ハリスの考える進化2

600万年という比較的短い間に私たちはサルから人間へと進化しましたが、それは艱難辛苦の道のりでした。我々は敵を一人残らず絶滅させたのです。この過程をハリスはこう考えています。

サルの集団が肥大しすぎて、分裂したのが事のはじまりだと言うのです。その二つの娘集団、生物学的にこう表現されるそうですが、この娘集団は隣接する領地をそれぞれ縄張りとし、まもなく交戦状態に入ります。実際には先に敵意が芽生え、それが戦いを勃発させたのです。

人間集団が分裂したときに、その娘集団同士がその時点では敵対関係になくても、まもなく互いを敵対視するようになります。ある人類学者が、「村にとって致命的となる敵は、その村が少し前に分離独立した親集団である」と言っています。この考え方は、納得がいきますね。身の回りにそれに当てはまるような事例がたくさんあり、その敵対関係に少し私はうんざりしています。

ハリスは続けます。交易や結婚のために交戦がたびたび中断することはあっても、ささいな誤解が戦いを誘発し、まもなく両者は交戦状態に舞い戻ります。集団にとって、お互いを嫌う理由などいらないと言うのです。相手が〈彼ら〉であり、当方が〈われわれ〉であるだけで十分なのです。もしそれだけでは物足りないのであれば、彼らは領地という問題の発端となる要囚を常にかかえているのです。ヨシュアがあれだけの都市をすべて破壊するにいたったのは、彼いわく、神が民に土地を与えると約東したからだと。しかし領地だけが目的ではなかったはずです。そこには憎悪もありました。攻略した都市の王は全員捕らえられ、、いくつかの例外を除いて虐待され、木に吊されたのです。

ヨシュアの残虐行為は比較的最近、わずか3500年あまり前のことで、その地域ではそのはるか以前から農業が営まれていました。チンパンジーと分岐し、進化しつづけた600万年のほとんどを人間は狩猟採集民としてその日暮らしの生活をしてきました。狩猟採集社会は平和で闘争の原因となる領地も闘争心もなく、遊動生活を送るとされてきました。しかし動物行動学者イレネウス・アイプル=アイベスフェルトは、それは愛と平和がつくり出した神話にすぎないと言っています。彼の報告によると今なお狩猟採集生活を送る民族の大多数は平和でもなければ、領地闘争がないわけでもないと言うのです。確かに戦闘行為を放棄した部族もありますが、それはおそらく闘争するだけの価値ある土地がなくなったのだろうと考えられますが、調査対象となった99もの狩猟採集民族のうち、「戦争をしたことがないと答えた部族は一つもなかった」そうです。

私たちは恐れを避けたいがゆえにそれをもたらすものを嫌います。アイブル=アイベスフェルトが言うように、どの社会でも人間の赤ちゃんは生後六カ月ごろから人見知りをはじめます。典型的な狩猟採集民族や村落社会では、その頃までには赤ちゃんも自分の属する地域社会のメンバー全員と一度は顔を合わせることになります。そのため見知らぬ人の存在はそれだけでも十分懸念すべきこととなるのです。