ハリスの考える進化10

第二の理由は多様性だと言います。親とまったく同じ子どもをつくり出すのなら、クローンが最も手っ取り早いと言います。実際その方法に頼る植物、動物もいます。クローンはたいへん効率がいいのです。ノアももしクローンにより増殖する種ばかりを方舟に乗せていれば、その時間は半分ですんだはずだと言います。何しろ一種に一体あれば十分なのだからです。しかしクローンで生まれた個体はきょうだいたちとまったくそっくりで、一体を死にいたらせるもの、たとえば有害な微生物などはすべての命を奪うことになりかねないと言います。卵子と精子の結合ごとに遺伝子の組み合わせが異なる有性生殖が編み出されたのは、多様性に富む子孫を残すためであり、それが大型生命体が彼らを苦しめた微生物よりも優位に立つことを可能にしたのだったのです。しかしながら、子孫間におけるばらつきは他にも利点があると言います。多事多端な時代にあっては、ある子孫が新しい状況に適応して生き延びる可能性を生み出します。多難な時代であれば、家族が生存できる生態的地位を増やすことになるのです。時代の善し悪しにかかわらず、家族内でのばらつきはより広範囲にわたる技術や知識の基本層の拡がりを可能とし、それは家族全体にとって有益となるというのです。

ノアが方舟に乗せた他の動物たちのように、人間もどのように行動するかという特徴の多くを親から受け継ぎます。もし親が遺伝的にだけでなく、環境的にも影響を及ぼすのであれば、子どもたちは親に酷似しすぎることになり、それは子ども同士が酷似しすぎることにつながってしまうのです。まるで小さなクローンであるというのです。

子どもは親によって。プログラムされるという考え方が進化に反するという第三の理由は、子どもは必ずしも親を当てにできないということだとハリスは言います。今日、シングル・ペアレントの元で育てられる子どもたちの行く末が案じられ、神聖なる契りを交わした二人が両親であった50年前の古きよき時代と比較されます。しかし異性同士の両親が揃っていることは、私たちの先祖の時代でも当たり前のことなどではなかったそうです。人類学者ナポレオン・シャノンは、ブラジルとベネズエラの熱帯雨林に生息するアマゾンのインディオのヤノマミ族では、10歳の子どもが生物学的な両親と同居する割合は三人に一人であることを報告しているそうです。結婚の20パセントはダメになってしまうとシャノンは推測しているそうです。ヤノマミ族の離婚率は比較的低いのですが、代わりに死亡率が高いそうです。部族社会では、親を亡くすと子どもが生き延びる可能性は低減しますが、決してゼロにはならないそうです。もし学ぶべきものを学ぶために親が必要だというのであれば、親を亡くすということは先祖の時代では死活問題であったはずだというのです。

ハリスの考える進化9

カハマ集団にとっても、もしゴディが自分のグループに這い戻り、「カサケラ集団が来るぞ!カサケラ集団が来るそ!」と叫ぶことができていたら、違う結末を迎えていたかもしれないとハリスは考えています。そう叫んでもゴディは助からなかったでしょうが、集団の存続は守れたはずだと言うのです。人間の脳は、人間が社会環境で生きるために一番必要な道具です。物理的な環境に慣れるのは二の次だと言います。進化心理学者リンダ・カボラエルは、人間はあいまいでやっかいな事象に対しては尻ごみする傾向があり、それを社会的なやりとりの中で対処しようとすると言っているそうです。私たちはトラブルを擬人化します。人間を機械のように扱うのではなく、機械を人間のように扱うのです。「こら、動け!」と車に向かって怒鳴ったりします。コンビュータがすねないようにと願います。そしてもし理解できない、掌握できない事態に直面すると、その理由を神や自然に求めるのです。人間の社会的行動を誘発する復讐心、嫉妬心、そして同情心もそれらの所産であると考えようとするようです。確かにそのような面がありますね。面白い分析です。

