特別な社会的カテゴリー

ミスAは自分の教室に集う多種多様な子どもたちを一つのやる気ある学習者、一つの〈われわれ〉としてまとめあげる不思議な才能をもっていたのだろうとハリスは分析します。この〈われわれ〉は名称の有無にかかわらず、一つの社会的カテゴリーです。おそらくミスAは子どもたちに、自分たちは特別な社会的カテゴリーに属しているのだという意識を植えつけたのでしょう。「機密の、しかも実行しがたい作戦を任された勇敢なる兵団の一員」であるという意識を。この自己カテゴリーは彼らがミスAの教室から巣立った後もそのまま生きつづけました。反学校的態度への盾となり、同じ学年の他の子どもたちよりも優秀だという意識をもたせました。さらにこの特別な社会的カテゴリーは残念ながらミスAの生徒になれなかった人たちにまで及んでいたに違いないと言います。だからこそ、ペダーセンが話を聞いた人の中に、自分はミスAのクラスにいたと主張した人がいたのです。彼女のつくり上げた集団の一員であったと、もしくはその一員であることを望んでいたのです。安アパートから鉄格子の張られた古い学校に通う子どもたちの中に、たとえ実際にミスAの教室に入ったことがなくても、自分たちを「ミスAの子どもたち」だと考える、やる気ある学習者の集団がいたのです。

おそらくエイジル・ペダーセンもその一人だったのでしょう。だからこそ、一年生のときの担任はミスBであった彼が、学校の同窓生の中でも最も成功した一人となり得たのだろうとハリスは考えるのです。

子どもの発達には悪循環が多いと言われています。仲間に嫌われている子どもは社会性を養う機会が限られてしまい、太めの子どもは運動を避けることによってますます太ってしまいます。ところが、知性に関するものほど質の悪い悪循環はないとハリスは言います。はじめは仲間にわずかに劣っていただけの子どもも、自分を賢くするはずの事柄を避けるようになります。その結果、彼らはますます落ちこぼれてしまうのです。同様に、他よりもわずかに先を行っていた子どもは脳の訓練を繰り返すのです。

行動遺伝学者たちによると、の遺伝率は年齢とともに増加するといいます。たとえば年配者では0.80と推測され、それは老人の間に見られるのばらつきの80パーセントは遺伝子に原因があると言っているようなものです。ところが、そのような解釈は誤解を招きやすいようです。なぜなら、ばらつきのすべてが遺伝子の直接的な効果によるものではないからです。その大部分は人々が子ども時代に、そして大人になってから、自分で決断したことによるのです。テレビを見ようか、それとも宿題をしようか。野球をしようか、それとも図書館に行こうか。また、ブリタニーのグループにいつづけようか、それともブリアンナのグループに乗り換えようか、大学へ進学しようか、そこで何を専攻しようかなどです。さらに、ロジャーと結婚すべきか、それともロドニーとか。こうした決断が人生にどのような結果をもたらしたかは、行動遺伝学の研究では遺伝子がIQに及ぼした影響、すなわち素質的なものとして表面化します。ところが、実際には研究者たちは直接遺伝子作用と間接遺伝子作用の両方を測定しているのです。

 

特別な社会的カテゴリー” への10件のコメント

  1. 自分がどのようなカテゴリーに所属するか、その選択の大切さに気づかされますね。そして所属意識の重要さ。「ミスAの教室から巣立った後もそのまま生きつづけ」る。そして「反学校的態度への盾となり、同じ学年の他の子どもたちよりも優秀だという意識」を持ち続ける。素晴らしいのは、ミスAのクラス生徒でなかったものまで「自分はミスAのクラスにいたと主張」。「やる気ある学習者の集団」。私たちもそうあり続けたいですし、これから大きくなる子どもたちも「やる気のある学習者の集団」に所属しているという意識を持ち続けてもらいたいものだと思ったところです。「悪循環」に陥ることなく良い循環の中で生きていくなら人生が幸せになるのでしょう。常にポジティブ面を意識し、楽しい、笑みがこぼれるような、災難も笑ってやり過ごせるような、そうした日々、瞬間瞬間、を意識して創り上げていきたいと今回のブログを読みながら感じました。いい雰囲気、いい感じ、楽しい、嬉しい、そう思い考え続けられる訓練を積んでいきたいと思います。

  2. 「同様に、他よりもわずかに先を行っていた子どもは脳の訓練を繰り返す」それは好循環はもちろん、悪循環にも同じ繰り返しを得るところに複雑なはずの脳の単純さと面白みを感じてしまいます。習慣的に行われ、積み重ねられていることから抜け出すのは大人になると自分次第なのかもわかりませんが、幼い子どもたちには酷なことかもわかりません。その悪循環、悪習慣に脳が染まらないようにと、側にいる大人が出来ることというのは何でしょうか。無力さを感じてしまいますが、ミスAの教師像は希望の一つのようで、そういう教師像に憧れるような気持ちを大切にしたいと思います。

  3. 人のパーソナリティーの最深部にあるものは、思春期にはいってしまえば簡単には変えられないからこそ自分達の仕事は特別なのだと改めて思いました。子供の発達には悪循環が多い。まさにその通りだと思います。集団を作り、その規範に従わないものは排除する、集団に属さないものをまるで犯罪をおかしている囚人かのような目で見る、そんな日本人独特の社会性を子供に無意識に押し付けるせいで悪循環が生まれてしまうのだと感じました。集団に属さないことも、様々な集団を掛け持つことも何もおかしなことではないのだとパーソナリティーの最深部で感じることができれば悪循環も少しはなくなるのでしょうか。

