先進国の都市化社会

キャロル・エッカーマンとその研究チームは同年齢同士の遊びがどのように発達するかを、さまざまな年齢の赤ちゃんを対象に「実験室に二人の赤ちゃん」方式で調査しました。しかし、ここで取り上げたのは私たちが居住するような先進国の都市化社会における子どもたちの仲間との遊びの発達です。こうした社会では、子どもたちが他の子どもたちと遊ぶ機会をもつのは当たり前という風潮が親たちにもあり、そのため親は進んでその機会を子どもに与えます。保育園や託児所に行かせていない親は、子どもたちのためにプレイグループを結成したり、同年代の子どものいる友たちを見つけたりします。大卒であろうと、高校中退者であろうと、また行動遺伝学者であろうと社会化研究者であろうと、子どもの発達にとって仲間とのつきあいが重要であると考えない親はまずいないとハリスは言います。

子育て神話とは異なり、遊び友だちは重要であるという考え方は万国共通の概念です。ところが工業化、都市化を果たす前の社会では、幼い子どもが同年齢の友達と遊ぶ機会はほとんどなく、世界には今もってそういう状態の地域があるそうです。部族社会及び村落社会では、幼い子どもは母親の膝から卒業し、年齢に幅のある子どもたちで構成されている遊び集団に属するようになります。はじめは誰もがグループいちの最年少です。その年齢幅はその社会の人口密度にもよりますが、2歳半から6歳までだったり、2歳半から12歳までのこともあります。その地域に子どもの数が十分そろっていれば、年長の子どもたちは独自のグループを形成するようになります。

さまざまな年齢の子どもによって構成されている遊び集団については、以前ハリスは述べています。そのような社会では拡大家族はともに集団を形成する傾向にあり、一般的に遊び集団は親戚同士で構成されます。子どもたちはきょうだい、いとこ、若い叔母や叔父と遊ぶことになります。グループ内の年長者が年少者の面倒を見ます。年少者にふさわしい振る舞い方、遊び方の多くを教えるのは年長者です。彼らの教え方はやさしくはありません。力ずくはもとより、からかったり、バカにしたりするのも当たり前で、理屈に基づくことはありません。5歳児が幼い妹ビシに砂を投げてはいけないと教えるのに「もしビシがあなたにそれをやったらあなたはどう思う?」などとは説明しないでしょう。それでも喧嘩や深刻ないがみ合いはまれなのです。西洋社会においても、子どもたちは親や教師の監督下で遊ぶときよりも、自分たちだけで遊ぶときの方がいがみあいは少ない傾向にあるようです。おそらく大人の前だと喧嘩が増えるのは、度を過ぎれば大人が止めに入ってくれるだろうとの期待があるからなのだろうとハリスは考えています。

伝統的な社会の子どもたちはまた、言葉も遊び集団で学習することになります。2歳半ではようやく言葉を話しはじめたばかりの頃です。親が子どもに話しかけることも少ないので、親から学習することはありません。子どもの話し相手といえば、他の子どもたちなのです。年長の子は年少相手であれば、多少は簡単な言葉を選んで話しますが、私たちの社会において親がその幼児に教えるような言葉の教え方はしません。問いかける、忍耐強く生徒の間違った言い方を正しく言いなおす、とりわけよく言えたときに徴笑んだり、軽く肩を叩くといったことなどはしないのです。そのため伝統的な社会に生きる子どもたちの言葉の習得速度は遅いようです。それでも言語を習得することに変わりはありません。どの子もその地域社会で使われている言葉を十分使えるようになるのです。そしてどの子も皆社会化の過程を終えるのです。