言語に託された役割の一つは文化を伝えることであり、子育て神話によるとそれは親から子へと文化を語り継ぐことを意味します。しかし、ほとんどの文化では、親は言葉を使って子どもに物事を教えるようなことはしないとハリスは言います。言語は望ましい子どもに育て上げるために必要なものではないのだと言うのです。聾者同士の夫婦の子どもの中には手話を覚えない子どももいるそうです。その子どもたちとその親とのコミュニケーションはもっとも原始的な方法でしか行なわれないことになりますが、それでも子どもはきちんと育ちます。哺乳動物は何百万年間も、言語という手段を借りずに子どもたちを育ててきたのです。

子育て神話では、子どもは空虚な脳をもって生まれ、親はそれを満たす義務がある、と考えます。いわゆる子どもは白紙で生まれ、そこに絵を描いていくのが親の義務であるという考え方が子育て神話を生み出しているようです。ハリスは、どう考えているのでしょうか?もちろん子どもたちは親から学ぶと言います。しかし、学ぶのは親からだけではありません。人間の子どもとして学ぶべきことは生まれてから学ぶことがほとんどですが、親がその学びを独占的に与えることがいかに不条理か、もっともな進化論的な理由があると言います。長期的に見たときに、親に感化されすぎることが子どもにとって好ましくないという理由は四つあると言うのです。

第一に、行動遺伝学者ディヴィッド・ロウが指摘しているそうですが、子どもが親からのみ学習するようになれば、彼らは同じ社会の他のメンバーたちによる有益で斬新な考えを知らぬまま過ごすことになります。便利で新奇なものは年配者よりも若者が考案することが多く、その点では先輩からだけでなく同輩から学ぶべき点も多いのです。同輩から学ぶものはより時節に合った現状にふさわしいものである場合が多いのです。

ハリスの考える進化8

見知らぬ個体を〈われわれ〉の一味として迎えるような認知的な飛躍はチンパンジーには無理にしても、私たちのもつその他の能力の多くを、未発達な状態ではあるが、チンパンジーはもっているようです。狡猾ささえもっています。ジェーン・グドールはチンパンジーが自分のほしいものを手に入れるために相手を騙すという光景を何度か目撃したそうです。たとえばフィガンがバナナの人手に成功したときのことです。クドールはタンザニアで観察をはじめた最初の数年間はチンパンジーたちの気を惹こうとバナナの箱を設置していました。たいていは上位のオスがほとんどを食べつくしてしまっていましたが、グドールはメスや幼いオスにも行きわたるようにと木の中にもいくつかを隠しておきました。ある日フィガンという名の幼いチンパンジーが上位のオスのすぐ頭上にバナナがぶら下がっているのを発見しました。もしフィガンがそのままバナナに手を伸ばしていたら大きなオスに横取りされていたことでしょう。ところがフィガンは自分からバナナの見えない位置へ移動し、チャンスを待ちました。大きなオスがいなくなるや否や、彼はバナナに手を伸ばしたのです。自分から目標が見えないところに座ることによって自分の視線からその秘め事がばれないように細心の注意を払ったのだったそうです。

チンパンジーは自閉症児とは異なり、目がいかに重要かを認識しているそうです。霊長類学者フランス・ドゥ・ヴァールによるとチンパンジーの同一集団内で喧嘩が起きた場合、両当事者はキスを交わし、仲なおりをする前に必ず目を合わせなければならないのだと言っています。「まるでチンパンジーは目を見ないと相手の真意がっかめないかのように」と言うのです。