  4. 〝子どもの発達には悪循環が多いと言われています〟考えてみればその通りですね。そして、それを促してしまっているのが年齢別でのクラス編成ではないかと思っています。四月生まれと三月生まれというのもあり、発達が有利な子どもと不利な子どもがでてきてしまうということが生じてしまうのではないかと感じます。一旦、転がりはじめてしまった悪循環を止めるのはなかなか難しいものです。そのチカラを助長してしまわないような環境の整備をしていきたいですね。

  5. 子どもの発達には悪循環が多いとありました。その悪循環を起こさない、またはそれを緩和できるような環境を整えるのが教師であり、私たち保育者の役割ではないでしょうか。その役割を見事に果たしたのがミスAであり、彼女の元で直接学んだことがない子どもたちにまで影響を与えていたということは本当に凄いことだと思います。他者と比べて能力的に劣っていると感じた際、それを補おうと努めるか、それとも何もせずに避けるかは本人の判断によります。前者の判断をするには自分がそれをするだけの価値がある存在だと意識し、自己をカテゴリー化する必要があるように思えます。そのように自己をカテゴリー化することで悪循環に陥る可能性は低くなるはずですし、その意識に大きく影響を与えうる教師や保育者を始めた大人の関わりや存在は大きいと感じています。

  6. 自身の選択したカテゴリーがどうであるか、そして、そのカテゴリーを選んだことでどうであるか、これは、選んだあとにしかわからないものでもありますね。そのカテゴリーの中に置いても、われわれと彼らというカテゴリーが存在していることは、周りにいる人的要因による、社会的な部分によるものが強いように思います。社会の場という中には、いい影響、悪い影響というものが多く存在していると思います。それをうまく選択できるような環境を整えるのが、私たちの役割だとも考えられます。

  7. 「自分たちは特別な社会的カテゴリーに属しているのだという意識を植えつけた」「この自己カテゴリーは彼らがミスAの教室から巣立った後もそのまま生きつづけました。」という自分の属するカテゴリーでこんなにも意識が違うことがわかり、よりこのカテゴリーの選び方の重要性を感じますね。さら「残念ながらミスAの生徒になれなかった人たちにまで及んでいた」というのも驚きです。ふと自分は見守る保育をしているというカテゴリーであるのかなと感じ、そのカテゴリーにいるだけでも何か意識が違ってくるのかなと感じています。見守る保育という大きなカテゴリーがどんどん広がることによってミスAのようになるのではと感じました。

  8. 「自分たちは特別な社会的カテゴリーに属しているのだという意識を植えつけた」とあります。それほどミスAは子どもたちにとって影響があるような存在だったのですね。リーダー論というものがありますが、リーダーの影響が集団に伝染していくことはよくあることです。知らずいい影響が起きていく、これをカリスマというのかもしれませんが、こういったリーダーの下にいれることで環境が変わってもその視点やマインドが残るということは大いにあります。子どもたちにとってもミスAはそういった存在だったのでしょうね。以前、新宿せいが保育園での「見守る保育の今とその後を語る会」の行事の報告を読んでいても、子どもたちはせいがから卒園したことを自らがとても影響していると語っていた報告を見ると同じように影響を受けていたんだろうなと感じています。また、今回は「子どもの発達には悪循環が多い」というのがありました。特に日本の現場ではこの悪循環の構図は多いように思います。集団の中で他と比較する経験が多いのかもしれません。自尊感情や自己肯定感というものが課題になっているのもそこにあるのでしょう。そこでキーになってくるのが「自分で決断する」ことなのですね。子どもの権利条約でも「意見の表明」がありますが、やはりそのことは大人になってからも非常に重要なことなのでしょう。選択制の重要性はここからも読み解けますね。

  9. 「ミスAの子どもたち」と言うカテゴリがーがクラスの枠を越えて子ども達に影響を与えていたと言うのは素晴らしいですね。おそらく教育理念というのは、そういう存在のような気がします。先生によって指導方法やクラスの雰囲気が違い、子ども達のやる気もクラスによって違うのは本当はおかしな事で、ブレない理念を持つ事で、先生達自身も理念に向かって進む事が出来れば、子ども達もクラスの枠を越えて前に進めるはずです。「ミスAの子ども達」から「◯◯(施設の名称)の子どもたち」というカテゴリーになると思います。

  10. 子どもたちにそのような意識を持ってもらうというのはうまいやり方ですね。「英国紳士たるもの」や「武士たるもの」という言葉がありますが、そのような意識が自分たちを律するためにもなっているのですね。「ばらつきのすべてが遺伝子の直接的な効果によるものではないからです。その大部分は人々が子ども時代に、そして大人になってから、自分で決断したことによるのです」という言葉も印象的でした。保育の中で選択ということを大切にしていますが、まさに人生は毎分のように選択の連続ですね。私はなかなかその選択がうまくできない人間ですが、乳児の頃から自分で選ぶ、決めるということを繰り返すことによって、選択、決断する力というのはどんどんついていくんだろうな思います。

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