郷に入れば、郷の人となれ

アイオワ州のアメリカ先住民族社会に住むメスクアキー族の少年たちを調査した人類学者は、彼らは近くの英米人の町にいるときとメスクアキー社会にいるときとでは行動が違うと報告しているそうです。メスクアキー族の仲間集団は、その人類学者はギャングと呼んだのですが、彼らは町にいるときには英国系アメリカ人の行動様式に、自分たちの社会にいるときには先住民族の行動様式に切り換えていたそうです。これらの少年たちとミケーレのような古典的なコード・スイッチャーとの違いは、メスクアキーの少年たちはそれら二つの文化を共有する仲間たちがいたという点だったそうです。

郷に入れば郷に従う。子どもたちにとってはそれ以上なのです。郷に入れば、郷の人となれ、です。親がイギリス人だろうと、中国人だろうと、メスクアキーだろうと、ローマに入ればローマ人になれ、となります。家の外の文化と中の文化とが異なるとき、勝利の女神が徴笑むのは家の外の文化の方なのだとハリスは言うのです。

ハリスは、ある世代から次の世代への文化の伝わり方を決定づけるのは、親の育児態度でも、子どもが親を模倣.することでもないという結論に達したと言います。これで残る可能性は二つ。子どもたちが社会の大人全員を模倣する、もしくは、子どもたちが他の子どもたちを模倣する、の二つです。これら二つの可能性のどちらが正しいかを識別するためには、子どもたちの文化がその社会の大人たちの文化とは異なるケースを探さなくてはなりません。かかるケースは確かに存在するとハリスは確信を持ちます。

「言語とはある特定の部族に属することを示す会員証だと痛感しています」というのはASL( American Language、通称「アメスラン」)の教師であり、通訳でもあるスーザン・シャランだそうです。ASLとはアメリカの聾者たちが使用する言葉であり、彼らが彼らの文化に属することを示す会員証の役割を担っているものでもあるそうです。シャラーは、聾者文化の集団性、いわゆる「〈われわれ〉対〈彼ら〉」意識になじむのに多少時間がかかったと振り返っているそうです。

「Deaf〔聾〕の文化に浸りきっている人々にとっては、いまさら聴力を身につけることを願うなんて、理解にあまる余計ごとなのであった。はじめ聾者にあったころ、わたしはそうしたことをまるで理解していなかったと思う。聾についての無知ゆえに、わたしはひところ、手話のジョークがほとんど理解できなかった。アメスランを英語に翻訳しても、ジョークの理解には役立たない。わたしはあい変わらす聾者を、たんに耳の不自由な人たちとみなしていたが、ジョークの聞かせどころは、つねに文化的相違に関連していたのである。誰かが聴者の男性との結婚について冗談を言ったときに、わたしはようやくこの問題についておぼろげながら理解しはじめた。」(中村妙子訳『言葉のない世界に生きた男』晶文社)

この態度はなんら特殊でないとハリスは言います。これはあらゆる少数集団、実際に集団性が顕著な集団であれば必ず見られる特徴なのだと言うのです。聾者の文化が他と異なるのは、それが親たちから子どもたちへと伝えられないからだと言います。聾の子どもたちの親の大半は正常な聴力をもっており、聾の世界については何も知りません。また両親ともに聾者である家庭に生まれる子どもの大半は正常な聴力をもち、彼らは聴者の世界の一員として迎え入れられます。

それにもかかわらず、聾者たちは確固たる文化を保持しているのです。それは聴者の文化に負けず劣らず耐久性に優れていますが、いくつかの点ではそれとは異なると言います。彼らには独自の行動規範、信念、そして姿勢があるというのです。

ふたつの文化

移民の子どもが普通の、人種に関係のないアメリカ人の仲間集団に入ると、親の文化はたちまちその姿を消してしまいます。香港からカリフォルニアに移住した父親は娘のアイデンティティの喪失を次のように嘆いているそうです。