チンパンジーに心の理論はあるのだろうか、とハリスは問います。その答えは容易に出せるものではないと言います。なぜなら、心の理論はもっているかもっていないかという問題ではないからだと言います。人間の子どもは生まれてからの数年間をかけてそれを育みます。チンパンジーにも心の理論が芽生えるのか否か、そしてその程度についてはまだまだ議論の余地があると言います。そんな中で一つだけ言えることは、チンパンジーと人間の四歳児は心の理論という分野では同等ではないということです。また、人間の三歳児もしくは二歳児となら似ているのかなどということよりも、実際に両種間には違いがあることを認識する方が重要だと言うのです。これらの違いは生まれによるもの、すなわち生得的なものだと言うのです。人間の環境で育てられたチンパンジーでさえ人間の四歳児ほど巧みに人の考えていることを読みとることは決してできないそうです。

私たち人間とチンパンジーとを区別する600万年間の進化の過程において、社会的モジュールが養われたのではありません。それは人類が誕生した当時からもち合わせているものなのだそうです。この600万年間で私たちが身につけたものといえば、新たな、また今まで以上に優れた社会的モジュールの用い方です。そのほとんどすべては集団生活というライフスタイルに適応することによって獲得したものなのです。言語もその一つです。もし話し相手がいなければ、言語には何の意味もありません。社会集団で生きる生命体にとってコミュニケーション能力はたいへん重要であり、ハチですら相互に伝達しあう手段を発達させているのです。

ハリスの考える進化7

人類の祖先がチンパンジーとの共通祖先から分岐してから600万年、その間私たちはその大半を木の上ではなく、地上で過ごしてきました。同じ集団のメンバー同士で友好関係を築き、別の集団と戦ってきました。横着者を見分けるために才能に磨きをかけ、同時にその探知法の裏をかくためにもまた才能に磨きをかけてきました。

そのほとんどの間、私たちは狩猟採集民として小集団を形成して生活してきました。集団が順調に増殖しつづけて大きくなると、それが分裂し、娘集団のうち順調な方がかんばしくない娘集団を戦いで打ち負かします。それが繰り返されたのです。その600万年間の進化が私たちにもたらしたものは、この大きな脳です。それには一得一失がありました。脳はエネルギーの大口消費者であり、お産を危険なものとし、まるで足かせを引きずるように一年近く乳児を束縛します。そのもろさと大きさから敵の攻撃の格好のターゲットにされてしまうのです。

しかし強みもあります。ジェーン・グドールのチンパンジーたちは近隣集団のメンバーを一人ずつねらい殺さなければなりませんでしたが、ヨシュアは一撃のもとに都市全体の住民を皆殺しにしたのです。都市は城壁で囲まれていたため、それは決して簡単なことではなかったはずです。トランペットを使った小細工が通用したのはエリコだけです。それ以外の都市では神業的な仕掛けに頼ることなく城壁を突破しなければならなかったのです。アイでの彼の企みは実に狡猾でした。まず小部隊が都市へ突撃し、それから退却します。するとアイの人々は敵を倒したと思いこみ、最後のとどめを刺そうと追撃します。彼らは都市を無防備に開け放したまま都市を離れ、まんまとヨシアの罠にはまるのでした。

悪巧みは私たち人間がもつ特技の一つであり、心の理論を思い出させるとハリスは言います。ヨシュアがアイ市民の行動を解きあてることができたのは、ヨシュアが彼らの思考を想像することができたからです。彼はアイ市民を騙せると確信し、そのために巧みな計画を考案したのです。さらにその成功に大きく貢献したのがヨシュアと他の司令官たちとの連携のよさでした。

もちろん彼が大部隊を率いていたこともマイナスにはなりませんでした。しかしそれもまた頭脳の発達の成果だったのです。チンパンジーの〈われわれ〉には自分の知るメンバーだけしか含まれません。見知らぬ個体は自動的に〈彼ら〉と分類されるのです。ヨシュアの頃となると、人間の形成する集団はあまりに大きくなりすぎて、メンバーが皆と顔なじみというわけにはいかなくなったのです。集団は一つの概念、思い描くものとなったのです。ヨシュアがエリコの城壁の外で見知らぬ人と出会えば、彼は「汝はわれわれの一味か、それとも敵か?」と尋ねて、〈われわれ〉なのか〈彼ら〉なのかを確認しなければなりませんでした。敵よりも大規模な集団を形成できるということは頭脳的にも勝っている証明であり、その効果は一目瞭然でした。もしエリコ、アイ、マケダ、リブナ、ラキシュそしてエグロンが連合してヨシュアに対抗していたら、ちがう結末を迎えたかもしれないとハリスは言います。しかし、都市の周りには城壁があり、それには市民を別の都市の攻撃から守るという目的がありました。

