偉大な功績

学校に対してさほど好意的な態度をいだかない生徒は、たとえばアフリカ系アメリカ人の生徒は、集団としてはヨーロッパ系もしくはアジア系アメリカ人ほど成績はよくありませんが、自尊心については他の人種集団と比べて低いわけではありません。これまで、このテーマに関して考えてきたこと、読んできたことは忘れ去るべきだとハリスは言います。総体的に、若いアフリカ系アメリカ人の自尊心は若いヨーロッパ系アメリカ人のそれに決してひけをとりません。自尊心とは集団内の地位がもたらすものです。自分自身を同し集団内の他のメンバーたちと比較することによって、人は自分たるものを判断するというのです。

ハリスが手がけた児童発達の教科書は、彼女が子育て神話の実状を見抜いてそれへの信心をかなぐり捨てる前、すなわち集団社会化の威力を理解する前に書いたものだそうです。その教科書にはサイド・ストーリーとして「ミスの偉大なる功績」という文章が掲載されていました。彼女は、この内容は謝罪しなくてはならないようなものではありませんが、当時はミスAのクラスで一体何が起きていたのか、なぜそれらが起きたのか、それらを十分理解してはいなかったと振り返っています。しかし今では理解できるようになった気がすると言っています。

ミスAとは教育学者アイジル・ペダーセンとその同僚たちが《ハーヴァード・エデュケーショナル・レヴュー》上の記事で名づけた名前だそうです。ミスAは1940年代にペダーセンが通った小学校で一年生の担任を務めていました。その学校はまさに古めかしく、まるで要塞のような建物で、窓には鉄格子がはめられていました。都心のスラム街にある学校で、周りには安アパートが建ち並び、貧困層や移民の子どもたちが通っていました。全体の三分の二が白人、三分の一が黒人でした。その卒業生の中から大学に進学する者はごくわすかで、高校を卒業できた者もほとんどいませんでした。喧嘩や問題行動は日常茶飯事で、罰にはムチが使われました。一日に二、三度はムチで叩かれたのです。ハリスは、「なんて古きよき時代だろう!」と言います。

アイジル・ペダーセンは成功を収めた数少ない卒業生の一人でした。高校を卒業し、大学へと進学、さらに1950年代に教師としてこの学校に戻ってきたのです。この学校で教鞭を執りながら、彼はなぜこの学校の生徒が高校すら卒業できないのかを解明すべく、学校の記録を詳しく調べるようになりました。ところが、記録をたどるうちに非常に興味深い事象が見つかり、当初の目的を捨て、一年生を担当していたミスAが生徒に及ぼした影響についての研究に集中するようになっていきました。

ミスAは彼女の生徒たちに絶大なる影響を及ぼしていたのです。彼女の受けもったクラスの成績がよかったことはなんら意味をもちません。おそらく彼女は採点に甘かったのでしょう。ところが、ミスAの生徙たちは、翌年彼らが数人の二年生の先生のもとに分かれてからも総体的に成績がよかったことに、ペダーセンは気づきます。生徒たちの学校での経歴を調べていくと、ミスAの生徒の優秀さは七年生になってもまだ目につきました。好奇心をそそられたペダーセンは学校を離れた世界にまで調査の範囲を拡げ、数人の卒業生を捜しだし、話を聞きました。ミスAの元生徒たちは、一年生のときに他の先生が担任であった生徒たちよりも、成人としてより望ましい生活を送っていました。社会的地位の上昇という点では、彼らは他の同窓生よりも高いところまで昇りつめたということです。

偉大な功績” への9件のコメント

  1. おっと、ここで終わりですか?という今回のブログ。「ミスA」は1年生の生徒たちにどんな接し方、あるいは授業の仕方、あるいは振舞い方をしたのでしょうか。途轍もなく興味関心が沸き起こります。まぁ、明日のブログを楽しみに待つこととしましょう。さて「自尊心とは集団内の地位がもたらすものです」この部分に反応します。私たちは通常「自尊心」「自尊感情」「自己肯定感」などなどについて考える時、ついつい「子ども一人ひとり」という視点に立ってはいないでしょうか。ところが今回のブログの「自尊心」はどうもそうではないことに気づかされます。曰く「自分自身を同じ集団内の他のメンバーたちと比較することによって、人は自分たるものを判断する」ことによるようです。つまり自尊心は外から押し付けられるものではなく、他者との比較において自分が獲得していくものだということがわかります。ということは、子ども一人ひとりに自尊心等の獲得を保障したければ、まず子ども集団、つまり子ども同士の関わりを保障する環境を大人は用意する、というか、子どもたちの世界は子どもたちに任せる、というスタンスが大人には求められているような気がします。子ども同士の関わりを意識しなければ子どもの自尊心への目覚めを保障することにならないのではないかと気づいたところです。さらに考えます。

  2. 「自尊心とは集団内の地位がもたらすもの」所属する集団が様々にある中で、居心地の良い集団というものがあります。高校生になった時、高校生の友だちとの日々が楽しく、いつの間にか中学生の時の友だちと疎遠になってしまったという知り合いがいます。新しい環境で人に恵まれるというのは本当に運の良いことですが、それは言い方をかえればその集団の中で自身の地位というものを築き上げることに成功したということなのかもわかりません。そうでなかった場合にもやはり居心地の良い集団というものは人にとって必要なものであり、その当時、中学生時代の仲間と、より密な関係を構築した人もいたことでしょう。それもまた、自身の安定した地位を集団の中に求め、それに応えてくれる集団に居心地の良さを感じるからなのでしょうね。

