ジェンダー以外のカテゴリー

女の子の多くはかなり早い時期に、自分が男の子に対してあまり影響力がないことを悟ります。そのため男の子が女の子を避けはじめる前に、女の子の方が男の子を避けはじめるのです。女の子の方が言いたいことを聞いてくれるので、女の子は女の子と遊ぶことを選ぶことになります。男の子はいつも自分のやり方を押し通すのです。

こうして女の子は女の子で別の集団を形成し、やりたいことをやるようになります。思春期まではそれも順調につづきます。そのうち男女がふたたび求め合うようになるのですが、残念ながら、それを駆り立てる力についてはハリスは触れていません。思春期には、ジェンダー以外のカテゴリーが目立つようになります。運動系の集団、頭脳系の集団、非行集団、そしていずれにも当てはまらない集団というぐあいです。こうなると各集団には男女とも含まれるようになります。とはいえ、それらはすべて男の子の現準で動いています。男女が混在する集団では、話すのも笑わせるのも男性の方で、女性は聞き手や笑い手に徹する場合が多いようです。これは、私の園で実感するところです。それは、私の園には、男性職員が4割弱いて、いつも笑わせ、それにつられて「ばかばかしい!」といながらも女性もつられて笑いだすということが多く見られます。

女の子の自尊心は思春期の初めに急降下すると言われています。必ずしもそうではありませんし、そのようなケースがあっても新聞では大げさに取りあげますが実際の影響はたかが知れているとハリスは言います。それでも彼女は概してそれが真実であると考えていると言っています。女の子の中には自尊心が低下する子がいると言うのです。ハリスが賛成しないのは、その原囚が親や教師、もしくは「文化」という名の漠然とした力だとされていることであると言うのです。ハリスの個人的な見解では、これは思春期に入った女の子がおかれる状況に原困があるのではないだろうと言います。子どもの頃は女の子だけの集団を形成することで、男の子から支配されることを避けてきました。ところが、生物学的な時計が「13の時」の鐘を鳴らした途端に、母親の手から離れて以来常に支配を振りかざしてきた人々とのやりとりが恋しくなったと言うのです。その人々、すなわち男の子たちが自分とサイズ的にも同じか、わずかな期間ですが自分よりも小さかったときでさえ、さんざんな目にあわされたのに、今では彼らが急激に大きくなってきているのです。

男の子が支配している集団の中で、ティーンエイジの女の子がなんらかの地位に就くためには、男の子が重んじる何かに長けているか、器量がよくなくてはなりません。いずれの取り柄にも欠けていれば、彼女はまず無視されてしまうでしょう。努力すればどうにかなるというものではないのです。子どもの頃は女の子の集団でかなり高い地位にいたかもしれませんが、器量が悪ければそれは何の役にも立たないのです。

自分についてどう思うかを左右するものは二つあるとハリスは言います。その一つは地位であり、もう一つは気分です。所属集団での地位が低くてそれをどうにもできない場合、彼女の自尊心は低下します。自尊心は意気消沈しているときにも低下します。思春期の初め以降、女性が臨床的な意味で鬱状態になる可能性は男性の倍だそうです。鬱状態と自尊心の低さとの関連性はすでに十分立証されているそうです。

ジェンダー以外のカテゴリー” への5件のコメント

  1. 思い返すと小学生時代には女の子と遊んだ記憶はほとんどありませんが、中学生にはいってからはその記憶が鮮明に残っています。そしてそのほとんどを男の子の意見を主導に遊んでいたことも鮮明に残っています。13というタイミングは生殖機能の発達や男の子の身心の発達がめざましい時期ではありますが、それを本能的に感じ取っているのでしょうか。ただしかし、自分の自尊心を低める可能性があるにもかかわらず、もといた女の子の集団での高い地位を捨ててまで男の子との関わりを求めるというのはなかなか皮肉な話ですね。

  2. 先日、園の絵本ゾーンで年長さん女子数人に頼まれて絵本を読んでみました。『じゅげむ』。3人くらいだったでしょうか。笑ってくれる子、にこりともせずに話に聞き入る子、・・・。その集まりには年長さんの男の子はいません。完全ジェンダーグループかと思いきや、何と年中と年少の男の子がその輪に加わりました。ジェンダーフリーグループの成立。異学年の集まり。「また読んでまた読んで」とせがまれ、あの長ーい名前を何回発したことか。しかもスピードアップを要求されながら。結構しんどかったですね。さて、今回のブログを読みながら、中学の部活を思い出しました。部活は異学年構成。中1の私には3年男子グループは近寄りがたく、3年女子の先輩たちと楽しく関わらせてもらいましたね。部活中1の女子は2年3年の先輩男子と上手くやっていたような。「鬱状態と自尊心の低さ」を同級生の女子たちに見ることは私の場合はあまりなかったですね。おそらく、部活という異学年混合グループは「ジェンダー以外のカテゴリー」に属するのでしょう。いずれにせよ、男だけの集団、女だけの集団、というものをほとんど経験してこなかった私には「女の子の中には自尊心が低下する子がいる」ということに気づけませんでした。

  3. 「男女が混在する集団では、話すのも笑わせるのも男性の方で、女性は聞き手や笑い手に徹する場合が多いようです。」そういう意味でも男女の役割というものがあるとしたろ、男性は面白い人がモテるということも何となく頷けるような気がしてきました。
    女の子の自尊心について書かれていて、なるほどだから女性に現実主義的な考え方の人が多いのかと合点のいく思いがしてしまいます。良い悪いではなくそれもまた役割なのだと捉えることが、男性の器量と言えるのかもわかりません。

  4. 〝男女が混在する集団では、話すのも笑わせるのも男性の方で、女性は聞き手や笑い手に徹する場合が多い〟とありました。なるほどな、と現在の自分に当てはめてみても合点がいきます。思春期を過ぎた頃から面白い人というのはモテるんだなと思い、どうしたらそんな面白いことが言えるのか、面白い人を追いかけて、テレビなどで吸収していた日々があったことを思い返しました。
    一方で、その頃の女性は自尊心が低くなるということで、よく女性が男性のタイプを聞かれた時に「優しい人」という女性が多いように思いますが、この「優しい人」の意味は自尊心が低くなった時の「包括的なもの」を男性に求めているのかもしれないなと思いました。男性にもその辺の器量が必要であるんでしょうね。

  5. 「思春期まではそれも順調につづきます。」とあります。「思春期」というのが一つの期間の区切りのようにされていますが、それまで、違ったカテゴリー分けというものがあまり重視されなかったのはなぜなのでしょうか。何か意味があるのでしょうか。しかし、考えてみると、確かにその通りと思い浮かぶ出来事が多いのも事実です。「男女が混在する集団では、話すのも笑わせるのも男性の方で、女性は聞き手や笑い手に徹する場合が多い」というもの思い当たることが多くありますね。最近思うのですが、保育業界はどちらかというと「女性社会」でなりたっていますが、男性職員が入ってきたことで大きく雰囲気が変わってきました。まさに上記にあるような雰囲気が出てきたのです。それまではどこか先生同士の仲もギスギスしているというか、本音があまり出ないような様子が見て取れました。それが文化なのかどうかわかりませんが、現場に男性が「複数いる」「男性らしくいる環境がある」ということは集団においても必要であるということが分かります。それはカテゴリー分けのケースが増えたからなのかもしれませんね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です