別集団

ゴールディングが小説「蠅の王」で描いた少年たちの行動は、ハリスは間違っていると主張しています。ゴールディングはイギリスの哲学者トマス・ホッブズ同様、文明なき生活は私利私欲を追求する冷酷な社会、自分の身は自分で守る、人のことなどかまっていられない社会だと考えました。モンタギュ一はフランスの哲学者ジャン=ジャック・ルソーのように、文明なき生活はしかと運営されたヒッピーのようなものだと考えました。全員が仕事を分担して食料を分けあい、花の香りを楽しむ余裕のある生活を想像しました。ハリスは、この四人とも間違っているというのです。正しかったのはダーウインだというのです。「隣接する地域に住んでいる部族どうしはほとんど常に戦争状態にある」と彼は言いました。それでもなお「野蛮な人間でも自分の命をかけて同じ集団のメンバーを守る」とか、「社会的本能は、同種に属するすべての個体に拡張されることは決してない」と言っているのです。人間を殺し好きと見るか、それとも慈悲深いと見るか、利己的と見るか利他的と見るかは、人間のどの行動を見るか、同じ集団内の仲間に向けた行動か、それとも別集団のメンバーに向けた行動か、によって異なるというのです。

もし実際に二十数名の学童を自然環境の中に送りこみ、自活を強いたらどうなるのでしょうか。1954年、『蠅の王』が出版されたその同じ年に、オクラホマ大学の研究チームがその解明に乗り出しています。周到な準備のもとで行なわれた集団関係の調査です。

正確には被験者数は22名で、できるだけ等質になるよう意図的に選抜されました。彼らは皆プロテスタントの家庭で育った11歳の白人の少年たちでした。IQも学業成績も平均か平均より上でした。眼鏡をかけている者、太っている者はいません。問題を起こしたことのある者もいません。皆が地元出身者で同じオクラホマ訛りがありました。さらにそれぞれ皆、オクラホマ・シティ内の異なる学校から選ばれ、実験以前の面識はありませんでした。

この同質の22名の少年たちは11名ずつの集団に分けられました。それぞれ別々に、オクラホマ州南東部に位置する緑深い山岳地帯に拡がるロバーズ・ケイブ州立公園のボーイスカウト・キャンプへと送られました。

少年たちは三週間のサマーキャンプに参加するつもりでいましたし、実際それはサマーキャンプでした。このキャンプが他のキャンプと際立って違っているところは何もありませんでした。「指導員」たちは実際には変装した研究者で、彼らは少年たちの言動を内密に観察、記録していることがばれないよう細心の注意をはらいました。

少年たちが自分たちで名づけた「ラトラーズ」と「イーグルズ」の二つのグループの存在を知らされていませんでした。彼らは別のバスで到着し、同じ食堂で食事をとりましたが、時間がずれていましたし、使用するキャビンもキャンプ場のそれぞれ別のところに位置していました。研究者たちの計画では、一週間ほどはキャンプ場に自分のグループしかいないと少年たちに思いこませ、一週間が経ったところで、それぞれの存在を知らせて競争心をあおり、その結果を観察することになっていました。競争意識は敵対意識へと発展するはずでした。ところが、少年たちは研究者のはるか先を進んでいたのです。

別集団” への9件のコメント

  1. プラスとマイナス、隠と陽のように、物事に常に二つの側面があるとして、トマス・ホッブズの主張に対してジャン=ジャック・ルソーの主張があり、また発展した考えのようなダーウィンの主張があり、そしてそれを踏まえた研究から新しい知見が生まれたことを示唆しています。常に二つの側面があるということを思う時、正しい主張というものがどういう意味をもつのか、とても考えさせられるものがありました。

  2. またまた当ブログの刺激的最後の一文。「ところが、少年たちは研究者のはるか先を進んでいたのです。」このお話は以前、藤森先生から聞いたような覚えがあります。今回のブログを読み進めながら、あぁ、そうした実験をした大学の先生たちがいたな、と思い出しました。そして、どうやら、その実験は『15少年漂流記』となるのか、あるいは『蠅の王』なるのか、というものであることを今回知ることができました。「ハリスは、この四人とも間違っているというのです。正しかったのはダーウイン」。へぇ~。進化生物学から進化発達心理学までダーウィンの『種の起源』の影響ということでしょうか。それにしても、「少年たちは研究者のはるか先を進んでいた」とあります。果たして、どこの部分が「研究者のはるか先」に該当するのでしょう?とても興味深いところです。

