言語というものの目的

3歳や4歳になると人間の子どもは人の視線の方向や顔の表情からその人が何を考えているかを推測するようになります。もしある人がもの欲しそうにキャンディバーを見つめている姿を見れば、四歳児はその人はそれを食べたいのだと論理的に考えます。うつろな表情で宙を見つめている人を見て、四歳児はその人は考え中だと言います。私たちはこのように心を読む能力を当然のものとして考えてきてしまったため、発達心理学者がこの能力に着目するようになるにはかなりの時間を要したそうです。それからまもなくして、発達心理学者たちは特定の子どもたちにはこの能力が欠けていることに気づきました。自閉症の子どもたちは目が心を映す窓であることに気づきません。それどころか、彼らは他人にも心があるということも認識していないようです。すなわち自閉症の子どもたちには心の理論が欠けているのだとハリスは言います。イギリスの発達心理学者サイモン・バロン=コーエンはこの欠如を「マインドプラインドネス」と呼んでいます。

またイギリスの別の発達心理学者アネット・カーミロフ=スミスは、自閉症とまれに見られる知的障害であるウィリアムズ症候群との比較を行ないました。ウィリアムズ症候群という先天性の病気をかかえる子どもには独特の顔の造作と知的障害が見られます。鼻は上向きでほっぺたがぽちゃっとした妖精のような顔立ちです。しかし脳は同年代の正常な子どもよりも20パーセント小さく、知能指数もきわめて低いようです。これらの子どもたちは靴紐を結べず、絵を描くことができず、ごく簡単な計算問題もできません。その一方でカーミロフ=スミスや同僚たちの報告によると、彼らは驚くほど言語感覚に優れ、社交的で、他人とも仲よくやっていけると言います。知能は低いのですが、心の理論が欠如しているわけではないのです。他人の情動に敏感で、顔や目を見るだけでその人の考えていることを察知することができます。自閉症の子どもたちとは異なり、ウィリアムズ症候群の子どもたちは相手がふざけているのか、皮肉っているのかを判別することができることがわかりました。

ウィリアムズ症候群の子どもたちには備わっていて、自閉症の子どもたちにはないものです。カーミロフ=スミスが「社会的モジュール」と呼ぶそれは、脳の中でも社会的刺激や社会的行動を司る分野です。自閉症の人たちが、話せるようになっても意思疎通が難しいというような言語で四苦八苦するのは、言語というものの目的が、人の心に思いを伝えることであり人の心から思いを引き出すことにあることを、彼らが理解できないからなのです。

チンパンジーと自閉症児とは違います。チンパンジーはむしろウィリアムズ症候群の子どもに似ていると言われています。グアは親代わりであった人間の顔の表情や視線の方向にたいへん敏感でした。いたずらをしようとするときには親代わりであった人間が自分を見ていないかどうかを確かめてから行動したのです。彼らの表情に不快さを読みとれば、その行為をすぐに中断しました。進化の過程において同じ種に属する他の個体と生活をともにすることに適応した生命体であれば、このようになんらかの社会的モジュールが必要となります。チンパンジーの社会生態は私たちの社会同様、複雑なのだとハリスは言います。

言語というものの目的” への7件のコメント

  1. 「自閉症の人たちが、話せるようになっても意思疎通が難しいというような言語で四苦八苦するのは、言語というものの目的が、人の心に思いを伝えることであり人の心から思いを引き出すことにあることを、彼らが理解できないからなのです。」なるほど、だから自分のこと、自分の考えること、自分にあった出来事を並べるような会話というのでしょうか、一方的な話しぶりになってしまうのですね、そしてそれは生活の仕方にも現れるものがあるように思えます。この度の内容を読んで、その子を取り巻く人たちがこういった理解をもっていることで、その子にとっても、また、側にいる大人にとっても日々を心地よく過ごす上でとても大切なことのように感じられました。

