教育介入プログラム

教育介人プログラムが功を奏するためには、集団としての子どもたちの行動や態度に修正を加えるものであるべきだとハリスは思っていると言います。そのようなプログラムが長期的な効果を発揮するためには、子どもたち同士が連絡を取り合って、一つの集団をつくり上げているという意識をもちつづけることが必要となります。ゆえに、学校全体の子どもたちを対象としたプログラムのほうが異なる十数校に通う17人の子どもたちを対象にしたものよりも効果があるのではないかとハリスは推論しています。

ハリスが思い描いているのは学齢期の子どもたちの攻撃的行動を減少させ、相互の助け合いを増やすよう設計されたプログラムなのです。訓練は対象として選ばれた学校の生徒全員に施され、その結果、彼らの校庭や食堂での行動にわずかですが有意な進歩が認められたそうです。変わったのは集団の規範でした。ハリスはこの仮説を予言していたそうですが、子どもたちの家庭での行動には進歩は見られませんでした。

親向けの教育介人プログラムは子どもたちの家庭内の行動に改善をもたらすことはあっても学校での行動には効果はありません。学校を基準とする教育介入プログラムは学校での行動に効果はありますが、家庭内については変わりません。ハリスがこの説を主張してから10年になりますが、この結果は今もなお真実であり続けており、それこそが子育て神話に対する強力な反証となるとハリスは言います。なぜ強力かというと、正しく実行された研究であれば、子どもたちは教育介入プログラムを受ける実験群か、受けない実験群かに無作為に振り分けられるからです。すなわち両群の子どもたちは遺伝子的に同質と見なされ、その研究では遺伝子の影響がすでに統制されていることになるということです。さらに導人された研究法は因果関係の有無を検証する実験研究であり、相関研究でなかったという点も大きいと言います。

以前ハリスが紹介した人物に、シンデレラの他にジョゼフという少年がいました。彼は実在する少年だそうですが、本名ではないそうです。彼が7歳半のとき、ジョゼフの両親はポーランドからミズーリ州の片田舎に移住してきました。ジョゼフにしても、その父親にしてもアメリカに到着した時点ではまったく英語を話せませんでした。母親だけは六週間の語学コースを受講し、いくつかの英単語は発音できていました。

ジョゼフの両親は手に職をもっていたわけではありませんでした。ミズーリで父親がはじめに就いた仕事は庭園業の作業員、その後は守衛としてはたらきました。母親は外の仕事には就かず、移住してから7年たっても彼女の英語力はたいへんに乏しいものでした。ハリスがこのように彼の背景について述べているのは、ジョゼフには遺伝的にもしくは文化的になんらかの有利な条件があり、それが彼の新しい生活への移行を容易なものとしたのでは、との疑いを避けるためであると言います。ジョゼフを調査した心理言語学者の報告書を見るかぎり、彼は普通の両親をもつ、普通の男の子でした。

ジョゼフがミズーリ州に到着したのは五月でしたので、彼は夏の間に英語を話す友だちをつくり、彼らが話す言語を学びはじめることができました。学校がはじまった八月の終わりの時点で、心理言語学者たちは彼の英語力は二歳程度だと評価していました。学校は、彼に通訳をつけることも、英語を話せない子どもたち向けの特別クラスを編成することもしませんでした。彼は同年代の子どもたちと同じ2年生のクラスに入れられました。ポーランド語を話せる子どもは一人もいませんでしたし、先生もポーランド語を話せませんでした。彼への指導はすべて英語でした。時に「泳ぐか、沈むか」と呼ばれる方法だったのです。

教育介入プログラム” への9件のコメント

  1. ヘッドスタートのような教育介入プログラムが効果的に子どもたちに作用するには「子どもたち同士が連絡を取り合って、一つの集団をつくり上げているという意識をもちつづけること」とありました。ここでは親や先生の介入が主ではなく、あくまで子どもたちが主役であることが重要なのでしょう。ハリス女史が思い描く「学齢期の子どもたちの攻撃的行動を減少させ、相互の助け合いを増やすよう設計されたプログラム」は認知能力というよりは非認知能力に影響を及ぼすプログラムようです。そして「集団の規範」に変化が認められたとのことでした。家庭での生活態度に言及されておりますが、基本的には影響がなかった。やはり、子どもは子ども集団の中で様々なことを学び、人格を形成していくことがわかりますね。ハリス女史が思描いたプログラムは結果として子どもたちの学力の向上にもつながる可能性があるような・・・もっとも学力は遺伝ということであれば、それはまた別な問題かもしれません。

