なんとなく誇らしくなった自分がいました。ただこうして藤森先生の講演やブログを聞いたり読んだりしていると、時代によって変わってきますね。ただIQの差というのは遺伝が関係している事がブログから読み取れます。個人的な意見になりますが、IQが高いというのは言ってしまえば個性と同じくらいに感じます。

  9. 黒人と白人によってIQに差があるのでしょうか?感覚的な印象なので、完全にあてにはならないのですが、その差というのは日本人と韓国人の差や九州の人と東北の人の差、というようなレベルではないということなのでしょうか。環境的な要因があるとしたら、確かにそれはどのようなものなのか見当もつきません。単純に黒人、白人とくくってしまっても個々に環境は異なるでしょうし、難しいですね。遺伝だとしたらその遺伝的な要因を作っているのはなんなのだろうということも思ってしまいます。

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