同年齢の遊び

1歳の誕生日を迎える頃には、平均的なアメリカの赤ちゃんであれば、親と簡単な手遊びやいないいないバーをするようになりますが、同年齢の遊び仲間はそこまで親切でもなければ、理解があるわけでもありません。ところが2歳児になるとそれができるようになります。キャロル・エッカーマンとその研究チームは同年齢同士の遊びがどのように発達するかを、さまざまな年齢の赤ちゃんを対象に「実験室に二人の赤ちゃん」方式で調査しました。その結果、他者とつきあう手段として模倣が使われる頻度が年齢とともに確実に増えていることがわかったそうです。二人の赤ちゃんはお互いの行動を模倣しながら自分の行動を調整し、お互いがお互いに興味をいだいていることを合図で知らせます。模倣は人間に与えられた特権なのだとハリスは言います。人間ほど模倣上手な種は他にいません。我が子とチンパンジーを一緒に育てたケロッグ博士の実験が成功しなかった原困、そしてケロッグ博士の息子にとって不運だったのはこの点だったのです。チンパンジーが子どもを模倣する以上に子どもがチンパンジーを模倣してしまったのです。

実験室内の見知らぬ同士の赤ちゃん二人が模倣しはじめるのは、ちょうど歩行しはじめる頃からです。はじめは同じ場所で同じ遊びをするだけです。一方がポールを手にすれば、他方もポールを手にします。もしポールが一つしかなければ、一人がもう一人から取り上げることもあります。

2歳ともなると模倣は精度を増し、子どもにとってさらに楽しい行為となります。部屋中を走りまわる、オモチャを両手にもって叩き合わせる、後ろに倒れる、テーブルをなめるといったおふざけを一人がはじめると、他方も同じ行為をはじめます。すると最初に遊んでいたほうはまたその行為を繰り返すか新たな行為を思いつくかして、いつしか「大将にならえ」がはじまるのです。こうした真似ごっこは何回か繰り返されるだけで終わりますが、その最中は両者ともたいへん楽しそうにその遊びに興じます。

2歳半になると動きだけでなく、言葉も使って遊びの調和をはかれるようになり、3歳ではおままごとのように、動きの調和だけでなく同じ事象を想像することも要求されるような遊びが可能となります。この時点に達すると、子どもたちはたんにお互いを模倣し合うだけではなくなります。それぞれが同じ空想の世界で違う役割を演ずるようになるのです。

他にも1歳から3歳までの間では、私たちは子どもたち同士で真の友情を築きはじめるのを見ることができるでしょう。複数の仲間との関係の作業モデルを形成し、そのうちの数人を他よりも好むようになるのです。保育園や託児所では子どもたちが毎日同じ仲間と遊んでいる姿が見られます。子どもたちの年齢に幅がある場合、こうした小グループは大まかに同年齢の子どもたちで形成される傾向にあります。年長の子どもたちは他に選択肢があれば、年下の子どもたちと遊ぶのを好まないからです。この小グループは同性のメンバーで構成される場合が多く、5歳にもなるとそのグループは完全に一つの性別だけになります。

不幸な生い立ち

46歳で心臓発作のため死去したウィリアムのおかれた状況は、母親には育てられましたが仲間とのつきあいがないままに成長したサルの状況と似ているとハリスは言います。成年に達したそのサルたちは、母親は不在ですが仲間たちと一緒に育てられたサル以上に異常行動が目立ちました。異常行動が最も多く観察されたのはもちろん、母親と仲間がともに不在の状況で育てられたサルです。幸いなことにそのようなケースは人間界では極端にまれです。思い浮かぶのはアヴェロンの野生児ヴィクトールと、生まれてからの13年間を小部屋の中で小さな椅子に縛られた状態で過ごしたカリフォルニアのジーニー、この二人です。

ヴィクトールもジーニーもまともではない大人に成長しました。それは親の愛情が欠如していたからなのでしょうか、遊び相手がいなかったからなのでしょうか、それとも生まれながらにして異常をかかえていたからなのでしょうか、それを知る術はないとハリスは言います。ただし、チェコスロヴァキアで行なわれたケーススタディがその手がかりを提供してくれると言います。ある双子の少年たちは誕生と同時に母親を亡くし孤児院に引き取られました。1歳を迎える頃、父親が再婚し、少年たちは家庭に戻りましたが、そこで待っていたのはシンデレラの継母よりもさらにひどい継母でした。その後6年間、少年たちは狭くて寒いクローゼットに入れられ、十分な栄養も与えられず、定期的に虐待も受けつづけました。7歳で保護されたときには歩くこともままならず、言語能力は平均的な2歳児よりも劣っていたそうです。それでも彼らは健全な大人へと成長しました。彼らは一般的な家庭に引き取られ、14歳ともなると公立学校に通学し、同級生にも十分ついていけるようになりました。彼らを調査した研究者によると、彼らには「異常を示す徴候も奇癖も見あたらない」と言っています。生まれてからの7年間、彼らは母親の愛情を知らずに育ち、また察するに、父親の愛情も知らなかったでしょう。それでも二人には、いつもお互いがあったのです。

