ステレオタイプの脅威

はるか昔にドイツで行なわれた調査に、アメリカ軍人を父親にもち、ドイツ人の母親に育てられた子どもたちに関するものがあるそうです。研究によると、白人を父親にもつ子とアフリカ系アメリカ人を父親にもつ子の間ではIQに差はなかったそうです。二つの人種が混じり合う子どもは慣例的に「黒人」とみなされたにもかかわらず、そこに差は認められなかったというのです。これらの黒人の子どもたちは、学校で自分たちだけの集団を形成することができませんでした。それに足るだけの人数がいなかったからです。ダジャ・メストンがチベットの寺院仲間に入れてもらえなかったように、彼らも学校の白人仲間には入れてもらえなかったかもしれないとハリスは言います。しかし拒絶されたことにより、読書は大切でないとか、学校はつまらないなどと思うようにはならなかったようだとも言っています。

棒や石で骨は折れますが、名前で傷つけられることがあるだろうかとハリスは問います。むろん、ありうる話です。名前も人をひどく傷つけることがあるのです。ところが深刻なダメージを負わせることができるのは、私たちが私たち自身を称する名前だとハリスは言うのです。私たちが私たち自身に与えるステレオタイプこそが最終的には大きな意味をもつようになると言うのです。他人から押しつけられるステレオタイプではありません。「他人の期待」という力が私たちの行動、知性といった特徴に密かに及ぼす影響はこれまで過大すぎるほどの評価を受けてきたと言うのです。

ところが、予言が当たるとき、それを達成させたのは予言者自身であるという考え方は根強いと言います。「ステレオタイプの脅威」こそダメージをもたらすものである、と社会心理学者クロード・スチールは言っているそうです。数学を得意とする若い女性に女性であることをより意識させると、数学的能力を測定するテストの結果は落ちこみ、また優秀な生徒であるアフリカ系アメリカ人に自分はアフリカ系アメリカ人であることをより意識させると学業能力を測定するテストの結果は落ちこむそうです。スチールの調査で明らかとなったのは、頭脳明晰な黒人の子どもの学業能力テストでの出来を悪くしたければ、その子がテストを受ける前に「人種は?」という質問を含むアンケートに答えてもらうだけで十分だということだと言うのです。これは、とても面白い研究ですね。ピグマリオン効果とは逆の発想です。

自己カテゴリー化は社会的状況に鋭く反応すると言います。スチールは、被験者の集団性を喚起したのです。人種やジェンダーといった特徴をいっそう顕著にすることで、彼らが〈黒人〉や〈女性〉として自分自身をカテゴリー化する可能性を高めたのです。こうした自己カテゴリー化に追随するのが、それぞれに関連した規範であると言います。人は自分の属する集団の規範に違反することに後ろめたさを感じるのです。

「ステレオタイプの脅威」から感じる後ろめたさが、失敗への不安を生みだしているとスチールは考えているようです。これは同じように30年前に心理学者マチナ・ホーナーが「成功への不安」と呼んだ、頭脳明晰な若い女性の間で見られた精神的な悩みの原因として考えることができるとハリスは言います。彼女は、この後ろめたさは成功したいという欲望と、成功すれば集団の規範に反してしまうという感情との葛藤がその原因となっているのではないだろうかと考えています。ちなみにホーナー自身はそのようなアンビバレンスに悩まされたことはなかったようです。ラドクリフ大学の学長に推された彼女は、辞退しますとは言わなかったのです。

ステレオタイプの脅威” への10件のコメント

  1. 自己のステレオタイプ化は確かに自分自身を持ち上げもし、貶めもしますね。「ステレオタイプの脅威」とはなかなか的確な表現だと思いました。ステレオタイプは固定化のことです。ある意味、こだわり。脳はこのステレオタイプ化が好きなようで、だから、脳はステレオタイプを崩壊させるような変化を嫌います。また、このステレオタイプ化は便利で、他人をこのステレオタイプの中に落とし込みます。つまり、決めつけます。その決めつけをもとにすると接触する時確かに便利ですね。白黒、好き嫌い判断を用意に下せます。そしてステレオタイプのベクトルを自分に向けて「自己カテゴリー化」を図ります。優越感や劣等感を自己内に形成します。思い込んでしまうのですね。ダメージ、うしろめたさ、アンビバレンス、恐怖、脅威、などのネガティブフィーリングに自分が支配されてしまいます。しかし、このステレオタイプの呪縛から逃れられると「拒絶されたことにより、読書は大切でないとか、学校はつまらないなどと思うようにはならなかった」ということになるのでしょう。「ステレオタイプの脅威」についてよくわかるブログ内容でした。

  2. 自己肯定感を高める事が教育・保育現場で求められていることとよく聞きますが今回の内容はまさにそれを裏付けるような内容ですね。自分のなかで無意識にでもコンプレックスとなる部分を意識してしまうとテストの結果が悪くなるのであれば、その逆もありうるのでしょう。
    しかし、社会性や協調性を身に付けることは大切だといっておきながらそれを用いて所属した集団の規範のせいで不安や失敗を生み出してしまうとは、なにか自分の保育を根底から覆されたような気持ちになりますね。

  3. 「ステレオタイプの脅威」例えばコンプレックスや劣等感などもこの影響を強く受けているのではないかと思いました。どちらも他人との比較や、他人からの心無い言葉などから刷り込まれるかのように心に根付くことか多いように思われ、私と他人、われわれと彼らのように、他者という、自分のステレオタイプ、価値観とは異なるものを持ち合わせたヒトからの影響によってそれらは生み出されているように思えてきます。確かに脅威であると同時に、そのことを知ってしまえば、コンプレックスも劣等感も何だその程度のことだったのかと軽視できるような気持ちも湧いてきます。