「『彼女の学校の友だちは皆白人の女の子』と彼は末っ子について話した。『大きくなる段階ではそれで問題はない。ただ、白人の女の子は白人男性と結婚し、西欧の習慣に従う。そうなると自分との違いに気づくのだが、時すでに遅し、となってしまう。白人の友だちを重視して、あまり長いこと一緒の時間を過ごしていると、自分の集団を忘れてしまうんです』」

友だちが中国系アメリカ人ではなく、ヨーロッパ系アメリカ人であったことから、香港からの移住者の娘はおそらく、文化の融合ではなく、コード・スイッチングをしていたのだろうとハリスは言います。家庭では中国語を話し、お箸を使います。友だちの前では、英語で話し、ナイフとフォークを使います。コード・スイッチングする子どもは家の玄関を通り抜けるごとに二つの文化のスイッチを切り換えるのだと言うのです。玄関のドアを開けるたびにカチャ、カチャと。

ところがコード・スイッチングする子どもの二つの文化は異なるものですが、同等ではないと言います。移民の子どもたちは仲間たちの文化を家庭にもちこみ、親に示します。ところが、彼らは概して親の文化を仲間たちに示すことはしません。以前紹介したイギリスの心理言語学者の娘は黒人英語を家庭にもち帰りました。彼女は託児所の友人たちにイギリス英語を教えたりはしませんでした。ポルトガルから移民した両親にカナダで育てられたある心理学者は、子ども時代にはポルトガル語を毛嫌いしていました。親が彼女にポルトガル語で話しかけても、英語で答えていたそうです。ポルトガル語を改めて学習したいと思ったのは家族とともにひと夏を親のふるさとで過ごしてからのことだったそうです。

ティム・バークスは、彼のイタリア生まれの息子がいまだに英語で話そうとしていることがいかに幸いなことであるか、気づいていないと言います。ミケーレは典型的なコード・スイッチャーで、決して二つの言葉を混在させません。彼は父親に向かって「お父さん、fiscaleにならないで」とは言いません。自分の言いたいことにふさわしい英語の単語が思いつかないために、彼はイタリア語の単語を使うのですが、それを自分の知りうる一番近い英語に置き換えているのです。ミケーレは勇敢にも英語にこだわりつづけているのですが、英語の語彙がイタリア語に追いつかないのです。これはコード・スイッチャーに見られる典型的な現象だそうです。家庭ではある言葉、家庭の外では別の言葉を話す子どもたちは、家庭の外で使う言葉ばかりが上達し、家庭での言語は親とどうにか会話が交わせる程度にとどまってしまいます。日本生まれの親にカナダで育てられた言語学者、S・I・ハヤカワも「日本語はたどたどしく、語彙も幼稚」だと告白しているそうです。

子どもが家の玄関を通りすぎる時、その都度コード・スイッチが切り換わるので、状況は不安定ですが、じきに家庭外の慣習が優位になると、事態は解消されます。ところが、コード・スイッチングには、より長く留まるものもあります。それは家庭外に二つの異なる慣習がある場合です。

文化の融合

バイカルチャラルな子どもたちはその二文化を融合する場合と二文化間を行ったり来たりする場合があります。この「行ったり来たり」はコード・スイッチングと呼ばれており、それについてハリスは以前述べています。

ではコード・スイッチングする子もいれば、融合する子もいるのはなぜでしょうか。移民の文化が一世代で姿を消す場合もあれば、三世代を経て姿を消す場合もあるのはなぜでしょうか。「人種のるつぼ」に関してあれだけの論文が発表されているにもかかわらず、社会学者、心理学者はいまだにこれらの違いには注目していないとハリスは言います。そのためにハリスの意見を支える証拠は事例が中心となるのです。

移民が別の国からアメリカへと移住するとき、彼らは同じ国の出身者が多く居住する地域に転入します。チャイナタウンがあれば、コリアタウンもあります。プエルトリコ出身者、メキンコ出身者ばかりが住む地域もあります。昔はイタリア人、アイルランド人、もしくはユダヤ人が多く居住する地域が決まっていました。また中西部にはスウェーデン人、ノルウェー人、ドイツ人がそれぞれ多く居住する地域もあったそうです。このような地域で育つ移民の子どもたちは、同じような家庭環境にある仲間たちに囲まれることになります。彼らは皆家庭では英語を使わず、スプーンやフォークでなく箸が使われたりします。