双子は特異な境遇にあります。彼らには生まれたその日から同年齢の仲間がいるのです。もっとも彼らは生まれたその日から一緒に遊ぶわけではありません。同年齢の仲間と遊ぶには時間がかかります。以前紹介したように、見知らぬ者同士の二人の赤ちゃんが実験室に入れられると、お互いに興味はもつのですが、友だちになりたいという気持ちを伝えようとするその様子はぎごちなく、逆効果をまねくこともありました。初対面の相手の眼を指で突くのは、人間関係を構築する第一歩としては決して最善の策とはいえません。

赤ちゃんにとっては親やきょうだいと遊ぶ方が楽なのです。相手が年上であれば遊びを組み立ててくれるし、繰り返すことによって自分がどう動けばいいのかを教えてくれます。1歳の誕生日を迎える頃には、平均的なアメリカの赤ちゃんであれば、親と簡単な手遊びやいないいないバーをするようになります。同年齢の遊び仲間はそこまで親切でもなければ、理解があるわけでもありません。最上級の誠意をもってしても1歳児は同年齢の別の赤ちゃんとは遊べないのです。

神童の人生

神童と呼ばれる子どもたちがいます。神童は変わり者というイメージでとらえられることも多く、それはまんざら不当な評価ではなさそうだとハリスは言います。才能に恵まれた子どもはどこにでもいますが、彼らのことを指して言っているのではありません。彼らには問題はないと言います。ところが傑出した子、同年齢の子どもたちとはなんら共通点のないような子には社会的、情動的問題が生ずる可能性が高いようです。

その一例としてハリスはウィリアム・ジェイムズ・サイディスがたどった悲惨な人生を紹介しています。彼の親は著名な心理学者にあやかって命名した唯一の子どもでした。親は彼があまりに愛しく、自分たちの一生を彼の教育に捧げることにしました。ウィリアムが生まれたのは1898年、当時は教育熱が過剰で、どのような子どもでも正しい訓練をもってすれば天才になると権威ある人々が豪語していた時代でした。ウィリアムは18カ月で文章を読むようになり、6歳では数カ国語を読めるようになっていました。その年齢ではマサチューセッツ法の規定により学校に入学しなければなりませんでした。6カ月間で地元の公立学校の7学年次までを修了したため、親は彼を退学させ、その後の数年間は家で過ごしました。高校も3カ月在籍しただけで、その後の数年間をまた家で過ごしました。

11歳でウィリアム・ジェイムズ・サイディスはハーヴァード大学に入学。そのわずか数か月後にはハーヴァード数学クラブで「四次元物体」と題した講演を行ないました。少年の優れた才能に聴講者は舌を巻いたそうです。

これがウィリアムの人生最良のときでした。そこからは下り坂を転がり落ちるだけだったのです。16歳でハーヴァードの学士号を取得したものの、それが活用されることはありませんでした。大学院に1年間在籍したのち、ロースクールに進みましたが、いずれにおいても学位は取得していません。大学で数学の教鞭を執ることも決まりましたが、うまくはいきませんでした。「早熟ものは腐敗も早い」です。その話題を求めてリポーターたちがつきまといました。パパラッチの存在は彼に苦痛を与えましたが、それが彼の性格に奇癖をもたらしたとは考えにくいとハリスは分析します。