ハリスの考える進化6

たんに〈われわれ〉と〈彼ら〉を区別することによって、その境界線が明確になると、次なるステップは相手の集団に戦いを挑み、彼らを一掃しようとします。それが、ネアンデルタール人の消滅を暗示しているように思われますが、ハリスはそうではないと思っています。アフリカ全土で何が起こったのか、あるいは起こりえたのかについてハリスは説明してきました。そして構造上、現生ヒトと同じ人類が登場し、近縁の集団が姿を消したことに触れました。しかしそれと「ホモ・サピエンス・サビエンス」がヨーロッパに到来したときにヨーロッパで何が起こったかはまったく別の問題だと言うのです。現生人類とネアンデルタール人、この二つの種はまったく異なる条件下でそれそれ別々に進化を遂げてきたと考えられています。ネアンデルタール人は寒さに適するように、現生人類は温暖さに適するようにです。両者に共通していたのは大きな脳と肉食嗜好でした。しかし彼らには重大な違いが二つありました。ネアンデルタール人は、口と咽喉の構造がそれには向いていなかったため、おそらく私たちのようには話すことができなかったでしょぅ。そして彼らは分厚い毛皮で覆われていたということです。

進化生物学者も古生物学者も頭の中でネアンデルタール人にスリーピーススーツを着せ、ロンドンかマンハッタンの街中に放したら人々は気づくだろうか、と想像するのが好きなようです。しかし問題はネアンデルタール人の毛を剃り忘れたことであり、結果的に気づかない者は誰一人いないでしょう。結局彼は麻酔銃で撃たれ、動物園へと送りこまれるでしょう。進化生物学者も古生物学者も他の人々同様に、ヒト科の祖先が一列に並んで毛深さが徐々に薄れていくようすが描かれている絵の印象が脳裏に焼きついているのです。ネアンデルタール人は氷河期のヨーロッパをあの分厚い毛皮なしでは乗り越えることができなかったでしょう。何しろ彼らには裁縫という術がなかったのですから。スリーピーススーツもなければ、毛のライナーのついたパーカーもありません。彼らは寒さから身を守るために動物の毛皮を使ったとも言われていますが、鹿の皮を肩からかけただけで吹雪の中を狩猟に出かけたりはしないだろうとハリスは言います。しかも彼らはほぼ毎日狩猟に出かけなければならなかったはずです。彼らが食べ物を貯蔵していたことを示す証拠もなければ、氷河期のヨーロッパで果物や野菜が手に人ったとも思えません。私たち現生人類もネアンデルタール人同様まぬけではありませんでした。しかし、針を発明するまではヨーロッパで生活していけるとは思いもしなかったでしょう。

私たち人間が中東に到着し、ネアンデルタール人を見かけたときには毛深さへの嫌悪は消え去っていたでしょう。彼らを嫌な格好をした人間だとは思わずに、彼らを動物だと、食い物だと思ったのです。彼らを見た感想は「いやだな」ではなく、「おいしそう」だったとハリスは言います。そしてネアンデルタール人側も間違いなく同じような思いをいだいたことだろうと推測します。ネアンデルタール人は姿を消しました。そして私たち人間が到着する前のヨーロッパや新世界で生息していた大型で食用に適した動物も皆姿を消しました。私たち現生人類は彼らよりも捕食者としての才能が勝っていたのです。

