男性的、女性的

集団性がオスや男性においてより強く作用するのは、進化的な理由があるからだとハリスは思っています。オスはメスよりも体格的にも大きく、筋肉質であり、子どもの頃からより速く走り、より遠くにものを投げることができます。子を宿すことも赤ちゃんを連れまわすこともなく、肉体を危険にさらすことへの束縛が少ないため、仲間と団結し、集団を守り、他集団への襲撃を試みるのはオスの役目となります。集団間闘争は私たち人類が進化を遂げてきた環境の一部であり、敵に対して優勢になるのであれば、小さなY染色体も、男女差を生み出すために骨を折るのを惜しみませんでした。男の子たちの好む遊び、世界中で通用するその遊びは戦闘能力を養うのにはうってつけだとハリスは言います。作家ハーマン・メルヴィルはこんな言葉を残しています。「戦いはすべて男性的、そしてそれを戦うのも男の子たちだ」

ロバーズ・ケイヴでの調査や、過小評価・過大評価に関する調査のように、社会心理学の

分野における著名な研究の多くは、被験者として若い男性を選んでいますが、そこには理由がありそうだとハリスは推測します。もしそこに女性の被験者が含まれていたら、あれほどまでに明快な結果は得られなかっただろうと言うのです。ロバーズ・ケイヴ実験を行なった研究者たちは、有名さでは劣るとハリスはいますが、別の実験も行なっています。その実験では、男の子たちにまずはじめに友人関係を結ばせ、その後友人関係を引き裂き、二人を競い合う二つの集団に分けました。引き裂かれた友人関係はそこで消滅しました。友人同士が敵同士へと変わったのです。もし同じ実験を女の子で試していたらどうなっていただろうかとハリスは考えています。「お願い、ジェンカとクレアを入れ換えて。そうすればジェンカと一緒にイーグルズになれるから」と言うでしょう。

メスや女性は集団性に欠けているなどと言うつもりはないとハリスは念を押します。オスの脳にもメスの脳にも、集団性を司るモジュールもあれば個人間の関係を司るモジュールもあるのです。もし違いがあるとすれば、それら二つのモジュールが相反する要求をした場合にどちらが優先されるかだと言うのです。

ハリスは、男女間について、次のように考えているようです。男の子の集団では階級制をつくる傾向が強いようです。リーダーがいて、他の子どもに指示を与えます。男の子はそれぞれ上位をめぐって競い合います。自分の弱みを見せまいとします。自分が負けたと認めることになるので、人に指示を仰ぐことはしません。

女の子の関係はより親密で排他的ですが、必ずしも永続しません。女の子は男の子のように、相手に対して敵対心をむき出したりはしません。敵に仕返しをするのなら、自分の友人にも相手に対する敵対心をいだかせるようにします。女の子の集団でのリーダー的存在には危険がひそんでいると言います。生意気だ高慢だと言われるようになるかもしれないからだと言うのです。女の子は友人をこき使うのを嫌います。彼女たちは協調性と交替制を重んじるからだと言うのです。

仲間たちと一緒のとき、男の子は強靭さを、女の子はやさしさを誇示します。こうした違いを指摘するのはハリスは自分がはじめてではないと言います。また、成人した男性と女性の行動様式が違う原因を、子ども時代に仲間集団で果たした社会化やそこで学んだ社会的なやりとりのパターンに求めるのも彼女がはじめてではないと言うのです。