集団行動

集団行動の基本的な現象、自分の集団への偏愛、他集団への敵対心、集団間の対比効果、集団内の同化と分化といったものはどれもあまりに頭の中では明確で、研究室で簡単に実証でき、また現実社会でも簡単に観察することができるため、社会心理学者たちはまもなく手もちぶさたとなり、その隙間を埋めるくらいしかやることがなくなったとハリスは言います。1950年代に行なわれた華々しい研究の後、社会心理学が哀退の一途をたどることになったのは、失策が原囚ではなく、その成功が原因だったのだとの見解を示しています。

もちろん、それだけが社会心理学の衰退の原因ではありません。別の原因はスキナー派行動主義の台頭だとも彼女は考えています。彼女が大学院生として在籍し、1961年に退学を迫られた心理学部では、最も傑出した教授と言えばB・F・スキナーであり、彼女以外の大学院生のほとんどは彼の弟子だったそうです。社会心理学そのものがそこには存在せず、社会心理学は「社会関係学」と呼ばれる別の学部に属していました。心理学部の学生は柔な社会関係学部の学生を見下していたそうです。

33年を経て、ようやく彼らを見下したのは間違いだったことに気づきました。各生命体の行動はその生命体がどのような報酬を与えられ、どのような報酬を与えられなかったかという強化歴を知ることで解釈できるとスキナーは考えました。彼が対象を「生命体」と呼んだのは、種間に重大な違いがあるとは認識しなかったからです。どの種の行動も同じだと考えたのです。この考え方の欠点は(むしろ欠点の一つはと言うべきか)進化の過程において集団で生活するよう設計された種では、孤立した単体に注目してもその種の真の行動を解釈することはできないという点です。スキナーの学生たちはハトを巣箱に入れ、つつくボタンを与え、ハトがそのボタンをつつけば時折トウモロコシの粒を与える、そうした場合にハトがどのように行動するかを研究しました。しかしハトは単独で生活するようにはつくられていません。ハトは他のハトと一緒に生活するようにつくられているのだとハリスは言います。

これが、私も保育における子どもの発達心理学の欠点であると主張しているところです。人類は、進化の過程で9か月くらいから集団保育をされてきました。それは、大人になってから集団で、社会を形成して生活する種だからこそ意味あることだったのでしょう。そのことから、孤立した単体に注目して赤ちゃんの行動を解釈しても、その行動は実際の赤ちゃんにおける真の行動分析にはならないと思うのです。特に、園では子ども集団があり、多くの大人に囲まれて生活しています。その中での赤ちゃんの情緒の安定とか、子ども同士の関係性発達とかは、違ったものがあるのです。

ハリスは、こんな例を出しています。アリゾナの鳥類学者の中には同じ過ちを犯した人たちがいるそうです。彼らは稀少生物に指定されているハシブトインコ88羽を人為的に育て、インコが過去に繁殖していた松林に放しました。するとすべてのインコは死ぬか行方不明となってしまったそうです。野生のインコは通常群れをなしますが、人為的に育てられたインコには仲間との交流を求める様子はいっさい見られなかったそうです。単独で行動する鳥はまもなくタカの餌食となってしまいます。人間の支配下で育てられたハシブトインコはまさにその運命をたどったのでした。