ステレオタイプ

赤ちゃんは男性にも女性にもなれる可能性をもっており、男らしい行動や女らしい行動はすべて文化的に養われるものだという考え方を普及させたのは人類学者マーガレット・ミードです。色眼鏡を通して物事を見るという彼女の癖を物語るもう一つの例ともいえるものをハリスは紹介しています。

彼女はニューギニアのある部族、チャンブリ族を、男性は女性的に、女性は男性的に行動しているかのように著わしたそうです。従順で不安げな男性と、強く偉そうに振る舞う女性。人類学者ドナルド・ブラウンによると、ミードは誤った解釈をしていたと言います。実際にはチャンブリ族の間では、「一夫多妻制が当たり前で、女性は買われて男性の妻となり、男性は女性よりも強く、女性を殴ることも許され、男性が主導権を握ることは当然だと思われていた」と言っています。

私たちが知りうるあらゆる社会では、男性と女性とでは行動様式が異なります。その違いはアメリカよりも他のほとんどの社会の方が顕著だろうとハリスは言います。さらにその違いのパターンは万国共通だと言います。男性は権力を掌握し、影響力のある地位に就くことが多く、女性は他人の世話に従事することが多いと言います。男性は狩猟民であり、戦士です。女性は採集民であり、養育者です。男の子も女の子がいなければ、子守りを強いられますが、子守りは女の子の方が向いているという認識は万国共通です。女の子は競って赤ちゃんを抱きたがりますが、男の子はそこまで関心を示しません。あるイスラエル人の研究者は、調査対象の家庭では、多くの親が息子にも人形を与えていたと報告しています。ところが、男の子に与えられた人形はおむつを換えられることがなかったそうです。それどころか、その若き所有者たちが「人形を踏みつぶしたり、ハンマーのように家具に叩きつけていた」様子を、研究者たちは目撃しているそうです。

世界中の人々が、男性と女性に関する似たようなステレオタイプをいだいているのは偶然ではないだろうとハリスは言います。社会心理学者ジョン・ウィリアムズとデボラ・ベストは多種多様な25カ国の大学生に対して質問用紙を配り、それぞれの性別に関して使われることの多い形容詞に印をつけるよう依頼しました。その25カ国すべてにおいて、男性は攻撃的、活動的、無謀、強靭といった形容詞との関連性が高く、女性は愛情豊か、慎重、感受性豊か、さらには感情的といった形容詞との関連性が高かったそうです。

ステレオタイプという単語はよい意味では使われない場合が多いと言います。この語は偏見を連想させ、人をあまりに単純に、間違った論拠から判断してしまうことを指します。ところがウィリアムズとベストは、ステレオタイプについて「本質的には他の一般化と変わりはない」としています。彼らの見方では、「ステレオタイプとは、人の集合体に関する一般化にすぎず、それは必ずしも好ましくないものでもない」と言います。私たちは他の集団に関してだけでなく、自分の所属集団に関してもステレオタイプをもっており、自分の所属集団のステレオタイプには概して肯定的です。それは他集団よりも自分の所属集団を好意的に位置づける傾向の結果であるとハリスは以前に述べています。

ステレオタイプ” への11件のコメント

  1. 老夫婦などがもつ、言わずとも通じる関係というのはステレオタイプや先入観の究極形なのかもしれませんね。もちろんそれが失敗し、いざこざの種になることもあるでしょう。特に欧米諸国では思っていることはなんでも口にするといいますが、私は日本人特有の言葉をあえて発さない奥ゆかしさもとても素敵な文化であると感じます。ステレオタイプや先入観という言葉は悪い意味で使われがちですが、それにとらわれるということがなければ、相手の考えを先読みし思いやる素敵なものにもなりうるということですね。

  2. ステレオタイプ=固定観念、と理解しています。型にはまった、ある意味、融通の利かないこと、として。社会心理学者ジョン・ウィリアムズとデボラ・ベストによる定義「人の集合体に関する一般化にすぎず、それは必ずしも好ましくないものでもない」つまりは否定的な概念ではないということですね。私たちはともすると「人の集合体に関する一般化」を平気でしてしまいます。「中国人は・・・」とか「フランス人は・・・」などなど。まぁ、集合体でない一人の人を決めつけて判断してしまうこともよくあります。ステレオタイプとは他者の理解判断を容易にする人の思考パターンなのでしょうか。「男の子に与えられた人形」のところではハンガリーの保育園で目撃したことを思い出しました。おそらくオムツ換えを楽しむためなどの人形だったと思いますが、男の子はその人形に馬乗りになったり、こぶしで叩いたりしていました。案の定、そのお部屋の先生に止められましたが・・・。

  3. 「ステレオタイプとは、人の集合体に関する一般化にすぎず、それは必ずしも好ましくないものでもない」自身をカテゴリー化しようともせずとも、何かに所属することは社会で生きていく上で不可避なことであり、その所属する何か、組織であったり、仲間であったり、それについて判断基準を持たねばならないとするならば、ステレオタイプという概念が脳裏にあることは実はとても便利なことなのかもわからないと思えてきます。固定観念、刷り込みも一周回って善と捉えることが出来る。そう思うと、人間の考えることというのは本当に面白いですね。

  4. 〝男性と女性に関する似たようなステレオタイプをいだいているのは偶然ではないだろう〟とハリス氏は述べているということで、世界中で男性と言えば…女性と言えば…という印象が大体当てはまるという実験がなされていたんですね。そして、それが必ずしも悪いわけではないということでしたが、普段自分たちはこれまで生きてきた中での「刷り込み」をなるべく取り除こうとしています。ですが、ある程度のステレオタイプによる予測をすることにより、その予測の範囲を狭めることができ、簡略化する効果もあるということでしょうか。