  2. そうか、自閉症の子どもには「心の理論が欠けている」のか。自閉症の子もヒトです。「心の理論」とヒト存在との連関は???私がかつて経営していた学習塾に自閉症ではないかと思われるお子さんが入ってきました。お母さんはしきりにこの子の個性だと主張していました。ところが、個別指導をやってもその子の学習に寄与できる方法を私たちは見つけ出すことができず、結局その子は辞めていきました。いまだに、その時、どうすればよかったのか、と事あるたびに考えます。「ウィリアムズ症候群」という「先天性の病気をかかえる子ども」の存在を初めて知りました。今回のブログを読み進めていくと「知能は低いのですが、心の理論が欠如しているわけではない」とありました。他者理解が可能な子ども、でしょう。それでも、様々な特徴を備えているがゆえに「先天性の病気」と診断されてしまう。病気なの?治るの?「社会的モジュール」という概念、新しい。もっともヒトは社会的生き物だということを考えれば、概念は新しくても実態はアリストテレス以来。

  3. 私たちは普段から言葉を巧みに操り、他者と当たり前のようにコミュニケーションをとっていますが、「言葉=自分の気持ち」という意識に欠けている部分が少なくないように感じます。そもそも私自身もそのように意識して会話をしているかと言われれば、そうではありません。言葉を発しながらもどこか腹の内を見せないような、相手の言葉もどこか疑うような姿勢がある場合もあります。だからこそ、素直に「言葉=気持ち」というように受け入れられないのかもしれません。子ども同士の会話を聞いていて癒されたり、暖かい気持ちになるのは、そういった余分なものがなく、本当の意味で会話を通して心のキャッチボールができているからなのではないでしょうか。言葉に出すということは自分の思いを表している、そのことを意識するだけでも会話のあり方が少し変わってくるような気がしています。

  4. 〝私たちはこのように心を読む能力を当然のものとして考えてきてしまった〟とあります。ドキッとさせられました。だから、子どもにも当然のようにそのことを求めてしまい、そこでのギャップが生じてしまう、反省です。
    そして、言語の目的〝人の心に思いを伝えることであり人の心から思いを引き出すことにあること〟とあり、自分のことを改めて省みてみると…。いろんな余計なものが言葉の隅々に付随しているのではないかと感じます。子どもたちの会話にはそんな余計なものがない、純なものであるから心を動かされたり、感動をもらったりするのかもしれません。思えば、いわゆるいろんな人たちの「名言」もそのようなものであるような気がしました。

  5. “知能は低いのですが、心の理論が欠如しているわけではない”というウィリアムズ症候群に対して、心の理論が欠如している自閉症の特性を考えると、知能指数と心の理論が別のところから来ていることがわかります。相手のことを考えることが、苦手だからといっても、知能が低いということとは繋がらないことは、普段のこどもたちからも共通するところがあります。しかし、自閉症の特性があると、言葉ではわかっていても、相手がこう思っているだろうと考えることが困難であるため、結局は伝えることができないことは、”言語というものの目的が、人の心に思いを伝えることであり人の心から思いを引き出すことにあることを、彼らが理解できないから”からという内容からも読み取れました。

  6. 「言語というものの目的が、人の心に思いを伝えることであり人の心から思いを引き出すことにあること」とあります。自閉症の子の症状としてこういったことが理解できないのですね。話が違うかもしれませんが、藤森先生は講演の際聞いている人たちを見て話を変えるとおっしゃっていました。そして私が就職したての頃講演を聞いてなにか心を掴まれるような感覚に陥ったことを思い出します。思いが伝わり、そこで引き出されるような思いです。先生の講演にはそのような意味が込められているように感じます。

  7. 自閉症に関して全くの知識が無かったので、とても勉強になりました。またウィリアムズ症候群という病名に関しても同様です。「心の理論」が欠けている事で、相手に心があると認識していないとなると、かなりの自己中心的な考えや行動を取ってしまうのでしょう。ウィリアムズ症候群の方は逆に言語感覚に優れており、他人の感情を言語と表情から気持ちを察する能力を優れているのですね。言語というのは「人の心に思いを伝えることであり人の心から思いを引き出すこと」と書かれてあります。言葉を使って、相手とコミュニケーションを取り、互いの気持ちを伝え合っているのは「心と心で会話」しているという事ですね。しかし大人になると自分の本音を隠したり、嘘をついてみたりと、かなり複雑化してしまいます。ちょうど長男が自分の気持ちをストレートに伝えてきて、まさに心で会話をしてきています。そんなストレートに私もストレートに付き合い、本当の会話をしようと思った次第です。

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