このような地域の子どもたちは二つの文化を融合させていきます。彼らは外国色のあるアメリカ様式を身につけるのです。英語はしゃべりますが、外国語訛りのある英語だったりします。数年前のプリンストン大学の学生新聞にある新人生の苦情が掲載されたことがありました。彼女は同級生からしつこく、どこの国の出身かと聞かれたそうです。彼女はテキサスで生まれ育ったメキシコ系アメリカ人で、そう聞かれることで不快な思いをしたそうです。自分の話すスペイン語訛りの英語がそのような質問を誘発していたことに彼女は気づきませんでした。ハリス通っていたアリゾナ州の高校にはメキシコ系アメリカ人が多かったそうです。彼らのほとんどはメキシコ系アメリカ人の仲間集団に属し、スペイン語訛りの英語を話していたのです。

移民文化は通常、一、二世代後、最長でも三世代後には姿を消してしまいます。社会学者はそれは徐々に経過するものだとしているそうですが、それはそう見えるたけだとハリスは言います。集団全体として考えれば徐々にですが、家族単位ではそうではないと言うのです。古い文化は、家族がチイナタウやメキシコ系アメリカ人が多く住む地域から同じ国の出身者の少ない地域へと転出した途端に、わずか一世代で姿を消してしまうのです。徐々に経過するように見えるのは、全家族が同時期に転出するわけではないからだとハリスは言います。転出が可能になり次第、転出する家族もいれば、数世代待ってから転出する家族もいるのです。

文化に同化

誇りと悔いが入り交じる複雑な心境をかかえながら、バークスは自分が一生よそ者でありつづける社会で、自分の息子が立派な一員として成長していく姿を見守りました。彼はミケーレがイタリア人になるだろうと予想していたのでしょう。そうでなければ、彼にイタリア人の名前などつけたりはしません。それなのにパークスはもの寂しげです。子どもが自分から離れていく。ミケーレの場合、その距離は通常子どもが親から離れていく距離よりもさらに遠いのです。

おそらく移民である親ならば、自分の子どもが自分とは別の文化の一員になりつつある姿を見ると、誇りと悔いが混在する複雑な心境に陥るのでしょうが、時には誇りが強調され、時には悔いが強調されます。ヨーロッパ系アメリカ人と結婚したある日本人女性は英語力の習得の妨げとなるからと、子どもたちにはいっさい日本語で話しかけませんでした。実際はそのようなことはありえないのですが。その一方で、私の知っているユダヤ人の女性の祖父母はユダヤ教正統派で、ポーランドからアメリカに移住しましたが、子どもたちが不信心なアメリカ人になっていく姿を見て、子どもたちを連れてポーランドに戻ってしまいました。その祖父母に加えて、一人を除く子どもたちは全員ホロコーストで命を落としたのでした。

ユダヤ教正統派の親が子どもたちをアメリカで不信心なアメリカ人に感化されないようにニューヨーク州プルックリンでは、数世代前に東欧から伝わった宗教、育てる方法があるとハリスは言います。ニューヨーク州ブルックリンでは、数世代前に東欧から伝わった宗教、習慣、さらには服装や装飾までをも守りつづけているハシド派のユダヤ教徒たちがいるそうです。どのようにするかというと、彼ら自身で子どもたちを教育するのです。子どもたちはイェシーバと呼ばれる宗教学校に通学します。子どもたちは学校でも、居住地域でも別の文化に属する子どもたちと交わらないそうです。

もう一つ、支配文化に子どもたちが同化しないように努めている集団、それがカナダのキリスト教フッター派の人々だそうです。人々は財産を共有し、再洗礼の習慣があり、昔ながらの服装に身を包み、振る舞い方も厳格に規定されています。コロニーそれぞれに学校があり、あるイギリス人ジャーナリストによれば、そこで子どもたちは「畏怖の念、自制心、勤勉さ、そして鞭を恐れること」を学びます。フッター派のコロニーで一定期間を過ごしたそのジャーナリストは次のように説明しているそうです。

