ハリスの考える進化12

ケロッグ夫妻がチンパンジーを「文明的な環境」で育てていたとき、彼らはグアを進化に反する環境に放りこんだことを認識はしていたそうです。しかし、彼らは考えもしなかったでしょうが、ドナルドとグアはともにアフリカの森林や草原地帯で生活することを前提として生まれてきたのであって、壁紙で覆われた壁や屋内排水設備の整ったインディアナ州の家で育てられるものとして生まれてきたのではないのです。子どもたちがリモコンの取り合いをしているのを見て、あれが昔からある人間性なのかと思いこむのは間違いなのです。

私たちの先祖は過去600万年間を、最後のわずかな期間を除き、狩猟採集民族として小さな遊動集団を形成して生活してきました。彼らは危険な環境に打ち勝ち生き延びることに成功としてきましたが、その環境の中でももっとも危険だったのが敵対関係にあった集団だったのです。狩猟採集民の子どもたちの生活は、親の生存よりも集団の存続に委ねられていました。仮に親を亡くしても、集団が存続していれば、生き延びることもできたのです。離乳後は、親に属するだけではなく、彼らの将来はいかに親に愛されるかではなく、集団内の他のメンバーといかにうまくやっていくかにかかっていたのです。特にこれからも一緒に生きつづけることになる自分と同世代のメンバーとのかかわりは重要なのです。

子どもの心、すなわち現代の子どもの心は、これら600万年間の進化の歴史によってつくりだされたものなのだとハリスは言います。では、その子どもの心が社会的な行動にどう反映されるのでしょうか?

全国私立保育園連盟の広報「保育通信」に、愛着について遠藤利彦さんが連載をしています。2018年10月号は、その第11回でした。そこには、こんなことが書かれてありました。

「ある縦断調査のデータを分析した一つの研究によれば、母子関係よりも最初の保育者とのアタッチメントの質が、子どもたちが小学生、中学生、高校生になった時に、学校の先生や他の仲間とどれくらいうまく、楽しく集団生活を営めるかに強く関係していたという結果もあります。人の幸福のかなりの部分は、集団生活をいかにうまく送ることができるかということにかかっていると言われることがあります。そうした意味で、最初期の保育者とのアタッチメントは、人の生涯にわたる土台形成に深くかかわっているといえるでしょう。ここで、もう一点、忘れてならないのは、こうした家庭外での保育者との関係性は、保育所の中で、複数の同年代の仲間との関係とともにあるということです。じつは、現在、ジョン・ボウルビィのアタッチメント理論を現代的に再考しようという向きが強まってきているのですが、その急先鋒の一つに、ジュディス・リッチ・ハリスによる集団社会化理論という考え方があります。」

まさに、私が最近読み進めている本の著者であるハリスで、その内容について彼女の考え方をもう少し詳しく知ろうということでブログに今年の7月4日から連載をしているのです。それは同時に、私が考えていることと近いものを感じているからです。

ハリスの考える進化12” への9件のコメント

  1. 東大の遠藤教授も「ジュディス・リッチ・ハリスによる集団社会化理論」に行き着いた。藤森先生は既に行き着いている。ハリス女史の研究成果が日本の中でも徐々に認められていくことになるのか。そうあってほしいと切に願うのです。楽しみですね。600万年という人類のタイムスパンを考える時、たかだか100年くらいで言われてきている「子育て神話」の特殊さが際立ちますね。母子関係から「担当制」と言われる大人-乳児の関係性の特殊さ。それでも、こうした考え方をベースにして子どもの育ちに関わっている大人の、なんと多いことか。集団による共同養育こそがホモ・サピエンスの子育てなのに、それさえ忘れて、大人がペットを可愛がるように、ヒトの子を「愛着」の名のもとに大人のいいように扱う。子どもは自分の生存のために、如何なる環境、大人存在にも順応しようとします。最悪の場合、共依存の関係が構築され、決していい結果をみない場合も出てきます。子育ての重圧に苦しむお母さんも増えてきています。虐待数値の増加がそのことを如実に語っているような気がします。

  2. 先生の落とす雫が波紋となって広がり、またそれは同じ感覚で子どもを、保育を考えていた人の感性の奥底の部分に伝導するのか、繋がるのか、いよいよ新しい子ども観、それは先生が何十年も前からずっと考えてこられた子ども観ですが、その価値観が急速に広まりつつあるということを感じます。河井継之助が探し当てた原理原則のように、子ども、保育の原理原則が見守る保育Fujimori methodに集約されていることを、この保育に触れる人がすぐに理解することができるところまで、時代は進み始めているようです。

