父親の関与

宮崎県幸島のニホンザルの群れに属する4歳のイモは、麦の粒と砂を海に投げ入れることで選り分ける方法を発見しました。それはまた別の文化的新をもたらし、それを先導したのが二歳のメスのエゴでした。エゴは仲聞集団に泳ぎを教え、まもなくすると若ザルが皆波打ち際でバシャパシャと泳ぎ、海とりに水中に潜るようにもなりました。群れの大人ザルはほとんどこの遊びには加わりませんでした、その大人ザルも徐々に他界し、若ザルが歳を重ね、大人ザルへと成長していきました。こうして海で泳ぐことが幸島のニホンザル文化の一端を成すようになったのです。

時満ちて、若年層が年配層になります。以前の先輩たちと大きく異なる場合もあれば、ほとんど変わらない場合もあります。19世紀初頭から20世紀半ばにかけて、イギリスの上流階級では、数世代にわたり、男性的な行動様式、態度、さらには話し方にいたるまでが親子でそっくりだったそうです。父親は子育てにはほとんど関与していなかったにもかかわらずです。このことが、ハリスを不思議に思わせたきっかけだったそうです。

サー・アントニー・グリンは准男爵を父にもち、イギリスの典型的な上流階級で育てられました。彼は1913年に生まれ、最初の8年間は乳母や家庭教師が彼の面倒を見ました。当時の上流階級の紳士淑女たちは、子どもが嫌いだと公言することをはばからなかったそうです。子どもの姿は見ても声は聞かず、という慣習だけでは満足しなかったのです。アントニーは、「真なるイギリス人とは、子どもたちの姿も見かけない方がいいと思っているものです。長期休暇ごとに堅忍不抜、質実剛健、そして切磋琢磨について説教する、親の役目はそれで十分なのです」と言っているそうです。

8歳になると幼いアントニーは上流階級向けの全寮制学校である私立の初等学校へと入学し、その後イートン校へと進みました。18歳でイートンを卒業するまで、彼が帰省したのは学校の長期体暇のときだけだったそうです。彼が父親と接触するといえば、年に二回行なわれる堅忍不抜、質実剛健、そして切磋琢磨についての説教のときくらいだったのでしょう。

アントニーは、「学校とはそれ自体が目標であって、とりわけその学校が伝統校であり、優秀な男児を養成することで有名であれば、なおさらでした」と、皮肉たつぶりに言っているそうですあまり楽しい思いではないのだろうかと思ってしまいます。しかし、彼もイートンが優秀な男児を養成するという点は否定できないでしょう。ワーテルローの戦いでナポレウェリントン公は、「イートンの校庭が勝利をもたらした」と評したそうです。その場所でこそ、イギリス人将校としての品性が養われたのです。しかも教室ではなく校庭なのです。男児たちが教師たちからほとんど監視されずに遊ぶ場所です。公爵が賞揚したのはイートンの教育ではなく、そこの文化だったのです。

「上流子弟が通う全寮の私立中等学校であるパブリック・スクールでの教育の目的は役立つことを学習することでもなければ、それどころか、学習そのものでもないのです。品性と心の鍛錬、適切な社会的イメージを備えること、よき友人を得ることが目的なのです」とアントニーは言っています。

父親の関与” への5件のコメント

  1. 「真なるイギリス人とは、子どもたちの姿も見かけない方がいいと思っているものです。」身の回りにない文化形態をしているからか、驚いてしまって、単に子どもに冷たいだけなのではないかと思ってしまったのですが、この子育ての姿勢は、子ども社会への理解を土壌としていますね。その上に成り立ち得た文化であることを思った時、それと真逆に位置するような子育て、例えば親の過干渉や過保護な子育て態度はどれだけの弊害を子どもたちに与えているのか、と思えてきてしまいます。
    「イギリスの典型的な上流階級」の子育て法に則るべき、ということでなく、その子育て法の根幹に子どもたち同士の関わりへの理解があることを理解し、自分たちの子育て、保育の姿勢を見直すことが大切だと思います。

  2. 幸島の猿の件、いろいろと考えさせられますね。文化と文明。文化はその時代その時代を特色づけるものであるとすれば、文明とはその文化に新たなものが付加されて形成されたもの?などと考えるのです。「若ザルが歳を重ね、大人ザルへと成長していきました。こうして海で泳ぐことが幸島のニホンザル文化の一端」を成すようになった、ということです。とするなら、私は文明形成の担い手は若者たちでその若者たちがやがて大人になって花開く社会現象なのだろうと思うのです。イギリス上流階級のしきたり。イギリス紳士の中には子どもは子どもの世界で、という厳然としたルールがあるような気がしました。このことが英国紳士を育て上げることに繋がるのでしょうか。8歳から18歳まで10年間は親元を離れて全寮制の私立学校に通う。これもその時代の地域文化の一端なのでしょう。どんな社会を形成していくのか。19世紀英国上流階級社会にはそのコンセプトが明確になっていたのかもしれません。どんな未来を予想するのか?教育の目的はこの点をしっかりと踏まえなければならないと思ったところです。

  3. 「当時の上流階級の紳士淑女たちは、子どもが嫌いだと公言する」「真なるイギリス人とは、子どもたちの姿も見かけない方がいいと思っている」「父親と接触するといえば、年に二回行なわれる堅忍不抜、質実剛健、そして切磋琢磨についての説教のときくらい」今の時代の過干渉や過保護の真反対の子ども観ですね。しかし、親と関わる機会が少ないにもかかわらずに似てくるのは確かに不思議なことです。あくまで「父親像」というモデルを作るからなのでしょうか。その反面、全寮制の学校への進学など親と関わらなくてもヒトの人間性は磨かれていきます。「イートンの校庭が勝利をもたらした」「品性と心の鍛錬、適切な社会的イメージを備えること、よき友人を得ることが目的」学校での教科以上にそこでの文化こそが英国紳士を生んだのですね。今の時代とこの頃の時代とでは子どもの関わり方は大きく違いますし、社会形態も大きく違いますが、ここから見えてくるものは多くあり、やはり親と子どもだけの環境では社会性や人間性を育てるのは難しいということなのでしょうね。

  4. 文化も世代の移り変わりによって廃れていくもの、より革新的なものへと昇華するものなど様々ですね。文化とは変わることなく伝えられていくことが常であるかのように思っていましたが、実際のところは不変的なものでもなく、後の世代次第でどうなるかは分からないものですね。
    「真なるイギリス人とは、子どもたちの姿も見かけない方がいい」という一文を見たとき、最初は冷たいように感じたのですが、ある意味では親の関与がなくとも子どもは子ども集団、子ども社会の中でしっかりと育つということを理解した上での言葉のように感じます。少しでも冷たいと感じてしまった私は子どもの育ちにとって何が大切なのかをきちんと理解できていないのかもしれません。それを踏まえた上で親として、保育者として私が子どもに対してどのように関わるかべきかをしっかりと考えていく必要がありそうです。

  5. 〝イートンの校庭が勝利をもたらした〟とあり、自分も休み時間のたびに校庭に裸足で出て、遊んでいたのを思い出しました。教室ではなく、校庭というのがみそですね。イギリス人の品性が養われたということで、男子ばかりで遊んでいる中で、その品性は磨かれていったのでしょうか。いずれにしても、その校庭で文化が育まれ、伝承されていたということで、父親も同じように校庭で品性を育んだのでしょうか。説教の時だけしか、父親と接する機会がないのに、父親と似てくるというのは不思議ですが、そのあたりが要因になってくるのではないかと思いました。

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