大人になるとウィリアムは親に背を向けるようになり、父親の葬儀にも姿を見せませんでした。さらに学問の世界とも決別しました。彼は残りの人生を、頭を使わない安月給の事務仕事を転々として過ごし、一生独身を通しました。趣味は路面電車の乗り継ぎ切符の収集でそれについての本も書きましたが、ある読者は「まさに本の歴史の中でもっともつまらない本」と評しました。晩年の彼と交流のあった人々の、彼の性格についての評価はさまざまだそうです。ある人は「彼には孤独な独り者にありがちな慢性的な悲痛さが漂っていた」と言い、別の人は「彼の極端な奇行の裏には子どもっぽい魅力があった」と評しました。ウィリアム・ジェイムズ・サイディスは46歳で心臓発作のため死去。そのときは無一文で完全な社会不適合状態に陥っていたそうです。無名な男性の孤独な死でした。

孤児院での生活

4歳以降に孤児院に入る子どもたちには、仮に残りの子ども時代を施設で過ごすことになったとしても、大人になってからの影響は少ないと言われています。戦争に踏みにじられたアフリカのエリトリアでは親を亡くした子どもたちが施設で保育されています。またさまざまな困難に直面しながらもどうにか親との同居を保っている子どもたちもいます。アメリカの研究者たちが、施設で暮らすエリトリアの孤児たちと、親と同居する子どもたちとの比較を行なった結果、両者の間には「臨床的に有意な違いは比較的少ない」ことがわかったそうです。唯一重大な違いは孤児たちの方が不幸であったということなのです。

親を亡くした子どもが不幸なのは当然のことです。ディヴィッド・モーンダーズというオーストラリアの研究者は、四歳までの4年間を除く子ども時代のうち、ほとんどもしくはすべてをオーストラリア、アメリカもしくはカナダの孤児院で過ごしたという数名の大人に話を聞いたそうです。孤児院での生活について彼が聞いた話はまるで小説『ジェーン・エア』の前半を読んでいるようだったそうです。

「施設に入ることで私は混乱し、一生忘れることのできない経験となったが、その移行をたやすいものにするための措置は何もとられなかった。そこでの生活は規律と体罰の連続だったが、最近になって多少それは軽減されたようだ。掃除、洗濯などは日課として課されていた。愛情や好意などまったく考えられなかった。」

これらの子どもたちは親の存在を経験した子どもたちで、自分たちが何を失ったかを認識しています。モーンダーズに協力した一人で、5歳の時に施設に入ったという男性はこう話したそうです。

「私は毎晩“明日の朝にはこの夢から覚めるだろう”そう思いながら眠りにつきました。そして朝目が覚めて、夢がまだ続いていることを知るのです。それでも毎晩同じことを繰り返していました。」

孤児院で育てられたこうした人たちの驚くべき点は、彼らがソフィー・ダンのいう「有意義な人生」を送っているということだとハリスは言います。夫がいる者もいれば、妻がいる者もいます。子どももいれば、キャリアもあります。子ども時代の大半は親不在でしたが、社会化は果たされていたのです。

養ってくれる大人はいても他の子どもとつきあう世間並みの機会に恵まれなかった人の話を見つけることは難しいようです。たとえば人里離れた農園で育てられた子どもにはたいてい相手となるきょうだいがいました。とはいえ、そのような子どもには社会性障害の兆候が徴少だがいくつか見られたそうです。また、昔ヨーロッパに君臨した王国の王子や王女が過ごしたであろう特異な子ども時代です。はたして彼らは健全な大人へと成長したと言えるでしょうか。他には不幸にも慢性的な障害のために外出できす、子ども時代を家の中だけで過ごした人もいます。青年となった彼らは、「心理的症状が出る危険性は高い」と報告されているそうです。

子ども同士の関係

精神分析学者ジークムント・フロイトの娘であったアンナ・フロイトは、ナチスの強制収容所から生還した六人の子どもたちの胸をうつような話を報告しています。ハリスは、とくにこの最後の文章にはいつも心がゆさぶられると言います。そして、こんな感想を述べています。「強制収容所を経験した幼い子どもが、自分が食べ物を口にすることよりも仲間の食事を気にかけるなんて!この子どもたちはそれぞれが相手に感じとった窮状に反応しているのだ。それはまるで永遠につづくおままごとのようなもの。それぞれが別の子のママやパパの役を演じながらも同時に実生活では赤ちゃんのアイデンティティを維持しているのだ。」

