ハリスの考える進化9

カハマ集団にとっても、もしゴディが自分のグループに這い戻り、「カサケラ集団が来るぞ!カサケラ集団が来るそ!」と叫ぶことができていたら、違う結末を迎えていたかもしれないとハリスは考えています。そう叫んでもゴディは助からなかったでしょうが、集団の存続は守れたはずだと言うのです。人間の脳は、人間が社会環境で生きるために一番必要な道具です。物理的な環境に慣れるのは二の次だと言います。進化心理学者リンダ・カボラエルは、人間はあいまいでやっかいな事象に対しては尻ごみする傾向があり、それを社会的なやりとりの中で対処しようとすると言っているそうです。私たちはトラブルを擬人化します。人間を機械のように扱うのではなく、機械を人間のように扱うのです。「こら、動け!」と車に向かって怒鳴ったりします。コンビュータがすねないようにと願います。そしてもし理解できない、掌握できない事態に直面すると、その理由を神や自然に求めるのです。人間の社会的行動を誘発する復讐心、嫉妬心、そして同情心もそれらの所産であると考えようとするようです。確かにそのような面がありますね。面白い分析です。

言語に託された役割の一つは文化を伝えることであり、子育て神話によるとそれは親から子へと文化を語り継ぐことを意味します。しかし、ほとんどの文化では、親は言葉を使って子どもに物事を教えるようなことはしないとハリスは言います。言語は望ましい子どもに育て上げるために必要なものではないのだと言うのです。聾者同士の夫婦の子どもの中には手話を覚えない子どももいるそうです。その子どもたちとその親とのコミュニケーションはもっとも原始的な方法でしか行なわれないことになりますが、それでも子どもはきちんと育ちます。哺乳動物は何百万年間も、言語という手段を借りずに子どもたちを育ててきたのです。

子育て神話では、子どもは空虚な脳をもって生まれ、親はそれを満たす義務がある、と考えます。いわゆる子どもは白紙で生まれ、そこに絵を描いていくのが親の義務であるという考え方が子育て神話を生み出しているようです。ハリスは、どう考えているのでしょうか?もちろん子どもたちは親から学ぶと言います。しかし、学ぶのは親からだけではありません。人間の子どもとして学ぶべきことは生まれてから学ぶことがほとんどですが、親がその学びを独占的に与えることがいかに不条理か、もっともな進化論的な理由があると言います。長期的に見たときに、親に感化されすぎることが子どもにとって好ましくないという理由は四つあると言うのです。

第一に、行動遺伝学者ディヴィッド・ロウが指摘しているそうですが、子どもが親からのみ学習するようになれば、彼らは同じ社会の他のメンバーたちによる有益で斬新な考えを知らぬまま過ごすことになります。便利で新奇なものは年配者よりも若者が考案することが多く、その点では先輩からだけでなく同輩から学ぶべき点も多いのです。同輩から学ぶものはより時節に合った現状にふさわしいものである場合が多いのです。

ハリスの考える進化9” への5件のコメント

  1. 「同輩から学ぶものはより時節に合った現状にふさわしいものである場合が多いのです。」そう思うと親は20年から30年、子どもたちの時代から遅れたアドバイスや指導をしているという捉え方もできるように思え、改めて白紙論で保育を考えることの危うさを感じます。子どもは有能であり、その力を環境を通して引き出していくということ、笑顔で応答的であるということについては、生きる時代がそれだけ違っても、子どもたちが育ちを保っていく上で必要なことであり、むしろそんな年を経た私たちができることと言えば、成長していく子どもたちをかのようにして見守っていくこと、と言えるのかもわかりません。

  2. あぁ、私もそうだな、と次の部分を読んで思いました。「人間はあいまいでやっかいな事象に対しては尻ごみする傾向があり、それを社会的なやりとりの中で対処しようとする」。しかも「理解できない、掌握できない事態に直面すると、その理由を神や自然に求める」。あぁ、これも自分だ。私自身、この学説に近いホモ・サピエンスかも。神業、大好きですし、苦しい時の神頼み、時に藤森先生頼み・・・(笑)。白黒つけたくなるし、知らないことは知りたくなるし。まぁ、親の背中をみて育ったわけです。しかも、親には申し訳ないのですが、親を反面教師として育ってきたところも自分にはあります。私が生まれ育った家には本というものがほとんどありませんでした。物心ついたとき、友人の家に行ったら壁一面に本が並んでいます。カルチャーショックで、以後、本がたくさんある家にあこがれを持ち、読書を楽しめるようになりました。「同輩から学ぶものはより時節に合った現状にふさわしいものである場合が多い」これも自分の来し方を振り返ればうなづけます。

  3. 「人間の脳は、人間が社会環境で生きるために一番必要な道具です」とありました。その脳にはまだ解明されていない部分が多い分、今後の進化の方向によっては、社会の中で人同士がより良い関係性を持てる可能性があるという希望があるように思えます。
    偏った教育や思想が悲劇を産むことは様々な歴史や事象が示しています。子育てにおいてもそれは変わらないようですね。保育や教育においてもそうですが、様々な体験や学びから視野や思考を広げる多面的な育ちというものがやはり必要だと思われます。好ましくないとされる残り3つ理由がどのようなものなのか気になります。

  4. 〝人間の脳は、人間が社会環境で生きるために一番必要な道具です〟という言葉が印象に残りました。その脳を育てるためには、やはり社会環境で生きていくのが一番必要ことであり、唯一のことであるような気がします。
    現在ではSNSなどにより、顔を合わせなくても会話ができてしまったり、連絡がとれます。便利なことではありますが、その使い方を誤ると、脳が社会環境で生きるための発達を阻害してしまうことになりかねないことは、頭の悪い自分でも分かります。
    そんな時代の幼児施設に求められるものがどのようなものであるのか、ということを考えていかなければなりませんね。

  5. 確かに、親と同じでいいのであればクローンで十分に事足りるのでしょうね。なんで、有性生殖という方法を用いて子孫を残しているのか、ということを考えなくてはならないということですね。すごく深い内容で教科書では教えてくれないもので、とても面白いです。
    多様性が人間の進化的に必要であるというなら、画一的な教育というのは、必ず歪みが生じてしまうものだということは容易に想像できます。画一的にすることは難しいことであるのだと思われます。一人一人の発達に合わせることが必要であることが理解できますね。

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