人間らしさ

「生まれ」と「育ち」が対照的に使われる場合、その意味は二通りあるとハリスは言います。第二の意味は人間間の類似性、すなわちなぜ人間は皆同じなのか、という問いに対して使われる場合です。たとえば、正常な脳をもって生まれた人間の子どもは皆、そして正常ではない脳をもって生まれた子どももその多くは、言語を使って意思疎通を図ることを覚えていきます。言語を獲得するという性向が「生まれ」によるものなのか、それとも「育ち」によるものなのかということを問う場合です。その性向は私たち人間の生得的特徴なのか、それとも子どもたちが成長過程で必ず通過する経験の産物なのかという問いです。

今日「生まれか育ちか」という議論は人間の多様性を説明する場合に使われることが多いようです。しかし発達心理学の初期には、研究者の関心はむしろその類似性にありました。1930年代には、発達心理学者は一人の子どもの環境と別の子どもの環境とをはっきりと区別することなく、あいまいなまま、子ども同士が違う理由をその環境の違いに求めようとしました。彼らの関心は言語の修得などの、人間なら誰もが果たす発達に向けられたのです。幼い人間が言語を獲得し、幼いサルがそれをしないのは、言語の使用が人間に固有の習性であり、サルの習性ではないからとしました。その考え方は、サルに手話を教えることなど考えもしなかったはるか昔の話です。それとも人間は人間的な環境で育ち、サルはサルの環境で育つからなのかと問いました。

初期の発達心理学者が実際に究明しようとしたのは、もし子どもが人間的な環境で育たなかった場合に、人間に固有の特徴とされる能力を獲得することができるかどうか、という点でした。しかし、当時の学会では、12名の健康な赤ちゃんを揃えることは容易なことではありませんでした。そこでインディアナ大学の心理学教授ウィンスロップ・ケロッグはさほど大胆ではない実験を思いついたそうです。サルを人間的環境で育てることにしたのです。妻ルエラの協力のもと、人間の子どもとチンパンジーを一緒に、ともに人間の子どもとして育て、かかる条件下で育てられたチンパンジーが人間的な能力を身につけるかどうかを試みたのです。

その実験の内容と結果は1933年に出版された「サルと子ども」で発表されました。表紙にはルエラの名前と併記してあったそうですが、心理学の教授であったのはウィンスロップの方で、この実験によって彼の研究者としての経歴に箔がついたそうです。しかし、ハリスは、こんな疑問をふと持ちます。彼は一体どうやってルエラを説得したのでしょうか。彼女は自分が何をしようとしているのか十分理解していたのでしょうか。実験の被験者はチンパンジーのグアだけでないということ、自分の幼い息子ドナルドがもう一人の被験者であるということを彼女は承知していたのでしょうか。

1931年にグアがケロッグ家に到着したとき、ドナルドは10カ月、グアは7カ月半でした。グアは到着直後から人間の赤ちゃんとして、すなわち1930年代の人間の赤ちゃんのように扱われました。