皆がそうしているから

ハリスは、以前19世紀のあるドイツ人少々について言及していました。母親は彼女の体が曲がってしまうのではないかと心配し、彼女はヒルを使った治療を施されたり、毎日平行棒にぶら下がったりしなければなりませんでした。体が曲がることへの恐れがまるで伝染病のように彼女の母親の家族や友だちに広まった様子を、彼女は次のように語っていたのです。

「新聞や、もしくは神のみぞ知るような媒体にけしかけられるように、子どもたちの肢体に奇形が生じるのではないかという伝染病的な恐れは突然、母親たちの間で広まった。姿勢がまっすぐで、外見上まったく問題がなくても、母親たちは安心せず、自分たちにも何の役にも立たなかった。医者はあらゆる家庭を訪問し、体が曲がる徴候のある者の早期発見に努めた。それこそが私たちに災難をもたらし、何が起こったのかもわからないうちに、誰も彼もが健康上問題ありとされ、健康状態の評価は治療を正当化するために十分の一ほど低くされた。いとこの三人は、ともに同じ家庭の娘たちだが、三人ともケーニヒスベルクに新たに設立された整形外科施設に収容され、オッペンハイム家の女の子数人はベルリンのブレーマーへと連れて行かれた。そして私の友人の多くは、家庭にいるときにはとんでない装置を着用させられ、夜は整形外科用のべッドに結わえつけられて寝かされていた。」

とんでもない装置ですんだドイツの少女たちはまだましな方だったようです。近所、同じ村、同じ部族の人々がやっているからというそれだけの理由で、親が自分の子どもたちに残酷な仕打ちを行ないうることを彼女たちは知りませんでした。親が娘の生命や健康、出産能力をおびやかすような残酷な仕打ちをしようとするのは、たんに他の皆がそうしているからなのです。彼らの友人や隣人たち、きようだいや親戚、皆が自分たちの娘に同じことを行なっているので、その慣習を拒んだりすれば、これら全員から嘲弄されることになるのです。

そのような慣習は必ずしも親から子どもへと伝えられるものではありません。子どもの体が曲がってしまうのではないかと恐れたドイツの女性たちはその意識を新聞や同じ女性たちから植えつけられたのです。人は自分の子どもたちを友人や隣人たちと同じように育てるのであって、親に倣うわけではありません。そしてこれは今日の社会のように情報過多な社会に限ったことではありません。人類学者ロバート・ル・ヴァインとバーバラ・ル・ヴァイン夫妻が1950年代にアフリカのグシイ族の調査をしたとき、当地には乳児の鼻をふさぎ、息を吸うために口を開けなければならないようにしてむりやり雑穀粥を食べさせる習慣があったそうです。ロバート・ル・ヴァインが二番目の妻サラとともに1970年代にこの部族を再訪したときには、その「危険で無駄な食べさせ方」は影をひそめ、母親たちは雑穀粥をビニール製の乳首のついた哺乳びんから飲ませていたそうです。

哺乳びんの使用は第三世界でも瞬く間に広まりましたが、その変化は必ずしも歓迎されませんでした。メキシコのユカタン半島に居住するマヤ族の女性は、彼女たちが乳児のころには伝統的に母乳で育てられたものですが、現在では自分の赤ちゃんたちには調合乳を哺乳びんで与えているそうです。こうした赤ちゃんの祖母たちはそれを歓迎せず、母乳で育てられた子どもの方が健康でぶくぶく太ると信じていました。実際には、その祖母たちが正しかったのです。ある研究者は、調合乳で育てられた赤ちゃんは胃腸が弱く、痩せる傾向にあるという結果を得ています。その研究者は「なぜユカタン半島の母親たちは自分たちに適した昔からの母乳の習慣を放棄し、あまり適しない新たな調合乳の習慣を歓迎するのだろうか」と首を傾げているそうです。その答えは、友人や隣人がそうしているからです。「ママとやり方が違うからって、ママがその方法を嫌うからって、どうだって言うの?」とハリスは言います。

皆がそうしているから” への4件のコメント

  1. 育児書や育児雑誌、今では育児に関する情報がネットで配信される世の中になりました。自分の親たちの育児方法などは「古い」で片づけられてしまうようです。スポック博士による育児が影響を与えたり、三歳児神話が信仰されてその通りの子育てが奨励されたり、・・・。今や、隣人や親同士というより「ネット情報」が信憑性をもって語られる時代の育児環境。楽しく子育てができていればいいのですが、あの情報、この情報に振り回され悩みに悩みぬいている親御さんも多いような気がします。また、赤ちゃんのうちから保育園に預けるなんて可哀想、とする祖父母の方もまだいらっしゃるでしょう。その方々が現役子育て中だった時にはおそらく3歳児から保育所や幼稚園に預けたり、あるいは早期に預けても満2歳以降だったり、だったでしょうから「可哀想」になるのでしょう。ジェネレーションギャップとでも申しましょうか。「慣習を拒んだりすれば、これら全員から嘲弄されることになる」この同調圧力は存在しますね。「皆がそうしているから」圧力は抗するには結構な精神力が必要なかもしれませんね。

  2. 何が正しくて何が正しくないのか、それを追求しようとするとどうしても偏ってしまい、考え方が下降的な時は下降的な結論を、気分が明るい時は前向きな結論を、と、欲しい情報を手に入れようと無意識に働いてくれる脳に身を任せればいくらでも欲しい情報の手に入る時代です。正しさというものがどうやら二面性を持っていて、時代によって変化し易い性質のものであることを思った時、その情報に対して疑いの気持ちを持つことや、自分の目で確かめてみるような心の余裕を持つべきものなのかもわかりませんね。そうして見つけたものを、正しさでぶつかり合わないように配慮したりしながら、文化を育てていくような、そういう進め方というのもあるような気がします。

  3. 正しいと信じて周りとは異なる道を進むことはなかなかに勇気のいることだと思います。人と関わり、集団の中で生きているとどうしても同調意識というものが働いてしまい、まさに「皆んながそうしているから」という明確な根拠もない意識のもとで行動してしまいがちです。子育てや病に関しては、きちんとした知識や経験、判断基準を持っていなければブログの母親のケースのように流されるままに周りと同じことをしてしまうのは仕方のないことなのかもしれません。様々な情報が飛び交い、また簡単に情報を得ることのできる現代社会においても、そのような状況に陥ることは多々あると思います。何が正しいのかを見極めることも大切ですが、保育に携わる側としてきちんとした情報を発信すること、伝えることをしていかなければと思います。

  4. 人の集団意識というのは親の影響よりも大きいのですね。このことが良いこともあれば、悪いこともあるのでしょうが、一概に親の影響が子どもたちにあるということは言えないのがわかります。考えてみると親だけの影響ではヒトは生き残ってはこれなかっただろうことも予想がつきます。人が生存してきた背景にはこういったヒトを介した影響があるのでしょうし、親の影響、家族の影響だけというのはネアンデルタール人が絶滅した背景と似ているように思います。様々な人の様々な意見から影響を受けて既成概念を壊していくのもヒトの力であり、だからこそ、家庭の中だけではなく社会の中で子どもたちも育っていかなければいけないのですね。

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