「フッター派の教育の目的は、フッター派が隔離された社会的存在でありつづけることにほかならない。フッター派の財産共有生活がつづけられるか否かは、神でも信仰でもなく、子どもたちの教育を掌握しつづけることができるかどうかにかかっている。“外の学校に通っていれば、とてもではないが、この習慣を守ることはできない”とある長老が胸の内を打ち明けた。」

ところが、親が支配文化のメンパーではない子どもたちのほとんどは「外の」学校に通学します。そこで何が起きるかというと、一定期間だけだが、子どもたちはバイカルチャラルになります。その結果、彼らは親の母国と、「外の」国の二つの国に属することになります。

重要な環境要因

攻撃的な行動がその集団の規範的行動だとされる集団で育てられる子どもたちは、攻撃的な行動をとることによって、注目されたり、承認されたりといった報酬が得られます。親や親以外の大人が攻撃的に行動する様子を見て、また他の子どもたちが攻撃的に行動する様子を見て彼らは育ちます。これらの作用が肩を並べるように同一方向に進んでいるのであれば、どれが実際に牽引しているのか、見分けはつきません。ですから、これらが別方向に作用するケースを検証しなければならないとハリスは考えています。

しかし、心理学者も人類学者もそれを怠ってきたとハリスは指摘します。その必要性にすら気づいていないと言うのです。彼らは直観に基づき、あるいは子育て神話のどの局面がそのときの流行なのかに基づき、どの環境要因が重要なのかを決め、それを公表してきたのだと言うのです。そこで彼らが自説を立証するものとして掲げる証拠など、多彩な選択肢の中からは識別できないのですから、なんら意味をもたないと言います。

実際作用を及ぼしている環境要因は何かを見極めるにはそれらの環境要因が同じように作用しない場合を考察するしか方法はなく、そのためハリスは何度となく移民の家族に言及しています。親がある文化に属し、親以外の地域社会が別文化に属しているとき、少なくとも親からの影響と家庭外からの影響とを区別することができます。

イギリス人作家テイム・バークスは、イタリアに居を移してから長く、その地で子ども三人を育てています。彼の著書『イタリア式教育』では移民である父親としての経験が語られているそうです。彼がその本を執筆したのは次のような願いからだと言っています。

「本書の最終ページに行き着く頃には、読者も、そしてはるかに重要なことだが私自身も、イタリア人がイタリア人である所以、さらにどのようにして私自身の子どもたちがよそ者になるのか(なったのか)を理解できはじめていることを願います。」

ハリスは、見るかぎり、バークスはイタリア人がイタリア人である所以を解明するにいたらなかったようだと述べています。ただし、自分の子どもたちが別の文化にどっぷりはまりゆく様子を傍から見る父親の心情を巧みにとらえてはいると言います。

「ミケーレが入ってきて英語でこう言うのです。“お父さん、そんなにfiscal (”会計の“の意味)にならないで。そんなにfiscalに」と。彼は寝る時間を厳守するよう強要する私に抵抗していたのです。彼が言いたかったのはイタリア語のfiscaleでした。

本当は、fiscaleとは、イタリア語で「厳しすぎる」「強情なほど厳格」を意味する軽蔑的表現なのです。すなわち、ミケーレは「お父さん、そんなにかたくなにならなくても」「お父さん、そんなつまらないことで大騒ぎして」と言いたかったのです。

「fiscalにならないで」私が彼に英語で話してほしいと思っていることを承知しているミケーレはこう言ったのです。「夜更かしさせてくれるのなら、おとなしくするよ」と。夜更かし禁止のルールは、は厳守しなくてもいいと彼は言いたかったのです。彼はそれが典型的なイギリスの習慣であることを知らないかわりに、この柔軟性はまさしくイタリア人なのです。