ハリスの考える進化5

ヨーロッパの探検家たちがはじめてニューギニアの奥地に足を踏み入れたとき、彼らが目にしたのはまさしくバベルの塔そのものであったと言うのです。テキサス州程度の広さに1000もの言語が飛び交い、しかもそのほとんどに共通性がありませんでした。ジャレド・ダイアモンドは白人到来前の島の様子を次のように語っています。

「しかし、ほんの数マイル先に彼ら〔別の人間〕が住んでいたとしても、領地を出てそのような人間に会いにいこうという冒険的な試みは、自殺にも等しいことでした。…このような隔離は大きな遺伝的多様性をもたらします。ニューギニアでは、谷ごとに独自の言語や文化があるだけでなく、独特の遺伝的異常や風土病があるのです。(長谷川眞理子・長谷川寿一訳『人間はどこまでチンパンジーか?』新曜社)

こうしたことからニューギニアのある部族ではハンセン病の発病率が世界一高く、他の部族でも聾唖、男性における偽両性具有、成熟前の老化、思春期の遅延などの発現の頻度が高くなっていました。部族間の遺伝子レベルの違いはおそらく一つか二つの遺伝子の突然変異によるものだと考えられますが、その違いこそが部族間の違いを生み出しているのです。わずかな違いではありますが、それぞれの集団は分裂してからまださほど時間は経っていないのです。

時の流れは分離した二つの集団の隔たりをさらに拡げました。動物の中には、生物学者が遺伝的浮動と呼ぶように、違いが徐々に、しかも不規則に増えつづけるものもあったそうです。しかし「ホモ」属ではその過程が不規則ではないかもしれないし、偽種分化によってその速度も速まるかもしれないのです。ヨーロッパの人々の間に見られる視覚的な違い、たとえば北欧の人の金髪とイタリア人の黒髪、この違いはあまりにも短期間に進化したため、金髪か黒髪か、それがいずれかが健康によいという理由だけでそのように進化したとは考えにくいと言います。おそらく異性の好みが後押ししたのだろうと考えているようです。美しい髪をもつ人間がはじめて登場したのは偶然だったのかもしれませんが、結婚相手としてそのような人間が求められるようになれば、その子孫の数は急激に増えることになります。いずれにしてもこのような特性は〈われわれ〉と〈彼ら〉を区別する目印になります。

人類の体毛の薄さはこのように進化を遂げたのでしょう。おそらく最終段階間近になってから、しかもわずかな時間だったのではないかと考えられます。体毛の薄い種が登場したのは、ネアンデルタール人を生み出した北方系「ホモ・エクトゥス」が私たちの祖先である南方系と交配しなくなってからのことです。おそらくサピエンスにサピエンスが付記されてからのことだったのでしょう。わずか13万年前です。はじめは体毛の薄い集団と、サル同様に毛深い集団への偽種分化だったのでしょう。毛深さが敬遠されるようになり、元来体毛の薄い集団はますます体毛も薄くなる一方で、他方集団はサル同様毛深いままでした。毛が薄いことで利点があるわけではありません。たんに〈われわれ〉と〈彼ら〉を区別しやすくなっただけなのです。その境界線が明確になると、次なるステップは毛深い集団に戦いを挑み、彼らを一掃することだったのです。

ハリスの考える進化4

サルや人間の集団が分裂するとき、過去につきあいのあったもの同士が行動をともにするのが普通だそうです。すなわち一族郎党を多く含む側につく傾向があるのです。ところが両側に一族郎党がいるために、どちらにもつけるという場合が必ず生じます。ジェーン・グドールが観察していたチンパンジーの集団が二つに分裂したとき、年老いたオスのチンパンジーのゴライアスがなぜカハマ集団と運命をともにすることにしたのか、ジェーンは最後まで解せなかったそうですが、その決断によって彼は命を落としてしまったのです。