これらの子どもの姿は、私の園でも見られることです。0歳児から子ども集団の中で生活している子どもたちには、子ども同士の関係にこれと同じようなかかわりが見られるのです。

1982年、その6人が40歳になった頃、アメリカのある発達心理学者がアンナ・フロイトの後継者であるソフィー・ダンに強制収容所から生還した子どもたちのその後について手紙で問い合わせました。ダンからは、彼らは明らかにまっとうに成長し「有意義な人生を送っている」との返事が届いたそうです。

彼らがあらゆる困難に立ち向かいながらもまっとうな人生を歩むことができたのは、4歳前に永続的な愛着を形成することができたからだとハリスは言います。旧式の孤児院で人生最初の四年間を過ごした子どもは概してまっとうな人生を歩むことができません。孤児院にも愛着を形成しうる多くの子どもたちがいるのになぜ、というのが謎なのだとハリスは言います。ところが旧式の孤児院には子どもたちがお互いに愛着心をいだきすぎないようにとの明らかな配慮があったようです。養子先が決まれば子どもたちは離れていく、だからこそ子どもたち同士があまり仲良くなりすぎないようにするほうがいいのだ、と。子どもによかれと思ってのことでしょうが、それは親切の意味をはき違えていると言うのです。1990年代初めにアメリカの研究者が訪問したルーマニアの孤児院では、子どもたちは五つのグループに分かれ、それぞれに部屋が与えられて専属の保育者がついていました。ところが、研究者の報告によると子どものグループ替えは頻繁に行なわれていたそうです。つまり、愛着を形成できたとしてもしばらくするとそれも断たれてしまっていたのです。

孤児院で幼少時代を過ごした子どもが社会性に欠けることはないとハリスは言います。むしろ過剰なまでに人なつっこいのです。欠けているとすれば、親密な関係を築く能力だと言います。彼らは誰かを心から気遣うことができないようです。作業モデルが形成されるべき脳の部位がその形成方法を知らずにここまできたのか、それとも無駄だと判断して形成することもあきらめてしまったのかです。「使わなければダメになる」、この表現が最もふさわしく当てはまるのは老化傾向にある脳ではなく、発達中の脳なのだというのです。

40,000件目

今日の、この時点でのコメント数が39,999件になりました。誰が40,000件目になるのでしょうか?これまでずいぶんとコメントをいただきました。そのメンバーも入れ替わりがあったり、コメントする時刻の駆け引きがあったり、コメントからだけでも時の経過を感じます。

また、コメントを読むことによって、ブログの内容について振り返りも多い気がします。ありがたい話です。

今までこのブログを読んでもらっていても、コメントするのはハードルが高いかもしれません。しかし、ぜひ、入れていただければ、様々な考え方を学ぶことができますので、気軽にコメントしてください。

仲間

赤ちゃん、もしくは大人を惨めにさせるものが長期にわたり影響しつづけるとは限らないと言われています。だからといって今日の安心立命が将来の盾となるわけでもありません。母親に育てられたけれども仲間がいなかったサルは乳児としては十分幸せでしたが、その後他のサルと同じ檻に入るようになると重大な問題が発生したそうです。ハーロー夫妻によると仲間のいなかったサルは「一緒に遊ぶ意欲がまったく見られず」、社会行動にも異常さが認められたそうです。実際そのサル以上に異常な行動を示したのは、まったく孤立した状態で育てられたサルだけだったのです。

母親には仲間の代わりは務まりませんが、仲間は時として母親代わりにもなりうるとハリスは言います。それは60年前、私たち人類において実証されているそうです。当時精神分析学者ジークムント・フロイトの娘であったアンナ・フロイトは、ナチスの強制収容所から生還した六人の子どもたちの胸をうつような話を報告しています。子どもたちは皆三歳から四歳の男の子三名、女の子三名でしたが、終戦と同時に助け出され、イギリスの保育園に保護され、そこでアンナと出会うことになりました。彼らは皆誕生直後に親を亡くし、収容所では何人かの大人に育てられましたが、その大人たちも誰一人生還することができませんでした。そんな中、子どもたちは片時も離れませんでした。幼い子どもたちにとって、それが混沌の中で唯一安定していた場所だったのです。アンナが彼らと出会ったとき、彼らはまるで小さな野人同然でした。こんな様子を報告しています。