環境的作用

遺伝以外に子どもたちと大人の行動の類似性をもたらしたと考えられる四つの環境的作用の選択肢をいかに取捨選択するかは、ハリスはできないと考えています。問題は、通常の状況下では子どもの環境のあらゆる側面が相互に関連しあっている、すなわちすべてが連動して常時変化していくために、環境のどの側面が子どもに影響を及ぼしているのかを見極めることができないことだとハリスは言います。サン・アンドレスの子どもたちがラ・パスの子どもたちよりも攻撃的なのは、親の育児態度によるものなのか、親を模倣することによるものなのか、親以外の大人を模倣するからなのか、他の子どもたちを模倣するからなのか、はたまた両社会の住民の遺伝子構造の違いによるのか、それを識別することはできないと言うのです。なぜなら考えられるすべての影響が皆同じ方向、サン・アンドレスの攻撃性を高め、ラ・パスの平和性を高める方向に作用しているからだと言います。

私たちの住む多文化社会においても同じような影響の混在が見られるようです。ハリスは、架空のカップルを想像してみようと言っています。彼は弁護士で彼女はコンビ=ータ・サイエンスの専門家。彼らは、それぞれの父親も在学した同じアイヴィー・リーグの大学で知り合いました。彼らには、親の持っていない遺伝子を組み込んだ子どもであるデザイナーベビー」が二人います。彼らが住むのは郊外の高級住宅地で、近隣の親たちも皆高学歴で、子どもたちも皆平均以上。子どもたちは博物館や動物園、図書館にも連れていってもらえます。家には本がたくさんあり、子どもたちが幼い頃は親が読み聞かせをしましたし、親自身もよく本や雑誌を読みます。近所の子どもたちも同じような家庭環境にあり、学校の生徒たちもまた同じでした。

もし二人のデザイナーベビーが優秀な生徒で、親や祖父が通った同じ屈指のアイヴィーリーグの大学に人学が許可された場合、彼らの学業的成就の理由は何でしょうか。遺伝子でしょうか。それとも親が子どもに本を読み、知的な活動を奨励したからなのでしょうか。それとも親自身が知的な活動に従事していたからなのでしょうか。それとも同じ社会に住む他の大人もまた知的な活動に従事したからなのでしょうか。それとも近所や学校の子どもたちもまた同じような環境にあるからなのでしょうか。

このケースのように、これらすべての要因が同じようなばらつきを見せるときに原因を特定しようとするのは、まるでプードルをアパートの部屋で飼いつづけ、フォックスハウンドを犬舎で飼いつづけながら、この二種の行動様式がなぜ異なるのかを検証しようとするようなものだとハリスは言うのです。実際の作用を調べるには、これら異なる影響がそれぞれ別の方向に作用するケースを取り上げるしか方法はないと言うのです。ハリスは、遺伝と環境の影響を調べるために一度それを実行しています。プードルを犬舎で、フォックスハウンドをアパートの一室で飼ってみたあのケースです。また、遺伝子をある両親から与えられ、環境を別の両親から与えられた養子についても検証しています。

ハリスが言いたいのは、環境による影響から遣伝による影響を引き離すだけでは不十分だということです。多様な環境による影響もそれぞれに分けて検証すべきなのだと言うのです。遺伝と環境が同方向に作用するように、環境と環境も同じ作用をもたらしかねないからです。

文化と遺伝子

性格はその一部分が遺伝的に受け継がれるものですが、文化はそうとは限りません。文化を構成する態度、考え方、知識、技術などは遺伝子によって代々伝えられるものではないからです。マーガレット・ミードが文化は学習されるものと定義したことにはハリスは賛成するのですが、一体どうやって学習されたのか、その教師となるのは誰なのかという疑問を持ちます。

メキシコのサン・アンドレス村、そしてアマゾンの熱帯雨林に居住するヤノマミ族では大人たちは攻撃的で、子どもたちも同様の行動様式を身につけます。そして子どもたちもやはり攻撃的な大人へと成長していきます。遺伝以外にも子どもたちと大人の行動の類似性をもたらしたと考えられる環境的作用を四つに分類して考えてみます。

第一は親が攻撃的な行動を奨励する、もしくはたんにそれが懲罰の対象とならないという点だと言います。ヤノマミ族では子どもが遊び仲間に棒で叩かれたと親に泣きついてくると、その親は子どもに棒をわたし、「叩き返せ」と仕返しを命ずるそうです。対照的にメキンコのラ・パス村のように平和な社会では子どもたちの間では戦いごっこでさえ好ましく思われないのです。

