自分について

自分についてどう思うかを左右するものは二つあるとハリスは言います。その一つは地位であり、もう一つは気分です。今一つ明確でないのは、どちらが先かという点だとハリスは言います。どちらが原因でどちらが結果なのかということだと言います。臨床心理学者の多くは自尊心の低さが鬱状態を招くと考えていて、確かにそのようなケースもあります。ところが、両者の関係は逆である場合も多いのです。以前は躁鬱病と言われていたものが、最近は双極性気分障害というそうですが、この障害を患っている人を見ればわかるだろうとハリスは言うのです。この障害をかかえている人が躁状態にあるときには、何でもできる、自分が世界一だと意気衝天です。鬱状態になると、自分はまったく生きている価値がないと思いこみます。変わったのは気分だけで、他はなんら変わりません。同じだけのよい記憶、悪い記憶をかかえているにもかかわらず、あるときには自分のことで最高の気分、別のときには最悪の気分になるのです。

双極性気分障害は男女とも発生率は同じだそうですが、思春期にはいると、躁状態がなく、鬱状態のみである単極性鬱病は女性に多くなるそうです。この年代の女の子たちの一部が体験する自尊心の低下は鬱の原因ではなく、その症状なのかもしれないとハリスは考えています。

なぜ鬱状態は男性よりも女性に多いのでしょうか。確かなことは誰にもわからないそうです。ハリスは、それは脳の内部の徴妙な違い行動を誘発するメカニズムと行動を抑制するメカニズムの繊細なバランスの違いによって生じているのではないだろうかと考えているそうです。脳の中でなにか不都合が起きた場合、男性は行動過多に傾きやすく、暴力へとつながります。女性は反対方向に傾きやすく、不安と鬱状態に陥ります。このように考えると、双極性気分障害とはこれら2種類のメカニズムのバランスが不安定な状態と考えられるというのです。

女の子と男の子では生まれたときからなんらかの違いがあります。その後の16年間でその違いは拡大していきます。子どもの頃にそれが拡大するのは、少なくともその期間の一部では、女の子と男の子は自らをそれぞれ別の集団の一員であると認識するからだとハリスは言います。思春期になると性差はふたたび拡大しますが、このときは肉体的な理由からだと言います。

生まれとは効率よくできているもので、決してやさしくはありません。平均的に女性は男性よりも弱く、非攻撃的で、あらゆる人間社会において女性は殴られる危険と隣り合わせだというのです。それは、あの高貴な狩猟採集民族も例外ではないと言います。メスのチンパンジーでさえもオスに殴られることがあるそうです。現代は女性にとって、過去600万年の中でもっとも過ごしやすい時代であるとハリスは言います。ハーヴァードの大学院生だった頃、研究所には女性の居場所などない、と公然と口にする大学教授がいたそうですが、今日ではそのようなことを口にする大学教授などまずいないだろうとハリスは言います。

自分について” への5件のコメント

  1. 最近「双極性気分障害」という症状名を耳にすることがあり、はじめ何のことかと思っていましたら「躁鬱病」ということだとわかりました。発症率は男女同じとありましたが、私のこれまでの経験では女性の方に多いような気がしていましたから認識を改めなくてはいけませんね。それにしても思春期の女性で「単極性鬱病」になる方が多いようです。原因は不明のようですが、女性としてのからだの変化が不安気分に繋がり結果として「自尊心の低下」のような気分になってしまうのでしょうか。臥竜塾ブログ女性読者のコメントを期待したいところです。さて、もう一つ、「あらゆる人間社会において女性は殴られる危険と隣り合わせ」というところが気になりました。最近起こった千葉の虐待事件やかつて起こった目黒区の虐待事件、この両者の犠牲者は女の子でした。以前「アダルトチルドレン」という本を読んだことがありますが、著者は女性でした。調査するたびに虐待件数が過去最高と新聞の一面で報じられます。男女比はどうなのでしょう。それでも「現代は女性にとって、過去600万年の中でもっとも過ごしやすい時代」とのハリス女史の言には救われるものを感じます。

  2. 一昔前の、戦いでのみ地位が決まる世の中では女性は男性には太刀打ちできませんでした。しかし、その名残もずいぶんと薄れ戦場での能力が求められなくなり、女性が男性よりも上の立場につくことも当たり前のように見られるようになったいま、外的要因も関係するような精神疾患の男女別での罹患率ももしかしたら変わってくるのでしょうか。男の人が男らしい事をし、女の人が女らしい事をするのではなく、その人がしたいことを選択できる多様性のある社会になったとき、今までの常識やデータがまるっきり変わってしまうのか、それともほとんど変化を見せないのか、いずれにせよどんなことにも対応できる柔軟性をもった大人になりたいです。

  3. 地位と気分、殆ど似通ったものを感じさせないような二つが、自分というものを形成しているという点でとても似通った役割を持っているということに驚きを感じてしまいます。興味深く思えるのは、地位を今すぐに変えることは難しいながら、気分は心掛け次第でどうにも変えることが出来るということです。心はコロコロ変わるから心と聞いたことがありますが、上がり下がりする心をどうにか上キゲンへ、気分を保ちながら一日の中で生きることが自分というものの最大限へと近付いていく最良の方法なのかもわかりません。

  4. 自分について考える時というのは〝その一つは地位であり、もう一つは気分〟だとありました。地位は今すぐにどうにかできるものではありませんが、気分は自分次第でどうにでもできるものですね。だからこそ難しいものでもありますが、自分でもどうにもできない時、そんな時はやはり他者の力が必要になる気がします。大阪なおみさんがテニスの試合の合間に、コーチから気分を上げる声を掛けられているのをみていたら、そんな風に感じました。
    気分を上げていくことが自分の最大限の力を発揮するために必要なものであるのかもしれません。

  5. 「男尊女卑」という言葉があるくらい男性と女性との性差は昔は特に大きくあったのだろうと思います。そして、それが普通であった期間というはどれくらい長かったのでしょうか。そう考えると確かに今の時代は女性にとって最も過ごしやすい時代であるのでしょうね。「平均的に女性は男性よりも弱く、非攻撃的で、あらゆる人間社会において女性は殴られる危険と隣り合わせだというのです。」とあるように女性が過ごしやすいということは「女性が殴られる」ことや「危険」というものが世界的に見ても落ち着いてきているからなのでしょう。それはとてもいい傾向に社会が出来上がってきていたり、成熟した社会にあるからなのでしょうね。性差においても、一昔前に比べると非常に柔軟な社会でもあると思います。だからこそ、鬱などの昔はそれほど大きく問題にはならなかった新たな問題が出てきているのかもしれません。それはヒトの社会が進化し新たなステージにあると考えてもいいのかもしれませんね。

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