ゴライアスがなぜそう決断したのかはわからないと言います。しかし人間集団が分裂する場合、人は自分が溶けこみやすいと思う側を選ぶ傾向にあると言われています。人間社会のように家族単位で形成されるものであれば、どちら側につくか選択の余地はまずありません。もし自分の裁量で決める人がいるとすれば、その人は自分と共通点の多い側を選ぶでしょう。その結果、多くのケースでそうであるように、娘集団間に統計的な差異が見られるようになるのです。両集団のメンバー間で行動形態、外見にわずかに違いがある場合がありますし、また違いがまったく見られないという場合もあると言うのです。

人間の場合、集団間の敵対心はすでに両者間に存在していた違いをさらに際立たせ、当初は違いがない場合でも、新たに違いを生み出します。それでは主客転倒ではないか、両者の違いこそが敵対心を喚起するのではないか、と思うかもしれません。しかしハリスは、敵対心が両者の差を拡げることの方が多いと考えているそうです。ある集団のメンバーは相手集団から区別化を図ろうとします。ある人のことを好きになれなければ、その人とはまったく違う人間になりたいと願うものだと言うのです。こうして両集団はそれぞれ別の習慣を築くようになり、タブー視するものも違ってきます。服装も身の飾り方も違ってくるのです。それが敵と友人を見分けるのに効果的だからです。使う言語さえ違ってきます。

アイブル=アイベスフ=ルトはこう述べているそうです。

「人間は下位集団を形成したがる傾向が強く、別の集団を見分けるために違った方言や特徴を身につけ、新たな文化を形成するにいたる。…他とははっきり区別された集団の一員として生きることは人間性の基本的特徴といえるだろう。」

この過程は「偽種分化」と呼ばれているそうです。もしこの偽種分化も前人間性の基本的特徴であったならば、進化の速度は著しく速まっていたことだろうと言うのです。集団が分裂し、お互いからの区別化を図り、戦争が勃発し、戦争によって交配は絶たれ、もしくは激減し、真の種分化への基礎が固まるのです。仮に一方の娘集団が戦闘能力により長けていれば、他方を一掃することもできたでしょう。もちろん一方が打ち勝つだけかもしれないませんが、そうなると進化の速度ははるかに遅くなってしまいます。

ニューギニアの部族社会がこの偽種分化の過程のモデルを提供してくれているそうです。ヨーロッパの探検家たちがはじめてニューギニアの奥地に足を踏み入れたとき、彼らが目にしたのはまさしくバベルの塔そのものであったと言うのです。

ハリスの考える進化3

典型的な狩猟採集民族や村落社会では、どの社会でも人間の赤ちゃんは生後六カ月ごろまでには赤ちゃんも自分の属する地域社会のメンバー全員と一度は顔を合わせることになるため、見知らぬ人の存在はそれだけでも十分懸念すべきこととなるのです。そこで、人見知りをはじめます。彼は何をしにきたのか。私をさらおうとしているのか。私を奴隷にしようとしているのか。まさか私を食べてしまうのではないだろうか。その答えのヒントを求めて赤ちゃんは母親の反応を観察します。母親がその見知らぬ人を大丈夫であると思っている様子を見ることができれば、赤ちゃんは安心するのです。この経緯は、私も再三現場で見て、同感します。人見知りは、親以外の人にするのではなく、それまで見知らない人にするのです。と言うのは、進化の過程でそれまでにおおむね同じ民族間では、見知った人になるからです。園でも、それまでに園全体の職員は、皆見知った人になることが必要な気がしますし、人見知りが起きてからも、多くの人と接することで、皆安心した存在であることを知ってもらった方がいいと思っているのです。

この赤ちゃんの見知らぬ人への反応を、アイブル=アイベスフェルトは「幼児ゼノフォビア(外国人など未知の存在に対する嫌悪・恐怖を指す概念)」と呼び、それは人が世界を〈われわれ〉と〈彼ら〉とに分けて考える生得的な気質の存在を示すはじめての徴候であるとしています。