その文化で承認されている行動を身につけるには「模倣すればいいというものではない」とマーガレット・ミードは言っていますが、その点でも彼女は過ちを犯しているのかもしれないとハリスは言います。第二は子どもたちが親の行動を模倣しているという考え方だといいます。第三はラ・パスとサン・アンドレスの住民を調査した人類学者ダグラス・フライが好む解釈だそうですが、子どもたちは自分の所属する社会の大人全員を模倣する、という考え方です。そして最後は、ハリスが提案していることですが、子どもたちは別の子どもたち、とりわけ自分より年齢や社会的地位が少し上の子どもを模倣する。この場合、大人社会の影響は間接的なものとなるといいます。環境的作用の中でこの説がまさに私が考えているものと同じです。私は、ハリスを知る前まで、同じように考える人は見つかりませんでした。彼女の考え方とは、いろいろなところで共通してくるので驚いています。

ではこれら四つの選択肢をいかに取捨選択するかについてですが、ハリスは驚くなかれ、取捨選択ができない場合がほとんどだと言うのです。通常の状況下では、これらを区別することは不可能だからだと言うのです。これらのうち、一つか二つ、もしくは三つ、さらには四つすべてが一緒になって子どもたちに見られる作用を引き起こしているのかもしれないと言うのです。人類学者の調査対象となる社会では、親の育児態度は皆似たり寄ったりです。育児態度も文化の一端なのだからです。さらに親は他の側面においても大同小異であるため、皆その文化で承認されている行動様式を身につけるのです、子どもたちが自分の親を模倣しているのか、大人全員を模倣しているのか、区別がつかないのです。確かに、ヤノマミ族の男性が皆戦いに対して同じように意欲的であるわけではないように、同一文化内にも行動にわずかながらばらつきが認められるそうです。しかし、それはその文化のメンバーの遺伝子の違いによるばらつきとも考えられます。戦闘行為に不承不承かかわる戦士の息子が臆病者であったとしても、それは第二の選択肢、すなわち子どもが親を模倣することを実証しているわけではないのです。それはたんに遺伝による影響かもしれないのです。このように同一文化内における行動のわずかなばらつきも、四つの案を取捨選択する手がかりにはならないというのです。

文化は遺伝

人類学者ナポレオン・シャノンは、ベネズエラとプラジルにまたがるアマゾンの熱帯雨林に居住するヤノマミ族と数年間生活をともにしました。「ヤノマミ」は「獰猛な人間」を意味する現地語であり、彼らの自称です。彼らはほとんどいつも、近隣社会と戦闘行為を繰り広げていました。少しでもタ食が遅れれば、男性は妻を棒で殴り、妻がさらに重大な違反行為を犯せば、体のさほど重要でない部分に矢を放ちました。ところが部族の赤ちゃんには欲しがるままに母乳が与えられ、両親は赤ちゃんに対して寛大だったそうです。

その赤ちゃんが獰猛な子どもに、さらに親同様、獰猛な大人へと成長します。ミードの指摘どおり、子どもたちには親と「同じ総体的な性格特性」が見られる傾向があるということを始点として、この傾向をどう解釈すべきでしょうか?ハリスは、先入観を捨て、広い眼識のもとで検証しています。

まず第一に思い浮かぶのは最も単純な解釈ではありますが、それらの性格特性は遺伝により受け継がれたもの、すなわち血は争えないという考え方です。私たちの社会では、攻撃性は他の性格特性と同じ確率で遺伝し、攻撃性のばらつきのおよそ半数は遺伝子にその理由を求めることができるとされています。だからといって、それを集団間の違いの原困として結論づけることはできません。それはたんに攻撃的な行動に遺伝子が関与している可能性を示唆しているにすぎないのだとハリスは言います。

