男女の判断

昨日紹介した実験は、赤ちゃんとは本来同質のものですが、デイナやデイヴィッドといった名前をつけられ、その後違った扱いを受けるために、男の子は男の子のように、女の子は女の子のように育つのだということを立証するはずでした。ところが、その16年後、別の研究者二人が多少違った実験を実施しました。一人ではなく、数人の赤ちゃんの様子をフィルムにおさめ、それを大学生に見せて登場するすべての赤ちゃんについて判断してもらったのです。フィルムには赤ちゃんの性別を示すような手がかりは何一つなく、名前もつけられていませんでした。そのような状況にもかかわらず、おしなべて女の赤ちゃんの方が、感受性が強く、男の赤ちゃんの方が元気がいいと判断されたのです。もし12名の健康な赤ちゃんを借りてきて、男女の見分けのつかない洋服を着せ、「ジェイミー」や「ディル」、さらには「ヤンツェン」などと呼び、道行く人にその赤ちゃんの性別を推測してもらったとしても、おそらく半数よりずっと多くの人が正しく言い当てることができるだろうと言います。

ハリスが担当して1984年に出版された児童発達に関する教科書の初版には、「男女の一卵性双生児のケース」が付録として掲載されていたそうです。それはジョンズ・ホプキンズ大学のジョン・マネーとアンケ・エーハルトによるレポートに基づいたものだそうです。マネーとエーハルトは、一卵性双生児の男の子をもつ親のカウンセリングを担当することになりました。その双子のうち一人は、残酷な不幸に見舞われていました。生後七カ月のときに受けた包茎手術の失敗が原因でペニスが損傷を受けてしまっていました。両親は田舎生まれで、小学校までの教育しか受けていませんでしたが、彼らには無傷な息子と、一点を除きあらゆる点でその子とそっくりな息子がもう一人いたのです。その一点とは、ペニスが欠損していることだったのです。

医者は両親にペニスを再生する方法はないと告げました。次善策は負傷した双子の一人を女の子として育てることだとも告げていたのです。その子の精巣を摘出し、男性ホルモンの分泌源を取り除くことを医者は勧めました。思春期にエストロゲンを投与すれば、女性的な体つきになれるはずだと言ったのです。

両親は数カ月思い悩んだ末、その子が生後17カ月のときに決断しました。男の子は精巣を除去され、外見的には女性の外性器と同じになるよう再生手術が施されました。女の子の名前がつけられ、それ以降、女の子の服装が着せられ、女の子として扱われました。

マネーとエーハルトの報告によると、両親は心からその子の新しい性を受け入れている様子だったそうです。心理学者はその後数年の間に母親から何度か話を聞いていましたが、彼女は常に双子のうち、一人は男の子で、もう一人は女の子であるとはっきり意識していました。ハリスの担当した参考書の付録には、その母親の言葉が引用されているそうです。

「彼女は(双子の兄よりも)上品なように思います。それは私がそうなるよう心がけたからかもしれませんが。…とにかく髪の毛を整えてもらうのが好きなのです。そのためには1日中ドライヤーを当てられていても平気なくらいです。」

子どもも親も変化に順当に適応しているようには見えましたが、マネーとエーハルトは、さほど重大ではないものの、いくつかの問題点を指摘していました。「その女の子はとてもおてんばだった。たとえば、力があり余っていたり、たいへん活発であったり、頑固でもあり、女の子集団の中でも支配的であることが多かった」と彼らは報告しています。

男女の判断” への11件のコメント

  1. ペニスの欠損により「女の子」として育てられることなった「男の子」。人間の性とは一体何だ?と疑問に思います。そしてその「女の子」はやがて「とてもおてんばだった。たとえば、力があり余っていたり、たいへん活発であったり、頑固でもあり、女の子集団の中でも支配的」と評価判断されます。もともと男性だったから?LGBTも結局、性の問題に辿り着きます。そして性差が「らしさ」で強調されることもあります。「マネーとエーハルトの報告」は本当に刺激的です。親は一生懸命「女の子」として育てるのですが、引用したように、男性性とでも申しましょうか、男の子っぽさはやはりほぼ必然的に残っています。男の子、女の子、Y染色体による差異。我が国では大人による男女の刷り込みが保育をおかしな営みにしてしまうこともあります。まぁ、違いは尊重しながら、余計な差別区別がないよう、子どもたちには接していきたいものだと思います。

  2. 性別を決めるものとは結局いったいなんなのでしょうか。ホルモンでもなく、身体的特徴でもなければ育て方でもない。LGBTのことを考えれば遺伝子が性を決めるとも言えない。こういった分野の研究を知れば知るほど自分の性にも違和がないかを疑ってしまいます。そもそも自分が性を意識しはじめたのは周囲の大人の影響が強かったように思いますし、子供たちにはあまり偏った差別意識を持たせないようにしたいです。

  3. 1984年と言えばそんなに昔でない、つい最近のことです。双子の子たちはどのような大人になっているのでしょうね。そして性というものをどのように捉えているのでしょうか。親は子どもの20年遅れと言いますが、これからの子どもたちはもっと多様性の進んだ社会で生きていくのだと思うと、それは性にしても今の価値観のままではないのかもわからないと思えてきます。現代に合わせながら生きていく為にも、新しい研究に触れ続けていくことはとても大切なことだと思いますし、子どもや若い人たちの意見に耳を傾けられるようなゆとりを持てる大人になりたいと改めて思います。