「到着してから数日のうちに彼らはオモチャをすべて壊し、家具のほとんどに傷をつけた。スタッフに対しては非情なほど冷淡に接するか、派手に攻撃的になるかのいずれかだった。怒りにまかせて大人を殴ったり、噛んだり、つばを飛ばしたりもした。大声で叫び、言葉遣いも荒々しかった。」

しかしそれは大人に対して向けられた行動だったのです。彼らがお互いに向ける行動はかなり違っていたそうです。

「彼らがお互いを深く思いやり、他人や他のものにはいっさいかまわなかったことは一目瞭然だった。彼らの唯一の願いは一緒にいること。わずかな時間であっても引き離されるのを嫌った。この子どもたちは異常なほど情動的に依存し合い、そのことは彼らの中に嫉妬心、ライバル意識、競争意識がまったくないことからも顕著だった。その子どもたちに「交替で」などと諭すことなどなかった。いつも自発的にそうなったのは、彼らが皆きちんと分け前をもらえることに固執したからである。お互いに告げ口するようなこともなく、誰かが部外者に不当な扱いを受けたり脅されていると知ると互いを擁護し合った。お互いの気持ちを極端に思いやった。相手の持ち物に不平不満を言うこともなく、逆に喜んで自分のものを他人に貸した。散歩に行けばお互い交通安全に気をつけ、遅れた仲間を助け、溝に落ちないよう協力し、林の中では枝を押さえて道をあけ、お互いのコートをもち合った。食事時には自分が食べることよりも近くに座る仲間たちに料理を取り分けることの方が重要だった。」

環境からのインプット

ハリスは子どもの心には作業モデルが一つしかないのではなく、それぞれの人間関係に一つずつ、結果として多くの作業モデルをもっていると考えました。そして、これらの人間関係は主として独立しているとはいえ、子どもはなんらかの形でそれぞれに関与していることから、まったく無関係というわけではないと言います。子どもの生得的な特徴、その中には社交性、愛想のよさ、外見のよさなどが含まれますが、これらはその子どもと母親、父親、その他保育者、さらには仲間たちとのつきあいに影響を及ぼすことになると言うのです。これらの関係に身をあずけるのは同じ遺伝子をもつ同じ子どもなのです。愛着の研究者たちが時折それらの間で相関関係を見いだしても、なんら不思議はないのだと言います。

子どもは母親とつないだ手をほどき、仲間たちに加わりますが、遺伝子構造はそのままもちこされるのです。

ハリスは、だからといって決して母子関係の重要性を低く評価しているのではない、誤解しないでもらいたいと言います。これら初期の人間関係は、正常な社会的発達だけでなく、正常な脳の成長にとっても欠かせないものだと考えていると言うのです。人間の脳は大きく、そのために子宮からの脱出に危険がともなうのですが、そのときの大きさは完成時のわずか四分の一にすぎません。その脳が十分発達を遂げるためには、環境からのインブットが必要です。たとえば視覚系の成長には、出生後数カ月の間に両眼にパターン化された刺激が与えられることが必要です。それが与えられなければ、子どもは三次元の視覚認知ができなくなるのです。その問題は眼ではなく、脳にあるのです。発達中の脳は子宮を離れた後の世界には特定の刺激が存在することを「当て」にしており、その刺激に依存しながら自らを完成させていく、と考えることができる。この「当て」はだいたいかなえられるため、普通なら視覚系が正常に発達するのです。