そこで、次のことを考えてもらいたいと言います。戦いで敵を殺した経験のある男性は、同年代で殺しの経験のない男性よりも妻の数も子どもの数も倍近いことをシャノンは知ります。人々は獰猛さを誇りとし、そのヤノマミの理想像に近い者ほど部族内では上位に位置づけられます。部族社会の多くがそうであるように、ヤノマミ族も一夫多妻制です。上位の男性ほど妻の数も多く、その結果、子どもの数も多い。何世代にもわたり、ヤノマミ族は体系的に戦士を育て上げてきたのです。喜び勇んで戦に出陣している者は子だくさんとなり、ヤノマミ族にもそういう男性はいるそうですが、決戦の日に腹痛を起こすような男性は子どもの数が少ないか、子どもをもつこともできません。当然、複数の妻をもつ男性がいることで、妻をもてない男性も出てくるのです。このような制度が確立している社会では、特出した獰猛さをもつ人間が育つのは決してありえないことではないと言うのです。

ありえなくもありませんが、私からするとおもしろくはないとハリスは言います。確かに攻撃性の違いの原困として遺伝を挙げることは議論の余地もあるでしょうが、それでは文化間の他の違いを説明することはできないのです。親と同じようにイタリア語を話せるようになる子どももいれば、日本語を話すようになる子もいます。矢をつくることに精通する子もいれば、電子レンジの使い方に精通する子もいます。これらの違いは遺伝では説明できないのです。ヤノマミ族の男児には、父親と同じく自分の包皮にくくりつけた紐で性器を腰に結わえつける習慣があります。体験したシャノンがそれをひどく不愉快な経験だったと記しているそうですが、このような習慣がなぜ存在するのでしょうか。またどうして親たちは、祖父母同様、乳児の死を敵の妖術の仕業だと考えるようになるのでしょうか。これらもまた、遺伝では説明不能なのです。

隣同士の民族

ハリスは、さほど距離は離れていないが社会的風潮が大きく異なる二つのメキシコの村に言及していました。ある人類学者が「ラ・パス」と「サン・アンドレス」と呼んだこれら二つの村の住民は共通する言語を話し、同じ農作物を育てたのですが、行動面では違っていました。ラ・パスの人々は平和で協力的、サン・アンドレスの人々は攻撃的で暴力に走りがちでした。マーがレット・ミードは1935年に出版された初期の著書で同じく対照的な二つの文化を取り上げているそうです。調査対象となったのは、ニューギニアにある100マイルと離れていない二つの部族、山岳アラベシュ族と河川地帯に住むムンドゥグモール族です。アラベシュ族は温厚篤実で、平和を好みました。ムンドゥグモール族は勇武で喧嘩っ早い。おそらくミードはこれら2集団の行動の違いを引き起こしているものが何であるかを追究するために調査に乗り出したのでしょうが、彼女はニューギニアに着く前には既に結論を出していたのではないかとハリスは考えています。当時はフロイト派心理学が確固たる地位を築きつつあった時期でもあり、ミードはあらかじめ離乳や排泄訓練といった育児習慣に着眼することを決めていたのです。ミードは多少誇張した感もありますが、アラベシュ族に関して次のような考察を展開しているそうです。

「アラベシュ族の赤ちゃんはどのようにして、アラベシュの大人がそうであるように、寛大でやさしく受容的な性格へとつくられるのだろうか。穏やかで満ち足りていて、非攻撃的で強引ではなく、競争的ではなく受容的で心暖かく、素直で、さらに懐疑心をいだかない性格をもたらすことになる決定的な要困とは、初期のしつけの中の何なのか。あらゆる単純で均質な社会では、親が先立って見せたのと同じ総体的な性格特性が子どもたちにも見られるというのは事実だ。だがこれは単なる模倣ではない。子どもがどのように食べさせられ、寝かされ、しつけられ、自制心を教えられ、かわいがられ、懲罰が加えられ、励まされたかということと、最終的にどのような大人になるかとの間には、よりデリケートでより明確な関係が築かれているのだ。さらに父親や母親が子どもをどう扱うかは、あらゆる人間の成人後の性格に最も重大な影響を及ぼすものである。」

