育児習慣

アメリカのような多文化社会では、親の子どもの育て方もサブカルチャーごとに異なるようです。母乳は教養がある白人の、それも金銭的に恵まれている女性の間で習慣化されているようです。一部のアフリカ系アメリカ人においては赤ちゃんに母乳を与えなくなってからすいぶんたってしまい、若い世代の中には赤ちゃんをそのように育てることができるということすら知らない者もいるそうです。経済的に苦しむ母親たちに母乳を奨励しようとするニュージャージー州のプログラムの責任者は、「本当にそこからミルクが出てくるって言うんですか、と聞いてくる女性がいましたよ」と語っているそうです。

乳児への食事の与え方、体が曲がるのではという恐れ、呪いをかけられる危険があると信じること、そして抱きしめることの効用などは、心理学者たちが「母親サポート・ネットワーク」と呼ぶシステムの中で、ある女性から別の女性へと伝えられていきます。父親たちもネットワークをもっています。男性の仲間集団の中には反家庭的であることを信条としている集団があるそうです。彼らは家庭にとどまり妻と育児を分担することを嫌うそうです。「おい、奴らと出かけてくるぜ」という具合にです。

研究者たちによると、サポート・ネットワークに属さないアメリカ中流階級の親たちは、文化の規範に反し、わが子を虐待する可能性が高いといいます。しかし、親の仲間集団がすべて厳しい体罰に眉をひそめるわけではありません。これは文化集団やサブカルチャー集団によって異なります。以前はハリスが紹介した二つのメキシコの村、ラ・パスとサン・アンドレスではしつけに関する考え方が大きく異なっているそうです。人類学者ダグラス・フライによると、「サン・アンドレスの親たちはラ・パスの親たちよりもはるかに厳格な体罰を唱道し、それを実践した」と言っているそうです。フライはサン・アンドレスの親たちが子どもたちを棒で殴る様子を目撃したそうですが、ラ・パスではそのような状況には遭遇しなかったそうです。サン・アンドレスの住民の攻撃性が子どもの頃に受けた暴力に由来するものであると断言しなかったフライの功績は大きいとハリスは言います。彼は親が暴力をふるうのは自らが過去に暴力を受けて育ったからではなく、その村の雰囲気を反映するものであると考えたのです。ハリスもそれに賛成しています。

私たちの社会では、体罰に対する考え方は地域やサブカルチャーによって異なります。体罰は裕福な地域よりも、経済的に苦しい地域においてより頻繁に行なわれ、ヨーロッパ系アメリカ人の親たちよりも民族的に少数派の親たちにおいてより多く見られるそうです。こうした育児習慣における文化的な違いは、親の仲間集団を通して波及していきます。

ハリスは夫とニュージャージー州のこぢんまりとした住み心地のよい町で二人の娘を育てたそうです。60年代半ばから80年代半ばまでのおよそ20年間をその町で過ごしたのです。その中流階級の住宅街には、ハリスの娘たちと同年代の子どもをもつ家庭が多かったそうです。そのほとんどがヨーロッパ系アメリカ人で、経済状况もライフスタイルも似通っていたそうです。子どもたちが幼いうちは母親たちも仕事をもたず、子どもたちが数プロック先の立派な小学校に通うようになっても母親たちはパートではたらく程度だったそうです。

育児習慣” への4件のコメント

  1. 自分がどの集団に所属しているか、によって考え方や行動の仕方は確かに大きく違うような気がします。子育てに関して言うと、どんな子育ての考え方や方法を信じているか、このことによって意思疎通ができるかどうかも異なってきます。ものわかりが悪いわが子の頭を小突いてでもわからせようとする親御さんがいました。私は自分の親からでも叩かれることが嫌なので自分ではそうした子への関わりをしませんでした。ですからその親御さんとは子育て観について全く噛み合いませんでしたね。「地域やサブカルチャーによって異なります。」このことはとても重要なことです。この「異なる」ということを知らないか、気にかけずにカルチャーの異なる親の子どもに対応してしまうととんでもないことになりかねません。私の経験では南アジアの人々は他人が自分の頭にその手を触れることを嫌がります。それは頭には神が宿っていると信じているからです。「地域やサブカルチャー」の異なる人々には自分のたちの地域の習慣であるとかサブカルチャーであるとか、あるいは条例や法律等々を伝えていかなければならないでしょう。なにせこれからは「外国人受け入れ」を我が国は積極的に行っていくようですから。

  2. 家族サービスという言葉が過去の言葉になりつつあるような、育メンという親の態度が当たり前の世の中になりつつあるような、そんな現代のように思われますが、どちらの言葉もここ30年程の間で生まれては過去となりながら、子育て歴史の一幕を飾ったのではないかと考えます。そう思うと、これからより時代の速度が上がる中で、どのような子育ての姿勢が善となるのか、とても楽しみにもなってきます。皆がそうしてるから、そういった人間の性質も、皆が善いことをしている場合には、それを真似することは素晴らしいことだと思います。その善いこと、子育てにおける善いことを普及させていくのが保育に携わる人間の大きな仕事の一つですね。

  3. 子育てを放っておいて「おい、奴らと出かけてくるぜ」なんてことを妻に対して言う勇気は私にはありません(笑)ただし、それは私が属する集団、文化やネットワークに基づいた考え方であり、それが異なればそのような態度も当然のようにとっているのかもしれません。体罰に関しても地域やサブカルチャー、親の仲間集団の意識によって捉え方が異なり、その行為に対して安易に良し悪しの判断するのではなく、その行為のバックボーンとなる文化的なものについても目を向ける必要があると思われます。今後、益々グローバル化の方向に向けて進んでいく社会にの中で、地域や国、文化の違いというものをどのように解釈し、受け入れ認め合うかということが子育てに関しても重要となってくる気がします。

  4. 「私たちの社会では、体罰に対する考え方は地域やサブカルチャーによって異なります。」とあります。風潮というのは確かにありますし、それは時代によっても大きく変わってくるものですね。毎年、体罰のニュースが流れますが日常的に行われている環境があり、ニュースになることで改めて自分の認識と常識がズレていたというコメントが出ることもあります。情報が多いこの時代においても体罰の問題は出ています。文化やサブカルチャー、地域によって子育てのあり方も変わってきますが、日本の場合、その歩みは変わっていてもまだまだ課題は多くあります。その時どういった情報を与えるようにならなければいけないのか。保育機関として、どういったことを知っておかなければいけないのか。楽しみなようで、だからこそ、しっかりと目の前の子どもを見て、理論とつなげていくことや考えていくことがより一層必要になってきますね。

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