  3. 人の幸福のかなりの部分は、集団生活をいかにうまく送ることができるかということにかかっている」とあるように、人は集団の中で生きていくことを前提として生まれ、それを可能とする為に視線や言葉を使ったコミュニケーションスキルを進化させてきたということを感じます。そして、幸福な集団生活を送るためのベースが、保育者とのアタッチメントが大きく影響していることを知ると、身が引き締まる思いです。今後、社会がどのように変化をしたとしても、集団の中で生きるという本質的な部分は変わらないでしょう。だからこそ、私達保育者が担う役割というものはその分大きく、子どもの生涯を左右しかねないという意識を持って保育を行う必要があります。

  4. 〝人の幸福のかなりの部分は、集団生活をいかにうまく送ることができるかということにかかっている〟とあります。人間は前提として、集団で暮らすように、暮らしやすいように能力をもち、発達していくのだということなんですね。確かに、人の悩みというのは対人関係に対することがほとんどであり、うまくいかなければその集団から抜け出せるならば抜け出してしまったり…ということもあります。そのうまくいかない原因の根本に自分たち保育者の関わりが関係しているということに責任の重さを感じます。

  5. 社会集団でうまく生き抜いていくためには、”離乳後は、親に属するだけではなく、彼らの将来はいかに親に愛されるかではなく、集団内の他のメンバーといかにうまくやっていくかにかかっていた”とあり、確かに親はいつまでも近くにいるわけではないので、社会的な関係をもつ存在、つまり、ともに助け合い、協力できるものが必要になってきます。そうした関係があるからこそ、人は、様々な多様性のなかで、生き、進化できる要因が環境を通したものであると考えられました。遠藤先生の考えるアタッチメントの話も講演などで聞くと、人は、自己と社会性という心の力が非認知力として、集団のなかで、身に付け、活かされる、そうしたことで、We bellng、心と体の健康がうまくいくことで、人は幸福感をもてるということという話を思い出しました。

  6. 最後まで読み進めたときになにか遠くにパスしたものがしっかり相手に届いたような感覚になりました。よくわからないとは思いますが…。「集団内の他のメンバーといかにうまくやっていくかにかかっていたのです。」という前提のもと遠藤先生のお言葉からもあるようにそのためには乳幼児からの保育が大きく関わってくるということがこのブログを通して広まってきているということが少し理解できます。保育の質を高めるということの意識が広まることでよりより社会が広がることを願うばかりです。

  7. 我々、人間にとって集団生活とは重要な存在であるというのは理解してきましたが、狩猟最終民族にとって集団というのは親以上に大切なモノだと気づきました。確かに万が一、親がいなくなってしまった場合、助けてくれるのは同じ集団で生活している周りの人ですので、他のメンバーとうまくやって行くのは自分の生死に関わる事です。ここで愛着に焦点を置くと、もし親だけの愛着関係で育ってきた場合、もし親がいなくなってしまったら、その子どもはどうなるのでしょうか。人の幸福は集団生活をいかにうまく送る要因として、保育者との最初のアタッチメントの関係が人の生涯の土台形成と深く関わるという遠藤先生が書かれたように、保育者との関係は同年代の仲間との関係とともにあると書いてあるように、特定の人とは書かれていません。この辺を日本の保育者は勘違いしないで欲しいと思います。

  8. まさかこんなところでハリス氏の話が出てくるとは思いもしなかったですね。思えば、これと同じようなことにヘックマン氏のことも最近では様々なところで聞くことが多いです。いかに今、学んでいることが時代として見直す機会に来ているのかということを強く感じます。「母子関係よりも最初の保育者とのアタッチメントの質が、子どもたちが小学生、中学生、高校生になった時に、学校の先生や他の仲間とどれくらいうまく、楽しく集団生活を営めるかに強く関係していたという結果もあります。」このこと聞き捨てならないですね。まさに自分たちのかかわりが子どもたちの先の社会に大きく関わっているということがわかります。保育を考えるときについ「できる子どもたち」に合わせることがあり、「できない子どもたち」は頑張らなければならない環境が良く起きてしまいます。もちろん「よりできる」ことも大切ですが、そもそも「やれる」ことを考える必要もあり、そこで救われる子どもたちは今は多いように感じます。子ども観を変える必要がありますし、保育観もそういった意味では大きく見直さなければいけない時代ではないのかなと学ぶほど思います。

  9. 「離乳後は、親に属するだけではなく、彼らの将来はいかに親に愛されるかではなく、集団内の他のメンバーといかにうまくやっていくかにかかっていたのです」とありました。集団が存続していれば生きることができたということなのですね。いかに集団の中で生きる力をつけることが大切なのかということを感じました。「人の幸福のかなりの部分は、集団生活をいかにうまく送ることができるかということにかかっていると言われることがあります」という部分もとても印象に残りました。集団の中でうまく過ごしているということが人にとっての幸福感を生んでいるのですから、そのために大切な力をつけるということは人が生きていく上で自然なことですね。

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