ミードは、アラベシュ族は赤ちゃんに対してやさしく寛大なのだといいます。離乳や排泄訓練に関しても厳しくありません。対照的なのが、彼女が「人食いと首狩りの集まり」と表現するムンドゥグモール族で、彼らはまさに不思議の国のアリスさながらの育児をするそうです。「かわいい子ならしかっておやり、くしやみをしたら打つのがなにより」と。天使のようなアラベシュ族と敵意に満ちたムンドゥグモール族、ハリスはこの対象の空捉え方は、いかにも映画にありそうだと言います。

ハリスは、これらの例は、ストーリーとしてはおもしろそうだが、じっくり詮索すればたちまちそのもろさが露呈すると指摘します。実際、アラベシュ族も戦闘行為とは無縁ではないし、好戦的な人々であっても、また他の人全員に対してはひどく卑劣な人でさえも、赤ちゃんに対してだけはたいへんやさしく接するものだというのです。人類学者ナポレオン・シャノンは、ベネズエラとプラジルにまたがるアマゾンの熱帯雨林に居住するヤノマミ族と数年間生活をともにしていたそうです。ハリスは、この体験から考察しています。

文化は親から

乳幼児教育において、指導が必要であるか、また援助とすべきかという議論があります。保育所保育指針、幼稚園教育要領の策定においてその議論がされてきました。その議論の中で、指導には個別対応的側面と文化伝達的側面があり, 援助だけでは文化伝達的側面が欠けており2 つの側面の統一的な指導が保障されないとしたことがありました。しかし、最近の研究では、赤ちゃんが9ヶ月を過ぎる頃から、他者を、意図を持った存在として認識し、他者との三項関係を築くことによって、人間が培ってきた文化の中に参入し、その文化の中で学習するとともに、文化の担い手になっていくということがわかってきています。また、次の段階では、他の子どもからの働きかけにより、年長児がモデルとなり年少児が模倣しようとすることから、遊びの子ども文化が伝承されていくことがわかっています。そこで、私は、文化伝達的側面においても、指導ではなく、環境を用意することが必要になるのだと考えています。もちろん、環境といっても、物であったり、場だけではなく、子どもに大きな影響を与えるものに人という環境が大切になると考えます。すなわち、仲間という子ども集団の存在が重要だと考えるのです。

それに対して、マーガレット・ミードは文化とは「親たちから子どもたちへと伝えられる学習された行動の体系的総体」と定義したそうです。ハリスは、この文化についてどのように考えているのでしょうか?

まず、この定義でいうところの「学習された行動」の意味は広範囲に及ぶと言います。ハリスが挙げた例としては、振る舞い方が独断的であったり控えめであったり、感情的であったり冷静であったり、攻撃的であったり穏やかであったり、という社会的行動はこれに含まれます。また石を削って矢じりをつくる技術や、電子レンジの使い方もその範疇に属します。地元の言え語に精通すること、言葉の適切な使い方もまた然り。さらに「行動」という単語をかなり無理して解釈することになりますが、ミードが決して除外しようとはしなかったのが、はるか昔自分たちの先祖がどのように生をうけ、何がその誕生にかかわっていたかという考えであり、これもまたここに含まれているようです。

学習された行動は「親たちから子どもたちへと伝えられる」とミードが仮定するのは、イタリア語を話せるようになる社会もあれば、日本語を話せるようになる社会もあり、また矢じりのつくり方に精通する社会もあれば、電子レンジの使い方に熟練する社会があるように、社会ごとに子どもが学習する行動が違うこと、さらにそれらの行動と最も類似する行動をとるのがその親であることを、彼女自身が認識しているからだと分析します。文化が世代から世代へと伝えられる他の方法などあるのでしょうか。文化が時に数百年も存続することができるのは、それが親たちから子どもたちへと伝えられているからにほかならないのではないでしょうか。マーガレット・ミードは人類学者であり、心理学者ではありませんが、だからといって彼女が子育て神話と無縁だとは言いきれないとハリスは言います。文化は親が子に教えるものであるという彼女の仮説もまた仮説にすぎないのだと言うのです。

ハリスは、文化がいかにして世代から世代へと伝えられるのかについて、別の視点からとらえようと思っています。