自然な出産

クラウスとケネルは、ヤギの観察から出産直後にはホルモンが引き起こす「感受期」があるのではないかと考えました。とはいえ、人々に受け入れられた絆という概念がヤギにその基礎をおいているとは思わないとハリスは言います。それはむしろ「原始的な」社会の「自然な」母親像という理想からきていると考える方が正しいだろうと言うのです。そうした社会の母親たち、すなわち高潔な野人ともいえる狩猟採集民の女性たちは、産気づくと、騒ぎ立てることもなく森の中や草原でしゃがみ、子どもを産みます。そして臍帯をかみちぎり、かき集めた葉っぱで赤ちゃんの顔を拭い、その子を胸に抱いてふたたび草の根や実の採集に戻るのです。

しかし、ハリスはこれを鵜呑みにしないでもらいたいと言います。子どもを産むとはそんなものではないのです。第一に、どの社会の女性にとっても出産は痛く苦しい大仕事なのであり、非工業化社会においては紛れなく危険な作業です。今日でもサハラ砂漠以南のアフリカの女性は13人に一人の割合で妊娠や出産によって命を落としています。第二に、それが大仕事であり、危険をともなうことから、女性が一人で子どもを産むということはまれなのです。しかし、例外としては経産婦が一人で子どもを産み、その気丈さが尊敬される社会がいくつありますが、それは初産ではありえないようです。このあたりも以前のブログで書きましたが、一人で産小屋に行って出産していた民族では、出産時に死亡する人が多くなったことから、一人産婆を連れて産小屋に行くようになったと聞いています。昔から分娩時には一人もしくは複数の年配の女性が立ち会い、妊産婦を励まし、生まれてくる赤ちゃんを取り上げます。出産は人間の女性にとっては一人で行なう行動ではないのです。それは今も昔も変わりません。そして母親が産後生まれたばかりの赤ちゃんと二人きりになることもあまりあることではないと言います。

赤ちゃんが生まれたらすぐに母親の胸に抱かせるという習慣は、伝統的な社会において見られることはありますが、すべての社会に通じるものではないそうです。コンゴ民主共和国(旧ザイール)のイトゥリ森林地帯に居住する背の低いエフェ族(旧ビグミー族)の出産の様子を解説した記述があります。

「出産の第一立会人が、まもなく子どもを産もうとしている分娩中の女性の前にひざまずく。赤ちゃんが生まれたら、その子はまずバナナとヤシの葉でつくられたマットの上に置かれる。次に泣き声をあげるようにと冷水で体を洗われる。臍帯が切られる(通常は第一立会人が切る)と、その赤ちゃんは短時間だがキャンプ内の男性へのお披露目として外に連れて行かれる。分娩が行なわれた小屋に戻ると、赤ちゃんは女性の間を次から次へとまわされ、女性らは母乳が出る出ないにかかわらず、赤ちゃんに乳を吸わせる。母親が一番に赤ちゃんを抱くと赤ちゃんに不幸が訪れると考えられているため、母親はすぐには赤ちゃんを抱かないのだ。よって、赤ちゃんは最初の数時間をキャンプ内の女性のもとで過ごし、その後ようやく母親の手にわたるのが一般的なのだ。」

自然な出産” への9件のコメント

  1. 最後の段落を読むと、まるで出生直後から自分の生きていく社会を知らされるようであり、また、赤ちゃんを受け入れる大人たちはその社会を伝え、そしてその責任を分かち合うかのようです。まるでお祭りのようなイメージが浮かぶのですが、子は宝であるということを社会全体で体現すると、そういうような型になるものなのかもわかりません。園の職員の団結が、まるで大きな家族のように捉えられることもあるようですが、取り巻く大人が手を取り合って織り成す社会もまた、大きな家族のような温かみを持つものなのかもわかりません。

  2. 出産が大仕事というのは間違いないことですね。実際に出産の立会いを経験しているからこそ、それを余計に感じてしまいます。だからこそ、ハリスの言う狩猟採集民の女性の出産の姿を鵜呑みにしてはいけないということがよく分かります。出産がどれほど大変で、どれだけ危険なことなのかを知った上で、狩猟採集民の女性の出産に目を向けてみると、私たちには考えられないようなことがなされているように思えます。
     また、エフェ族のように出産直後の母子の関わりというのは民族や社会によって異なるようですね。臍帯を切る流れのところまでは理解できますが、その後にキャンプ内の男性へのお披露目があったりと、なかなか母親の元に子どもが戻って来ないというのは意外でした。これも民族による社会的な背景が関係しているのでしょうか。