同じように発達中の脳は、常時そばにいて赤ちゃんに食事と安心感を与えてくれる保育者が一人もしくは数人いることを「当て」にしているとも考えられます。この「当て」が外れると、脳の中でも人間関係の作業モデルをつくり出すことを専門としている部分は正常に発達できないことになります。霊長類学者のハリー・ハーロー、マーガレット・ハーロー夫妻は、自分たちでアカゲザルをビロードで包まれている人形とミルクびんだけを入れた檻で育てました。母親不在のサルたちの成人後の社会行動にはかなりの異常さが確認されました。極端に物事を恐れ、自分の同類に対し冷淡になるか、もしくは攻撃的になるかのいずれかだったそうです。

とはいえ、私たち霊長類は順応性に富む生き物です。出生後母親から引き離され、三、四頭の同じ赤ちゃんザルとともに檻の中で育てられたサルはそれなりに正常な大人サルへと成長したのです。赤ちゃんの頃は彼らはまるで惨めでした。お互い必死にしがみつき、少なくとも惨めには見えましたが、1歳を迎える頃には行動も正常化したのです。惨めさが後遺症を残すなどという自然界の法則はありません。赤ちゃん、もしくは大人を惨めにさせるものが長期にわたり影響しつづけるとは限らないと言われているのです。

母親以外の人間関係

母子関係がその後すべての人間関係の型となると提唱したのはイギリスの精神分析学者のジョン・ボウルビーであることは知られています。子育て神話に後押しされる形でこの考え方は一気に浸透していきました。ボウルビーは、一種の概念として、赤ちゃんは母親との関係の「内的作業モデル」を形成し、父親、きょうだい、仲間、ベビーシッターといった母親以外の人間との関係もそのモデルに沿うものとして期待しました。この考え方をハリスは、「おもしろい理論ではあるが、単刀直入に言わせてもらえれば、それは間違いだ。」と言っています。母子関係の作業モデルが赤ちゃんの心の中で形成されることもあるでしょうが、仮にそうであっても、それは母親と行動を共にするときにだけ出現するものだと言うのです。母親以外の人間がどう振る舞うか、その人は信用に値するか、それを予測することに関してはこのモデルは役に立たないと言います。母親には何を期待できるかがわかっても、それは意地悪なお姉ちゃん、冷淡なベビーシッター、遊び好きな仲間たちとのつきあいにはなんら役には立たないと言うのです。もっとも、母親とのつきあいにはこれほど便利なものはないと言うのです。

メアリー・エインズワースが愛着の安定性を測定する方法を考案してから何年もたっていますが、何千人もの幼児が被験者として「ママはどこ?あっ、ここにいた」過程を経験し、その結果を報告する何百もの論文が発表されました。目的は愛着の安定性と何か?別段何でもいいものとを結びつけることにあったとハリスは言います。当然のごとく、発表された論文のほとんどは有意な相関関係の存在を報告しました。中には安定した愛着を形成している就学前の子どもたちは仲間たちとのつきあいもうまく、また問題解決などの他のさまざまな発達的課題に関しても順調にこなすことができると報告する研究者もいました。しかし、それら以外の研究者は逆の結果を報告したのです。発達心理学者マイケル・ラムとアリソン・ナッシュは愛着の安定性に関するデータを先人観なくそして冷静に検討した結果、次のような結論に達したそうです。

「仲間とのつきあいにおける社会的生活能力は、それ以前の乳児と母親の愛着のあり方によって決定されると幾度となく主張されてきたにもかかわらず、その仮説を裏づける経験的証拠は実際にはほとんどないのだ。」

愛着研究における結果のうち、説得力のあるものが一つあるとハリスは言います。それは子どもの人間関係はその大部分が独立しているという点だと言います。母親と安定した愛着を形成している幼児は必ずしもの父親と安定した愛着を形成しているとは限らず、その逆もまた然りだと言うのです。託児所の保育者と安定した愛着を形成している子どもたちが必ずしも母親と安定した愛着を形成しているとは限らず、その逆もまた然りなのです。愛着の安定性は子どもの中に存在するのではなく、子どもの人間関係の中に存在するのだとハリスは言うのです。子どもの心には作業モデルが一つしかないのではなく、それぞれの人間関係に一つずつ、結果として多くの作業モデルをもっていることになるのです。