子どもは教えられなければ憎悪は覚えないと考える人が多いそうです。しかし、アイブル=アイベスフェルトもハリスも決してそうは思っていないそうです。他集団のメンバーに対して憎悪をいだくのはある意味で人間(チンパンジー)性であり、その中でも最も醜いものであると言うのです。子どもたちに教えるべきことは憎悪をいだかない方法だと言うのです。ドーキンスは、人間は生まれながらにして利己的であると言いましたが、そうではないと考えているのです。そうではなくて、私たちは生まれながらにして見知らぬものに対して恐怖をいだくようにできているのだというのです。

生物学者スティーヴン・ジェイ・グールドによると、進化とはゆっくりと、細かな変化が徐々に積み重なりながら進むものではないと言います。種には安定期があり、それが何百万年もつづくこともありますが、それを経て、進化の時間基準から考えるとむしろ突然に姿を消し、新しい種と入れ替わります。種分化は、種に属していた副次集団が枝分かれし、一般的には地理的な孤立のために母集団と交配できなくなったときに生じます。この小集団は新たな特徴を進化させ、その変化によって母集団よりも順調に増殖が図れれば、最後には適者生存の競争を勝ち抜き、母集団と入れ替わることになると言うのです。

小集団は必ずしも大集団から地理的に隔離されなければならないというわけではありません。なぜなら交配しなくなる理由は他にもあるからだと言うのです。ともにヨーロッパに生息する二種類のバッタは、外見も同じで実験室では交配もするそうですが、野生下では交配しないことから別の種類とみなされているそうです。彼らが交配しないのは鳴き声が違うからです。こうしたわずかな行動の違いが彼らを引き離しているのです。

ハリスの考える進化2

600万年という比較的短い間に私たちはサルから人間へと進化しましたが、それは艱難辛苦の道のりでした。我々は敵を一人残らず絶滅させたのです。この過程をハリスはこう考えています。

サルの集団が肥大しすぎて、分裂したのが事のはじまりだと言うのです。その二つの娘集団、生物学的にこう表現されるそうですが、この娘集団は隣接する領地をそれぞれ縄張りとし、まもなく交戦状態に入ります。実際には先に敵意が芽生え、それが戦いを勃発させたのです。

人間集団が分裂したときに、その娘集団同士がその時点では敵対関係になくても、まもなく互いを敵対視するようになります。ある人類学者が、「村にとって致命的となる敵は、その村が少し前に分離独立した親集団である」と言っています。この考え方は、納得がいきますね。身の回りにそれに当てはまるような事例がたくさんあり、その敵対関係に少し私はうんざりしています。

ハリスは続けます。交易や結婚のために交戦がたびたび中断することはあっても、ささいな誤解が戦いを誘発し、まもなく両者は交戦状態に舞い戻ります。集団にとって、お互いを嫌う理由などいらないと言うのです。相手が〈彼ら〉であり、当方が〈われわれ〉であるだけで十分なのです。もしそれだけでは物足りないのであれば、彼らは領地という問題の発端となる要囚を常にかかえているのです。ヨシュアがあれだけの都市をすべて破壊するにいたったのは、彼いわく、神が民に土地を与えると約東したからだと。しかし領地だけが目的ではなかったはずです。そこには憎悪もありました。攻略した都市の王は全員捕らえられ、、いくつかの例外を除いて虐待され、木に吊されたのです。

ヨシュアの残虐行為は比較的最近、わずか3500年あまり前のことで、その地域ではそのはるか以前から農業が営まれていました。チンパンジーと分岐し、進化しつづけた600万年のほとんどを人間は狩猟採集民としてその日暮らしの生活をしてきました。狩猟採集社会は平和で闘争の原因となる領地も闘争心もなく、遊動生活を送るとされてきました。しかし動物行動学者イレネウス・アイプル=アイベスフェルトは、それは愛と平和がつくり出した神話にすぎないと言っています。彼の報告によると今なお狩猟採集生活を送る民族の大多数は平和でもなければ、領地闘争がないわけでもないと言うのです。確かに戦闘行為を放棄した部族もありますが、それはおそらく闘争するだけの価値ある土地がなくなったのだろうと考えられますが、調査対象となった99もの狩猟採集民族のうち、「戦争をしたことがないと答えた部族は一つもなかった」そうです。