  3. 人には様々な側面があり、着眼点が異なれば見え方は変わってきますね。ハリスは4人とも間違っていると言っていますが、捉え方、見る方向によっては実はどれも正しくもあり、どれも間違っていると言えるのではないかと感じています。集団関係の調査結果には非常に興味があります。「競争意識は敵対意識へと発展するはずでした。ところが、少年たちは研究者のはるか先を進んでいたのです」と最後の一文があるように、子どもたちはいつも大人の想像を超えた結果や考え方を示してくれます。それが一体どのようなものであったのか、ブログを読み進めるのが楽しみです。

  4. 「現実は小説よりも奇なり」という言葉を聞いたことがありますが、少年たちの3週間のサマーキャンプ研究とでも名付けていいのでしょうか、この実験は誰もが予想できないような展開になっていくのですね。どのような展開が待ち受けているのか、マンガを読んでいるようなハラハラ感があります。
    ダーウィンを学校で教わったのは「種の起源」で、初めて猿が人間に進化したと主張した人だと記憶しています。そして、当時の世の中からバカにされた、挿絵が印象に残っています。その他にもいろいろなことを研究、主張しているのですね。そちらにも興味がわきました。

  5. このような他人に対する慈悲深さというものは、人は相手を思いやる、考えることができるので、もっている感情であることは理解しているなかで、相手の存在、それも、相手たち、集団だと知るとまた、見えかたというものがわれわれとかれらという存在意識になってく、人がもつ感情というものがどのようにして涌き出ているのか、感情の出所を知ることで、湧き立つ根元となる本質を知れるような気がします。

  6. 少年たちは三週間のサマーキャンプに参加しそれぞれのグループがあることをあとで知らされる内容は以前のブログに似ているなということを感じました。「少年たちは研究者のはるか先を進んでいたのです。」とありますが、一体どちらに転んだのか興味がわきますね。1週間ほどで知らされるというところがなにか自分たちしかいないのになぜというような違和感や敵対心のようなものが湧くのかなと想像しますが、やはり先を行くとなると難しいですね。

  7. 実際に行った実験のキャンプでの子どもたちの姿が、とても気になります。それと同時に自分も参加したらどうなっていただろう?と想像してみました。まぁ何となく、それなりにこなすだろうと思いますが、自分たち以外の存在がいたと知ると、どうなるのか?やはり敵対心を持ち、より自分たちの絆、団結力が深まるような気がします。確か、似たような実験を日本で行った映像を見た気がします・・・。しかし、その先を言った子どもたちは、どう進んだのか?とても気になりますね。

  8. 「人間を殺し好きと見るか、それとも慈悲深いと見るか、利己的と見るか利他的と見るかは、人間のどの行動を見るか、同じ集団内の仲間に向けた行動か、それとも別集団のメンバーに向けた行動か、によって異なるというのです。」その通りだと思います。内から見るのか外から見るのかでその解釈は大きく変わってきます。勧善懲悪がないというのが実際のところなのでしょうし、それぞれにそれぞれの正義があるようにも思います。ただ、実際、オクラホマ大学での実験が行われたサマーキャンプからどのようなことがみえてくるのでしょうか。「研究者のはるか先を進んでいた」というのは競争でも敵対でもなかったのでしょうか、それとももっと凄惨なものであったのでしょうか。どちらにしても、生のリアルな人が見えてくるでしょうね。

  9. 「人間のどの行動を見るか、同じ集団内の仲間に向けた行動か、それとも別集団のメンバーに向けた行動か、によって異なるというのです」とありました。集団に対する対応の仕方というのがポイントになるのですね。個々の人というよりも、その個々の人がどういった集団に属しているかで、人は対応が変わるということなのでしょうか。そう考えるとなんだか分かるような気がします。やはり、人は自分が属している集団への関わりと、そうではない集団への関わりでは差があるように思います。集団で見方を変えるというのはおもしろいですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です