どこで学んだのか

パブリック・スクールでの教育の目的は、品性と心の鍛錬、適切な社会的イメージを備えること、よき友人を得ることが目的であるほか、正しい話し方を身につけることも目的だとアントニーは言っています。英国貴族の若き息子たち、さらにはそのまた息子たちが長い年月の間、徐々にですが、没落の一途をたどりつつある様子をアントニーは次のように語っています。

「長子相続制度のために、長兄以外の息子たちは成人すると『落ちこぼれ』てしまう。自分の息子をかつて自分自身が在籍した学校に人学させることができず、その結果、社会階級が徐々に落ちてゆき、『言語にもアクセントにも貴族らしさが見られなくなる』。」

ASLの教師であるスーザン・シャラーは、「言語とは特定の部族に所属することを示す会員証」だと言ったそうです。イギリス人にとってのそれはアクセントなのです。正しいアクセントこそが、上流階級に属する証だと言うのです。『蝿の王』の中で、ピギーという登場人物は三つのハンディキャップを背負っていました。デブで、メガネをかけ、そしてアクセントも違います。全寮制学校出身者だったのは、悲劇の元凶であるジャックだと言います。ウェリントン公も面目まるつぶれだとハリスは言います。

洗練された全寮制学校に通っていた少年たちはその貴族的なアクセントを中・下流階級出身の乳母から教わったわけでもありません。また親とのわずかで、そっけない関係の中で習得したものありません。荘園領主の館生まれの教師はまれであるため、教師から習得したものでもありません。彼らは彼ら同士でその話し方を身につけたのです。アクセントはイートンやハロー、もしくはラグビーといった場所で、年長の子から年少の子へと代々語り継がれていきます。またイギリス上流階級文化のそれ以外の特徴であるこわばった上唇、謹厳実直、洗練された美的感覚も同じように伝えられます。少年たちは父親の施す堅忍不抜、質実剛健についての説教から文化を習得するのでもありません。父親が文化を習得したその同じ場所で、彼らも習得するのです。

イギリス貴族たちが自分の息子たちを入学させるプレバラトリー・スクールでも、パブリック・スクールにおいても、伝承される子ども文化があり、それはオービー夫妻が調査した遊びと同じく、年長の子どもから年少の子どもへと伝承されます。テレビが登場する以前はこうした学校の生徒たちが大人文化に触れる機会はほとんどなく、学校外の世界で起こることが彼らの生活に影響を及ぼすことも少なかったです。ラジオを聴く機会も、新聞を読む機会も限られていたため、目新しいものは自分たちで考案するもの以外には何もありませんでした。コーホートもそれ以前の集合体と大差なく、何世代もの子どもたちが通過しているにもかかわらず、文化は変わらぬ様相を呈しつづけました。息子たちが父親と酷似するのは、両者とも同じ場所で、同じように社会化を果たしたからなのです。息子たちは、自分の父親が以前にそうしたように、卒業する時に文化を道連れにしました。その両者の文化はかなり近似したものだったのです。

若い世代が年配の世代から文化を習得すると考えるのが普通ですが、この場合はその逆であるとハリスは言います。子どもたちは大人文化とほとんど接触することはありませんが、大人は常に子ども文化にさらされてきました。皆、昔は子どもだったのです。

どこで学んだのか” への4件のコメント

  1. イギリス英語はクィーンズイングリッシュなどと呼ばれます。私たちが中高で耳にしてきた英語と異なります。確かにアクセントが何ともの気になるというか、独特なものがあると感じたことを思い出しました。「正しいアクセントこそが、上流階級に属する証」。なるほど、アクセントで階級差を示す。かつての日本にも言語の使用形態によって階級というか職業が異なっているということはありましたね。時代劇を見るとよくわかります。「息子たちが父親と酷似するのは、両者とも同じ場所で、同じように社会化を果たしたからなのです。」このこともよくわかりますね。習ったわけではないのに同じように振舞ってしまう。「場所」というのがキーワードでしょうか。そしてこの場所は、私たちに馴染みのある「環境」という言葉に置き換えられるでしょう。環境がヒトをつくると私は思っています。「大人は常に子ども文化にさらされてきました。」このことも気になるところです。確かに、子どもの文化は常に気になります。

  2. 子ども文化という通過点を通ることで皆大人へと成長していくと思うと面白いですね。日本という環境で育つ子どもが日本人らしい日本人になっていくのにはこういったカラクリがあったことがわかると、やはりこれから日本が発展していく為には子ども文化の充実が肝要であることが理解できるように思えてきます。柔軟性に富んだ子どもたちがその集団の中へ良い文化を取り込んでいけるよう、大人は環境を整えていくべきですね。
    先日、将来は保育者になりたい、と言った5歳児クラスの子がいました。理由は、大きな箱や段ボールがいっぱい使えるからだそうです。その子はサンタさんにも段ボールをお願いしたようで、お家の中に特製の段ボールハウスを建てて、その中で楽しんでいる写真を、その子の保護者の方から見せていただきました。工作に夢中で、自分で作ったティッシュの箱のギターを友だちにプレゼントしたり、それを真似して友だちも作ってみたり、そんな子ども時代を過ごす子たちが将来どんな大人になっていくのか、とても楽しみになります。

  3. なるほど、父親と似てくるのは父親をモデルにしてではなく、父親と同じ学校に行き、そこの文化に触れることで習得するため、父親に似ているのではなく、父親の受けた文化と同じものを持った。ということなのですね。また、伝承は上級生から下級生へとつながっていくプロセスというのも見逃せません。子ども集団において、異年齢というものの重要性が見て取れます。単一のクラスであると子どもの多様性が狭まるだけではなく、次につなげる伝承もできなくなります。前回の子どもと大人の世界や価値観は違うという話ではないですが、単一のクラスであると子ども社会の文化が残るよりは毎回大人文化を植え付けることのほうが多くなるようにも思います。主体性や子ども社会の保障において異年齢はやはり重要ですね。

  4. 今日のような情報化社会でない限り、学びにおいての場所と所属する集団は非常に大きく影響していたことでしょう。そうであるからこそ、父親との接点がなくとも、父と同じ場所で学ぶことによって両者が非常に似通った行動様式や態度を身につけるということに合点が行きます。
    場所というものに注目をするのであれば、子どもたちが日々通っている園によってもそういった影響を受けているのではないでしょうか。同じような規模、施設であってもそれぞれに独自性というものがあるはずです。その独自性が子どもの文化、ひいてはそれに触れて成長した大人の文化にも影響を与えている部分は多分にあるように思えます。理念や方針も含め、園が子どもにとってどのような「場所」であり、文化の面においてもどのような役割を担うのかということを意識する必要があると感じます。

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