私たちは恐れを避けたいがゆえにそれをもたらすものを嫌います。アイブル=アイベスフェルトが言うように、どの社会でも人間の赤ちゃんは生後六カ月ごろから人見知りをはじめます。典型的な狩猟採集民族や村落社会では、その頃までには赤ちゃんも自分の属する地域社会のメンバー全員と一度は顔を合わせることになります。そのため見知らぬ人の存在はそれだけでも十分懸念すべきこととなるのです。

ハリスの考える進化1

およそ600万年前にチンパンジーとの共通祖先から分岐したヒト族は、600万年の間、アフリカとの往来を繰り返していましたが、150万年前に誕生した「ホモ・エレクトゥス」以外のヒト族は、ほとんどが絶滅していたのです。「ホモ・エレクトゥス」はヒト科の中でもきわめて順調に生息地をアフリカから中東、ヨーロッパ、そしてアジアへと拡大し続けたのです。100万年以上もの間、サハラ砂漠の南北で生き続けたのです。その後、アフリカでは初期段階の「ホモ・サピエンス」にその地位を譲り、10万年前から15万年前には「ホモ・サピエンス・サピエンス」とも呼ばれる最も現代人に近い型の「ホモ・サピエンス」がその地を占領するようになったのです。この交代劇は13万年前のことではないかとハリスは考えているようです。それは、私たちが生きている時代からすると最後の間、氷期にあたり、温暖な気候がしばらく続いた時期だったからだと言うのです。

「サピエンス」がさらに付記され、その地位が現代人にまた一歩近づくと、現生ヨーロッパ人、現生アジア人の祖先はアフリカを後にし、北に進路をとり、中東に移り住みます。その時、その地はすでにヒト科のネアンデルタール人によって占領されていました。彼らは北方系「ホモ・エレクトゥス」の系統をひき、ヨーロッパのほぼ全土と中東に多く生息していました。ちょうどこの頃、新たな氷河期が始まりつつあったため、私たちの祖先はそのまま比較的温順な中東にしばらく留まることになりました。ネアンデルタール人とは、友好的に出会ったかどうかははっきりしていませんが、その地を共有していたこととなります。そして、ジャレド・ダイヤモンドは「大躍進」と呼び、人類学者マーヴィン・ハリスは「文化的飛躍」と呼んだ不思議なことが起きました。原因はいまだ不明だそうですが、その結果はまもなく明らかになったそうです。技術の大躍進に押し出され、私たちの祖先はヨーロッパそしてアジア全土に拡大していったのです。その同じ頃、ネアンデルタール人が姿を消したのです。彼らは7万5000年もの間、氷河時代を乗り越えてその地に生息していたにもかかわらず、気候が穏やかになりかけたその途端に姿を消したのです。ハリスは、「不思議なものだ」とつぶやいています。

こうして勝者となった私たち人類は邁進し続ける唯一のヒト科になったのです。今日まで生き延びることに成功した近縁の種は、アフリカの辺境地帯の限られた領域にのみ生息するゴリラ、チンパンジー、ボノボ、そしてボルネオとスマトラにのみ生息するオランウータンだけです。それ以外はすべて全滅してしまったのです。600万年という比較的短い間に私たちはサルから人間へと進化しましたが、それは艱難辛苦の道のりでした。我々は敵を一人残らず絶滅させたのです。

このあたりの経緯については、私もブログ等で書いてきました。しかし、そこでも書きましたが、わかっているのはその事実だけで、どうしてそうなったかは明らかではないのです。それについて、ジュディス・リッチ・ハリスはどう考えているのでしょうか?