サルを真似る

ケロッグ夫妻は、チンパンジーのグアと人間の男の子のドナルドを同時に同じ環境で育てた結果、発達において両者の差はほとんどありませんでした。帰って、ゴアの方が進んでいた部分もあったくらいでした。しかし、たった一点だけ、人間の男の子の方が明らかに勝っていた点があったそうです。模倣に関してはドナルドの方が上だったのです。これは、ブログでも紹介したように、も穂に関しては人間の特徴であるということがわかっていますが、この結果に、意外に思う人が多いのではないかとハリスは言います。オランダの動物園でチンパンジーと人間の来場者の観察をつづけたオランダ人霊長類学者フランス・ドゥ=ヴァールによると、「一般に信じられていることとは異なり、人間がサルを真似ることの方がその逆よりも多いのです」と言っています。

ドナルドとグアの場合もまさにそのとおりでした。実際、新しいオモチャにチャレンジしたり、遊び方を見つけだすのはいつもグアの方でした。人間はというと、それを真似て追従するばかりでした。これは、ドナルドの知能が低かったからではないかという疑問があるかもしれませんが、ドナルドは、後にハーヴァード・メディカル・スクールを卒業しているそうです。

この試みは、最初の意図とは違って、非常に興味深い結果になったようです。人間特有の模倣して学習するという能力が、結果的に人間がチンパンジーをまねして、人間がサル化していったようです。こうしてドナルドにもグアの悪癖である柱を噛む癖が見られるようになり、チンパンジー語をいくつも覚えていきました。その一つが採食の咆哮だったそうです。14カ月の息子がオレンジを手に「ウーウー」とうなったときにはルエラ・ケロッグはどう思ったでしょう。平均的なアメリカの子どもであれば、19カ月ともなると50以上の単語を発し、二語文を遣いはじめる時期です。その同じ19カ月のドナルドが話す英語の単語はわずかに三つだけ。この時点で実験は打ち切られ、グアは動物園へと戻っていったそうです。

ケロッグ夫妻はサルを訓練して人間のように育てようとしました。ところが、グアが息子をサルのように調教した形となってしまったのです。彼らの実験からは、チンパンジーの習性よりも人間の習性について多く知ることができますが、少なくとも生まれてから19カ月間では、サルと人間の距離がいかに近いかを思い知らされることになったのです。そこでハリスは、19カ月以降に見られるチンパンジーと人間の習性の違い、そしてその後も残存する類似性について考察しています。

子どもがどんな大人になるかを決定する要因は何か。この問いへのハリスの答え、すなわち子育て神話の代替案として彼女が提示しようとしている考え方は、子どもの心とは何かを考慮することを基本としていて、それにはとりもなおさす私たち人間の進化の歴史を振り返ってみることが必要であるということでした。ハリスは、こんな思いを抱いています。「今こそ時機到来、必要に迫られてのことではあるが、楽しんで人類の進化の過程を旅しようではないか。そこでの話は揣摩臆測が色濃くなり、おそらく推論的になるだろう。しかしそれでもかまわない。人類の進化の歴史については他の執筆者だって結局は推測するしかないのだから、私もそうさせてもらおう。たたし、これだけは断言しよう。私の考え方は決して推論に基づいているものではない。」