  4. 自分は教科の中で英語が苦手でした。ですので、赤点をとったこともありますし、だからといって英語を勉強しようともしていませんでした。ですが、これは自分自身の中でのステレオタイプであり、本当のところはどうだったんだろうという気待ちになりました。自己のステレオタイプのままに行動をすれば、嫌だと思うこともしなくていいし、何より勉強が苦手でしたので、疲れることもない、と当時思っていましたが、そのように思い込もうとしていただけであり、楽な道を選んでいただけ、なんか損した気分になります。勉強法として嫌いな教科をするより、好きな教科をすると嫌いな教科の成績も上がる、と聞いたことがあります。今回の例はその逆のようなコンプレックス意識による自己否定感が成績を落としたと考えられます。自己を肯定できることは素晴らしく、強いことであるのを感じました。

  5. 「ステレオタイプの脅威」から感じる後ろめたさが、失敗への不安を生みだしているとありますが、これは誰しもが少なからず持ちうる脅威なのではないでしょうか。要は苦手意識やマイナスの思い込み、固定観念にとらわれてしまうことで十分な成果やパフォーマンスが出せないことだと思うのですが、実はそれがかなりやっかいなものであるという事は私も理解できます。それが他の方も言われているコンプレックスや劣等感といったものであり、一度それを認める、または認識してしまうとそう簡単に払拭することはできません。そしてそれを生み出しているのは本人よりも他者や周りからの評価によるところが大きいはずです。そんなことを気に留めず、自分の信じるように進めばいいのでしょうが、集団やカテゴリーに属する限りはそうはいきません。この集団と自己との狭間における葛藤というものは本当に悩ましく厄介なものであるということを改めて感じてしまいました。

  6. 「後ろめたさは成功したいという欲望と、成功すれば集団の規範に反してしまうという感情との葛藤がその原因」この文章だけ見ていると何とももったいない才能が世に埋もれていることは多くあるのかなと感じます。いったん自分がその集団に入っていると認識するとそこから外れることに脅威を覚えるというのは確かにあるのと思います。自分たちも「保育者」とカテゴリー分けをしている中で、その中で突飛な発想をする人に賛同しかねるときがあります。新しい発想と捉えるともっと保育の幅は広がるだろうにそこにはつながらず、計画が無くなることもあります。「保育者として」とか「教育者として」といったようにそのカテゴリーに合わせるがあまり今の業界全体が閉塞的になっているようにも思います。集団のカテゴリー化との難しさとそういったものとのバランスをとること、そういった状態でも自己発揮できる力、すべて含めてコミュニケーション能力といえるのでしょうね。

  7. 「人は自分の属する集団の規範に違反することに後ろめたさを感じる」や「「ステレオタイプの脅威」から感じる後ろめたさが、失敗への不安を生みだしている」といったところからやはり無意識に自分がカテゴリーの中で安全地帯を探し過ごしていることがわかります。その中で規範に違反することで不安になるというのは理解できますね。そして学力テストの研究は面白いですね。意識がそちらに変わっただけでも大きな影響を及ぼすことになる。逆を返せば良くもなるということですね。自然と自分が鋭く反応しているというのは生活をしているとわかります。ステレオタイプの脅威は正にそうですね。

  8. “私たちが私たち自身に与えるステレオタイプこそが最終的には大きな意味をもつようになる”とあり、自身にそう思わせることにより、自身はその集団であることが必要であることが、重要になってくるのですね。他人から言われるレッテルを貼られるのではなく、自身がステレオタイプであることによって生まれてくる自分を固めているように考えられました。そうでいったことから自分がいる集団へ強い所属感をもち、”。人は自分の属する集団の規範に違反することに後ろめたさを感じる”ことがあるまじきものへとなっていくように思います。

  9. 「ステレオタイプの脅威」から失敗への不安を生み出していると最後の段落に書かれています。親から「お前は本当に頭が悪い」「何もできない」と例え冗談で言われても子どもとしては深く受け止めてしまい、「自分は頭が悪くて、何もできない」と思い込み、自分をカテゴリー化してしまうかもしれません。逆に藤森先生が結果ではなく、プロセスを大切にする言われたように結果だけを褒めても、それも子どもに勘違いを与えてしまいます。ちょうど息子がこれから小学校に向けて色々な事に挑戦しようとする時期です。先日もサッカー教室、水泳教室に体験に行きましたが、ただ褒めるのでなく、ちゃんとプロセスを褒めてあげる事が大切だとブログを読みながら思いました。

  10. 物事は表裏一体であるということを感じるような内容で、少し衝撃的でもありました。集団に属しているという意識はいいことにも働きますが、それが逆効果を生んでしまうということもあるのですね。『「ステレオタイプの脅威」から感じる後ろめたさが、失敗への不安を生みだしているとスチールは考えているようです』とありました。意識させるだけで、人はそちらの方に引っ張られてしまうのですね。なんだか、これは暗示をかけるようなそんなことにも似ているのかもしれません。そう考えると、子どもに対しても「どうせ〇〇なんだから」というような言葉をかけることがないように気をつけなければいけないなと感じました。その言葉一つで本当にそのようになってしまうということはあるのかもしれませんね。

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