  4. 出生時、人は「性別を割当」られ、以後そのまま過ごす人もいますが、トランスジェンダーの人たちがしていることは、その「性別の割当」を再び行うことです。かくいう私も、マジョリティであり、マイノリティではなかった。LGBT等の方への偏見というか、何故なんだろうと思ったこともありました。今は医学的見地からみてもしっかりと認められている。あの時、私は心が貧しかった。LGBTや、トランスジェンダーの方の世間の見方が、まだ障害というくくりと思っていたら。それは素晴らしい個性なんだと私は思わされる内容でした。

  5. まず、自分は男として生まれて、普通に男として今まで育ってきたことに感謝します。
    男の子でありながら女の子として生きていかなければならなくなってしまったということでしたが、環境的には女の子としての環境にできるだけもっていき、女の子として育てられていたのですが、最後の方に〝とてもおてんばだった。たとえば、力があり余っていたり、たいへん活発であったり、頑固でもあり、女の子集団の中でも支配的であることが多かった〟という男の子の特徴を思わせる記述がありました。この辺がY遺伝子によるものであるのでしょうか。今はその男の子?はどんな風にしているんでしょうか。気になります。

  6. 一卵性双生児として生まれ、ペニスを除去後女性として生きてきた子どもを負追ったのですね。結果だけを見れば、体つきをかえることで、環境がその子ども自体を「女性」と認識することで、「女性らしく」なってきたといえるのでしょう。しかし、最後の一文でのおてんばや力が有り余っていたり、活発であるということを取り上げると完全な女性というわけではないということが表現されているように感じます。そういった子は珍しくはないような気もするのですが、もし男性との影響があるのであれば、その部分は「遺伝子」の影響によるということなのでしょうか。子どもの認識も周りの環境の認識も新しい性を受け入れたにもかかわらず、出てきた子どもの姿から見えてくるものはなんなのでしょうか。

  7. ジェンダーレス、トランスジェンダーなど現代における男女の性の判断は難しく、かつ曖昧になっているようにも感じます。着ている服、体の特徴では判断できないこともしばしばで、それその判断を間違えてしまえば差別者扱いをされてしまいかねないこともあります。現代においては外見や周りの意思とは関係なく、本人がどう在りたいかで性別というものが決まるのではなおでしょうか。逆に言えば、そのような性差にこだわらず、心のあり方を受け入れる寛容な社会になってきたということを感じてはいますが、私を含めてそれらに対する理解はまだまだでしょうし、今後さらに議論が巻き起こって行くことは間違いないと思います。

  8. 「男女の一卵性双生児のケース」というのはある意味衝撃でした。男女という話の前に包茎の手術が失敗してしまうということも衝撃的ですね。それで彼の運命が大きく変わってしまったことに少しショックを受けてしまいました。話がズレてしまいましたが、こうしたケースで男女での生きていく道が決められることもあるのですね。また、それを判断する親も相当な決断力が必要ですね。最後にある問題点ではやらりある程度男の子気質が出でいるということでしょうか。大きくなるにつれてその影響が大きくなってしまうということでしょうか。

  9. 一つの例をあげてあり、、確かに生きる上で見た目的には苦労をしないような選択ではあると思います。そして、エストロゲンにより、より女性らしさがでることも理解できますが、、しかし、その子の産まれ持った性というのはそう簡単に変わらないように思います。遺伝子を変えるわけでもなく、その性のなかにもち得た生得特徴は、隠しようがないように思えます。人に言われる性差よりも、自分自身感じていることが強いと思いました。

  10. 男女の違い、性別というのをここまでちゃんと考えた事がなかったので、とても良い機会になっています。この業界に入ったからなのか、藤森先生と出会ったからなのか、やはり子どもと接する仕事だからこそ男女の違いというのは尚更意識しないといけないのかもしれません。男の子だから、女の子だからといって遊びや行動、服装、1つ1つ取ってもそれまでの先入観で判断してしまうのではなく、個性として認める事がまずは大切なのかもしれません。特に親となった自分に置き換えてみても、我が子に対する思いというのは人一倍です。だからこそ違いを認め、違いを尊重し合えるような関係を築くには、まずは大人自身が変わらないといけないと思いました。

  11. 双子の例、とても驚きました。「負傷した双子の一人を女の子として育てることだとも告げていたのです」とありましたが、医者もなんという提案をするのだと思いましたが、両親やその子を思って考えた方法だったのかもしれませんね。しかし、驚きました。そのようなことが可能なのですね。「その女の子はとてもおてんばだった。たとえば、力があり余っていたり、たいへん活発であったり、頑固でもあり、女の子集団の中でも支配的であることが多かった」とありました。これはその女の子から、元々は男の子であったことの名残のようなものを感じたということなのでしょうか。女の子であっても、このような子はいるよな〜と思ってしまいました笑。しかし、そう考えると、男の子だから、女の子だからという印象はとても曖昧で、不確実なものなのかもしれませんね。人も世代によって多少の傾向はあるのかもしれませんが、それすらもそうなのかなと思えてきます。

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