  2. 「泳ぐか、沈むか」一聴すると子どもにとってとても厳しい教育環境のように思えますが、小学校への就学を機に引越しをしたあの頃を思い出すと、誰も知り合いのいない始業式でしたが、すぐに友だちはできました。言語や文化という壁がなかったからかもわかりませんが、子どもは子どもで上手くやっていくものだという実感があります。教師や保育者として集団について敏感であること、集団的敏感性が大切と言われることがここにきてよくわかります。個別のケアでなく、特別視でなく、子ども集団の中に入れてくれれば、そこにある文化や仲間関係など自然と理解をし、活用していけるものなのではないでしょうか。

  3. ヘッドスタートのような長期的なものというのは〝子どもたち同士が連絡を取り合って、一つの集団をつくり上げているという意識をもちつづけることが必要〟ということなんですね。つまりは子どもが主体となって、子どもたちが作り上げた集団だという意識を持ち続けることが長期的に効果を発揮していく上で大切であるんですね。そして、この効力は集団内において規範をわずかに変えるなどの効果がありますが、家庭内のことには効果はなかったということで、やはり子どもは子どもたちから学び、自身の人格や規範を作り上げていくということであるように感じました。

  4. 集団の規範というものは人の行動や思考に対して最も大きな影響力を持っているように感じます。そうであるならば、集団の持つ規範や意識というのは非常に重要な要因となってくるはずです。これは子ども集団だけでなく、それに関わる保育園や保育者の属する集団にも言えることではないでしょうか。私たち保育者も保育に対する意識を他のメンバーと共有し続けることが質の高い保育へと繋がるのではないかと思います。「泳ぐか、沈むか」・・・ようはその環境に適応できるかどうかということだと思います。ここでもまたポイントとなってくるのは他の子どもたちとの集団での関わりや影響なのではないでしょうか。何のアドバンテージも持たないジョセフがどのような成長を見せるのか、興味深いところです。

  5. 「子どもたち同士が連絡を取り合って、一つの集団をつくり上げているという意識をもちつづけること」ということがまず、効果的で大事であるのですね。そしてそれは「は学齢期の子どもたちの攻撃的行動を減少させ、相互の助け合いを増やすよう設計されたプログラム」であるのですね。いずれにしろそれは大人が入るというよりやはり子供同士の関わりからのプログラムだということ、子供同士の関わりなくしては成り立たないことが伺えますね。その影響というのは家庭内に持ち込まないというのもまた子どもの世界というのをより感じさせてくれます。

  6. その子に合わせた言語の配慮ではなく、その環境というものを与える環境を信じた、つまり、集団という一つの社会がそのような効力をもっていることを知っておかなければならないことを改めて感じました。大人対子どもの環境ではなく、子ども対子どもの関係のなかで、いかに関わりあっていくのかそういったところは、保育とのつながりを感じます。いずれは、子ども対子どもが社会を築いていくことを考えるだけども、その築きを邪魔しない環境の作り方を私たちは、作っていかなければならないと思いました。

  7. 「教育介人プログラムが功を奏するためには、集団としての子どもたちの行動や態度に修正を加えるものであるべきだ」とあります。そして「そのようなプログラムが長期的な効果を発揮するためには、子どもたち同士が連絡を取り合って、一つの集団をつくり上げているという意識をもちつづけること」ともあります。つまり、子どもたちが子どもたちによって集団をつくることが重要であるということなのですね。こういった関係性の中で子どもたちは非認知能力といった力を得ていくのかもしれませんね。また、そのうえで変わってきたのが集団の規範ということだったというのは社会性に関していと家庭以上に子ども集団において有用性があるということなのでしょうね。子ども集団の重要性はここからも見えてきます。また、「主体性」の重要性もここで語られているなかで、保育もどういったアプローチが大切なのか、共感や応答的な関りが必要と言われる所以はここにも見えてきますね。

  8. 「子どもたち同士が連絡を取り合って、一つの集団をつくり上げているという意識をもちつづけることが必要」とハリスが言うように、教育介入プログラムというのは、子ども達に集団を意識させるようなプログラムを考える必要がありますね。やはりイメージで教育プログラムと聞くと高度な授業を行い、学力を上げると思いこんでしまいます。さらに、こうしたプログラムは何も小学校からではなく、乳幼児期から始まっているはずです。こうしたハリスの言葉や藤森先生のブログを読むたびに、我々が行なっている実践の重要性がさらに増してくるものだと思いました。

  9. 「親向けの教育介人プログラムは子どもたちの家庭内の行動に改善をもたらすことはあっても学校での行動には効果はありません。学校を基準とする教育介入プログラムは学校での行動に効果はありますが、家庭内については変わりません」これまで、繰り返しハリスが主張していたことですね。家庭と学校とは別物であるということですね。子どもたちを作り上げているのは遺伝的要素の親だけではなく、それ以外の属する社会の集団の影響を強く受けているということを感じます。このことはまだまだ理解されにくいのかなと思う反面、でも私たちのどこかでこのような感覚というのはあるように思います。だからこそ、子どもたちが属する集団はいい集団であってほしいですし、私たちもそれを作り上げていかなければいけないなと思います。

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