  3. 嫁の出産に立ち会い「もう立ち会いたくない」と失礼ながら感じた自分でしたので、ハリス氏の言う狩猟採集民の女性の出産を読んでびっくりしたところでした。考えられないくらいにタフというか、精神的にも強靭なものだと思いました。
    エフェ族の出産からの流れをみていると、これからその赤ちゃんがお世話になるであろう人々に「よろしくお願いします」とあいさつに出かけているような印象を受けます。これから関わる社会に一番に出向き、そこで暮らす人々と出会うことは大切なことだと改めて感じますね。

  4. 狩猟採集民の出産の場面の記述がありました。私は正直、ホント?と思いつつブログを読み進め「ハリスはこれを鵜呑みにしないでもらいたい」との部分で、そりゃあそうだよな、とホッと一安心したところです。最近の若いお父さんたちは奥さんの出産に立ち会うようですね。40歳にしてわが子を得た私は妻の出産に立ち会うどころか、保育器のわが子を観て、この子は果たして生き延びられるのか、とハラハラドキドキしたものです。立ち会うなど、私の思考の範囲外のことです。エフェ族の出産風景は何だかホッとしますね。生まれ来たった子を一族の人々が迎える。子どもは一族の宝だ、ということを読み取れます。子どもの出産もそうですが、子どもの育ちの過程に多くの人が関わることはその子の引き出しがより多く引っ張り出されることなのだろうと思います。私の子が生まれた時、私のご一族の皆様が次から次へとわが子に会いに来てくれました。子は一族の宝、と思ってもらっていたからでしょう。

  5. 赤ちゃんを産むという行為は、大変な作業でありながらも、自然なものであることも改めて感じます。私自身は、産むことはできませんので話を聞いただけでも、壮絶なものであり、この痛みには男性は耐えることができないほどの痛みがあるという話を聞きます。女性の身体、というより遺伝、生得的に持ち得ているであろう、出産するという行為には、神秘的なものでありながら、社会的なものであることを感じます。

  6. エフェ族の出産直後の記述は驚きましたが、その社会では当たり前のことであり、それが赤ちゃんにとって一番の幸せと考えているようですね。確かに京都大学の松澤さんの話で、ある民族は共同養育をしているという話のなかで、平気で他人の赤ちゃんに乳を飲ませたり、面倒見たり、集団で子育てをしている姿を思い出すと、出産直後に母親だけに抱かせるのは、赤ちゃんは不幸になるというエフェ族の考えは納得します。出産直後に母親が赤ちゃんを抱く瞬間は最高のシーンで誰もが感動するシーンかもしれませんが、「それだけ」なのかもしれません。生まれてきた赤ちゃんは母親だけのものでなく、社会の大切な一員として受け入れることが自然な出産なのかもしれません。考え方も方法も全く正反対でも赤ちゃんを大切しようとする気持ちが変わらないことに少し感動しました。

  7. 「高潔な野人ともいえる狩猟採集民の女性たちは、産気づくと、騒ぎ立てることもなく森の中や草原でしゃがみ、子どもを産みます。」というのは信じられないですが、昔はそうだったと説明されれば納得してしまいそうです。事実出産に立ち会いましたが、そう簡単でないことはすぐにわかります。出産に対する考えというのはエフェ族のお話な中にあるように赤ちゃんがこの世に生まれ社会の一員になることをお祝いしているようです。方法は違えどそのような考えは変わらないのですかね。

  8. 「ハリスはこれを鵜呑みにしないでもらいたいと言います。」伝統的な狩猟民族の社会を聞いていると、「今の時代はなぁ・・」と思うことがあります。しかし、その反面、今の社会でも狩猟採取民族の時代から改善されたことやより良い方法が多く見つけられています。文明の発達などはまさにそのことであろうかと思います。鵜呑みにするのはとても危険なことですが、しかし、今の時代、失ったものを見直す機会を持つことも重要なことだと思います。これまでのブログを見ていて「ヒト」というものを改めて知ることができました。そして、それは「ヒト本来」の力であり、乳幼児の保育の中で参考になることが多くあるのを感じます。

  9. 狩猟採取民の女性の出産の例には驚いてしまいました。同時に、ハリス氏の「鵜呑みにしてはならない」という言葉に安堵しました。藤森先生も講演の中で話されますが、人類は一人でお産をするような体の構造ではないと言われます。当然、危険が伴うものですし、何より一人では困難であるならばそれを助けてくれる誰かがいたというのがやはり人類だなと感じます。また、エフェ族の出産の風景はいいですね。赤ちゃんの誕生をみんなで喜んでいるような感じがします。少し話は違うかもしれませんが、先日のブラタモリでタモリさんが、自分の小さい頃はいとこ家族が周りにたくさんいて、子どもたちはいつもどこかの家を行き来していた。そして、夕方にそこにいた家でご飯を食べていたと言っていました。大きな族で子どもを育てる感覚というのはいいですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です