  5. 以前、私が従事していた職において、ステレオタイプの人がほとんどだった気がします。物を売るということは、まず商材があります。その商材が高価なものであるほど、ステレオタイプの人間が多かったように感じます。私が従事していた営業職は、これは営業全般に言えることかもしれませんが。第一印象で全て決まるとこもあったようにも思います。心理学の分野で研究されてきた歴史があり、その中で「初頭効果」というものが発見されました。これは端的に言えば最初に示された特性が印象に残りやすく、後の評価に大きな影響を与えるというものです。1971年に米国の心理学者アルバート・メラビアンが行った研究では、出会ったときの最初の数秒でその人の第一印象が決まるということが分かりました。メラビアンの法則では、初対面の人について、言語、視覚、聴覚で矛盾した情報が与えられたとき、どの要素を優先して判断しているかを調べた結果、「視覚が55%、聴覚が38%、言語が7%」になったというものです。ということは、第一印象の半分以上が視覚的情報で決まってしまうということです。
    しかし、私が働いてる時、ある先輩が。おいお前いってこいと言われた時に、見たその人物は、60代で、身なりも綺麗ではなく、サンダル。そして軽トラックに乗ってきた方でした。あーだから上司は俺にいけといったのだと悟りました。これはまさにステレオタイプ 。仕方なくいった私はしばらく営業するうちにビックリ。なんとその日にキャッシュで購入されていきました。
    というエピソードもありました。日本人は特にこのステレオタイプが多いと思った事をこの内容を読み回想されてもらいました。

  6. 「自分の所属集団に関してもステレオタイプをもっており、自分の所属集団のステレオタイプには概して肯定的です」というのは確かですね。なるべく他の意見にも耳をかそうと意識をしつつも、自身の属する集団の考えや方針が根底にあるので、それに対して否定的なものは受け入れがたく、どうしても所属集団を肯定的に捉えようとしてしまいがちです。私の園のようにスタッフ各自が様々な園での経験を基に働いていますので、保育感についてもそのことを感じることが時折あります。ステレオタイプが概して良くないというわけではないと思いますが、それにとらわれ過ぎないような柔軟な考え方というものがやはり必要だと感じます。

  7. 「ステレオタイプ」についてはこれまでのブログの中でも話されていましたね。誰しもが持っている感覚かと思います。人にとって、尺度は必要になってくるでしょうし、それがあることで物事を判断することもあると思います。このステレオタイプというように「先入観」や「既成概念」といったものも同じように言われることがあります。人にとってのこれらの感情や意識は「参考」とする上ではとても重要なことでもあるのですね。さて、今回男女の違いということが言われていますが、イメージというものに共通することが多いのですね。確かにそういった部分が見え隠れすることは多いように思います。一般的な見方もないところから出るわけではないので、ありえるところなのだと思います。ただ、それを全員一緒くたに考えるのは強引ですね。保育でも、「発達」や子どもの見方を同じように見るからこそ、できるの能力を比べてしまうことが多いのかもしれません。あくまでそれぞれの人格を踏まえたうえでの考えかたにしなければいけないのでしょう。しかし、研究としてはそれを言っちゃおしまいといわれそうですね。

  8. 「世界中の人々が、男性と女性に関する似たようなステレオタイプをいだいているのは偶然ではないだろう」「ステレオタイプとは、人の集合体に関する一般化にすぎず、それは必ずしも好ましくないものでもない」とあり、以前にもで出来ていたステレオタイプの内容ですが、今回そのステレオタイプについてうまく向き合うようなことが書かれているということでしょうか。ステレオタイプに対してそれを活用といいますか、そういう考えもあるんだという視野を広げる意味でも見れるようになることが大切ですね。

  9. ステレオタイプによる思い込みや刷り込み、レッテルなどは、確かに他集団の文化に対しても見られる傾向が強いことが見受けられますが、”私たちは他の集団に関してだけでなく、自分の所属集団に関してもステレオタイプをもっており、自分の所属集団のステレオタイプには概して肯定的”
    とあり、同じ環境で過ごすことにより、その一見、他から見れば、偏見のような部分も同じ所属であれば、重要なようにとらえらるのでしょうね。しかし、このステレオタイプによるものが子どもの子育てに現れてくると怖さがあるように思いました。

  10. 刷り込みという事に関して深く考えたことがありませんでした。例えば大学に進学するまで地元で暮らしていたわけですが、そこでの生活が当たり前とい思っていたことが、東京に出て、様々な人と接することで地域性であったり、文化を知ります。今度はそれが当たり前にな理、社会に出ると、さらに違う人と接することで、新たな文化を知る事になります。ブログの最後に書かれてあるように、集団の中にいると自分の集団が肯定的に位置付けるのは自然な事のような気がします。ただ肯定するあまりに他を受け入れないというのは少し違うようにも思います。色々な人と出会い、受け入れる事で、人は成長していくのだと思いました。

  11. 「色眼鏡を通して物事を見るという彼女の癖」という言葉はなかなかインパクトがありました。このような見方はしたくないなと思いました。ステレオタイプについては「本質的には他の一般化と変わりはない」という考え方があるのですね。ステレオタイプというと私自身もあまりいい意味としては受け取っていませんでした。一般化と変わりはないとありましたが、そう思うと、集団の中で生きていく上では時に必要でもある能力なのでしょうか。「だいたいこの人はこうだ」という見方は集団の規模が大きくなればなるほどというのか、多くの人と接する上で、自分のストレスを減らすためにも人は自然と行なっている行為でもあるのでしょうか。ですが、先にもあったように、色眼鏡で見てしまうことが癖になってしまうような強いものであってはいけませんね。

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