  3. 〝自分自身を同し集団内の他のメンバーたちと比較することによって、人は自分たるものを判断する〟とありました。人間個人が所属する集団はいろいろある中で、他者との比較でもって自分の集団内での地位を理解していき、それが自尊心につながるというのは分かる気がします。居心地が良かった集団は自分の中でもありますが、地位のようなものは高い方であり、自分の意見を言いやすいグループがやはり、居心地良かったのだと今にして思います。そして、そのようなその居心地良さを求めて様々な行動を起こすのでしょうね。また、地位を高めることはできるのでしょうか。なかなか難しいのでしょう。だから、居心地の良さを求めてさまざまな集団をいききするのでしょうね。

  4. 「彼女の受けもったクラスの成績がよかったことはなんら意味をもちません。」この言葉に本来の教育のあるべき姿を見るように感じます。学校教育法にあるように「社会の一員となる資質を備えた」ということを目的にしているとはいえ、「成績=社会への貢献」となるのでしょうか。とても限定的な考え方になっている教育のあり方に関してはもっと中心となるものを考えていかなければいけないのではないかと最近特に思います。ましてや、今回のミスAの受け持った子どもたちのように成績の部分ではないところでの育ちが社会につながっているというのはもっと注目されるべきところなのだろうと思います。今後のブログでではどういったところがそれにつながっていくのかが出てくるのだろうと思いますが、この話を受けて、改めて保育につながる部分を読み解いていきたいと思います。

  5. 自尊心とは集団内の地位がもたらすというのは確かですね。自信や自己肯定感が持てないということに対して、他者との比較や集団内での立場が大きく関わっていることを確信しました。このことからも、大なり小なり人は常に他者や集団というものを意識せざるを得ないということを改めて感じます。
    「なんて古きよき時代だろう!」というハリス氏の言葉にある学校において、ミスAがどのような教育や関わりをしていたのか非常に気になるところです。ミスAが担任をした子どもたちのその後を知れば、彼女が与えた影響は限定的ではなく、人生の長きに渡ってのものであるということを伺い知ることが出来ます。他の教師と何が違っていたのか、次のブログを読むのが楽しみです。

  6. 非常に続きが木になるところで終わっていますね。どんな1年生の授業をしていたのか、おそらく藤森先生が1年生を担任されていた時のようなのではないかと勝手に想像しています。そして「自尊心とは集団内の地位がもたらすものです。自分自身を同し集団内の他のメンバーたちと比較することによって、人は自分たるものを判断するというのです。」と書かれています。自尊心を調べると「自分を優秀だと思う気持ち、プライド」などと書かれています。自分を好きになれる要素の一つですね。それらを養うためにはやはり子ども集団というのが必須になってくることがよくわかります。そう考えるとやはり大人というのは子どもが助けを求めてきた時のだけ対応することが極論正しい事も想像できます。

  7. 考えていくと、私たちは属するカテゴリーのなかで、その中の人がかわれば、立場や行動が変わってきます。その変化には、集団のなかで、必要な社会性だと思いますし、様々な集団のなかにいるからこそ、自尊心というものは、その中で、得られるものだと考えられるものです。
    ミスAが生徒に及ぼした影響についてとても気になります。どのような影響力をもっていたのでしょうか。
    例えば、常に応答的であるとか、子どもの遊びが自発的であるような配慮などなのでしょうか。気になります。

  8. ミスAが生徒たちに絶大なる影響を及ぼしたと書いてありますが、どのような接し方をしたのでしょうか、とても気になるところです。
    前半の部分に「自尊心」について書かれていますが、そもそも自尊心というのは自分一人では身につけることが難しく、子ども集団の中で過ごすことで、他者と自分を比較することで初めて自分の存在、地位を判断しながら身に付くのですね。日本人は自尊心が低いと聞きますが、やはり子どもの頃に受けた教育、または時代が影響しているのでしょうか。集団という意味では日本こそ子ども集団を大切にしてきた国である以上、自尊心はそんなに低いとは思いませんし、日本人ならではの謙遜も関係していると思います。とは言っても結局のところは自尊心は「子ども集団」が必要不可欠という事で落ち着きます。

  9. 「自尊心とは集団内の地位がもたらすものです。自分自身を同じ集団内の他のメンバーたちと比較することによって、人は自分たるものを判断するというのです」とあり、自尊心いついてまた一つ考えるきっかけになりました。自尊心は一人で得るものではなく、集団に属することで得ることができるのですね。他者と比較すること、ある意味では嫉妬することというのはあまり気持ちがよくないというか、どこかそればかりだと疲れてしまうという思いになるのですが、自尊心の獲得方法からみるとある程度のそのようなストレスは必要なことでもあるのでしょうか。他者が存在する集団に属している上ではそうはいっても比較するということは避けれない部分なのかもしれませんね。上手な比較ということをしていく必要があるのかもしれませんね。

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