理論の真偽

ワトソンが主張したように、子どもたちは体で愛情を表現してもらうことを求めているのか、それとも求めていないのかというような問題を、科学的に解決する方法はないのでしょうか?そのとき問題なのは、研究を行なっている科学者もまたネイフェルト博士の概念を生んだのと同じ土壌にいることだとハリスは言います。「科学とは『社会的に構成されたもの』であって、直接に現実を見ることも、自分の文化の世界観によって歪められることなく真偽を判断することもできない」などと言うもりはないとハリスは言うのです。現実とは実在するものであり、科学はその作用を解明する格好の手段であると、彼女個人は考えているのです。しかし育児は物理ではないと言います。実施される調査もそれに対する解釈も、間違いなく私たちの文化によって色づけされた子ども時代や親のあり方に関する考え方が生み出したものだと言うのです。しかもその考え方は変動するものであり、時には劇的に、時には世代よりも短い間隔で変化すると考えています。子ども時代や親の態度は本質的に感情論であるために、ニュートリノやクォークについての理論の真偽を判断するときのようには冷静に対処できないかもしれないと言っています。

たとえば「母子間の絆の形成」についての研究についてハリスは考察しています。1970年以降、ともに医者であるマーシャル・クラウスとジョン・ケネルは、生後1、2時間の新生児と母親の肉体的な密着がその後の子どもの成長にどのような作用を及ぼすかについての一連の記事や書籍を発表しはじめたそうです。彼らの主張は、出産直後に赤ちゃんと文字どおりのスキンシッップを体験できた母親はその赤ちゃんとの「絆」を結ぶことができる、つまり狂おしいほどの愛情を赤ちゃんにいだくようになる、というものだったそうです。逆に、赤ちゃんが速やかに病院内の育児室に連れ去られてしまった母親は、出産直後の肉体的接触による感情体験をしそこなうため、赤ちゃんに必要な無条件の愛情を注ぎにくくなり、赤ちゃんをなおざりにしたり虐待したりする可能性が高まると言いました。

この絆という概念は山火事のごとく広まっていきました。病院の処置手順にも大きな変化をもたらしました。一世代前には子どもたちの問題行動の原囚は親の「甘やかし」にあるとしていた関係者も、それからは生後数時間における母子の接触が不十分であったと考えるようになったのです。イヴォンヌ・シュッツェは自分と娘がうまくいかない原困は娘が生まれた直後、それも9年前の話だったそうですが、絆を結ぶことができなかったからだと主張したドイツ人の母親について言及しています。あるイギリスの小児科医は次のように忠告しているそうです。

「正常に生まれた赤ちゃんは直接母親の腕の中に抱かれるべきである。…その乳児は生まれたままの姿で母親の胸に抱かれるべきである。…親と赤ちゃんはその後一時間水入らずの時を過ごすべきだ。…動物研究では、母子が短い時間でも分離されるとその後母親が赤ちゃんを拒絶したり、さらには殺害するといった悲惨な結果を招くことが明らかになっている。」

こんな当時の母子間の考え方に対して多くの研究者、世論がいかにも普遍的な、正しい考え方であると受け入れられていたかを聞くと、現在でも、あたかも正しいかのように言われていることに対しても、決して、研究者の考えをうのみにせず、きちんと目の前の子どもを観察し、その姿から判断するべきだと言う気がします。

理論の真偽” への7件のコメント

  1. 最後の段落は何度も読み返したい内容です。新しい知見が今まで大切にしてきたものを否定する程に強烈な内容であることがあります。それを受け止めて進む中に痛みにも似た辛さを伴うこともあるのですが、そこで救われるものの多さにいつしかその痛みも忘れてしまうのではないかと思います。そしてそれはまるで筋力トレーニングのように、回数や経験を重ねる中でより痛みは薄れ、それに伴って筋力がついていくのだと思います。
    そういう意味では先ず始めることですね、そうして少しずつ出来るようになっていくのだと改めて思いました。

  2. 確かに育児は物理ではありませんね。物理で言う所の現象を考察してそれを説明することのできる仮説を立てるという部分では、乳幼児期における研究の仕方も似た部分があるように思えます。しかし、そこには時代背景や社会、そして感情など、様々な要因が入り乱れて関係してくるため、定まった法則のようなものでは説明できないことも多々あるのではないでしょうか。定められた答え、ゴールが見えない分、子育てというものは難しくもあり、そして面白いと感じてしまうのかもしれません。

  3. 長男は生まれた時に呼吸が弱くなってしまったので、すぐに保育器の中に入れられてしまいましたが、そのことで今回の内容にある〝赤ちゃんに必要な無条件の愛情を注ぎにくくなり、赤ちゃんをなおざりにしたり虐待したりする〟ことなく過ごしています。この事実が最後の段落の部分を裏付ける証拠であるのだと思います。

  4. 私も子育てを経験してきました。そして、今なお経験中です。「出産直後に赤ちゃんと文字どおりのスキンシッップを体験できた母親はその赤ちゃんとの「絆」を結ぶことができる」とありました。未熟児で生まれたわが子は母親とのスキンシップもそこそこで保育器に入れられました。父親である私がわが子を抱くことができたのは生後何日目のことだったか?この「絆」理論からいけば、家内も私もわが子と絆を結べていない、つまり「赤ちゃんをなおざりにしたり虐待したりする可能性が高まる」ことにつながる、ということになりますね。おかげさまで、そうしたことにもならずわが子は高校生になっています。しかし、新米の親が医者から「赤ちゃんをなおざりにしたり虐待したりする可能性が高ま」りますよ、と言われたら、これは焦るでしょう。何が何でもスキンシップ、と思うかもしれません。現代の宗教家である「医者」はその発言内容を吟味してもらいたいものだと思いました。

  5. 確かに人間以外の動物では、生んだあとにすぐ体をなめたりする姿が必ずといっていいほど見られる姿ではあると思いますが、人はそうはいかない状況で産まれてくる赤ちゃんがいると思います。しかし、以前は、生まれてすぐに一緒にいれない状況に置かれてしまった母親は、絆が結べなかったと思ってしまうと思います。研究で見られた結果が、すべてではなく、真相となるものは、子どもの成長していく姿にあると思います。

  6. 「母子が短い時間でも分離されるとその後母親が赤ちゃんを拒絶したり、さらには殺害するといった悲惨な結果を招くことが明らかになっている」ここまでくると、もはや単純に迷信としか捉える事しかできません。とは言っても、それを提唱したイギリスの小児科医は真剣そのものだったと思いますが、母子関係がたった短時間で分離される事で崩れ落ちてしまうほど、人間の絆は脆くはないと思います。確かに生まれたての赤ちゃんを一刻も早く自分の手で抱きたいという気持ちは母親の中には絶対にあると思いますが、それが今後の母子関係に大きな影響を与えるとは、やはり考えにくい気がします。しかし、母子関係を巡る理論は当時はそれだけ重要視されていたのは理解できました。今日にでも保育の理論が飛び交っていると思いますが藤森先生が何度も言われています「目の前の子どもを観察し、その姿から判断する」これが理論を構築する為の大前提ですね。

  7. 「出産直後に赤ちゃんと文字どおりのスキンシッップを体験できた母親はその赤ちゃんとの「絆」を結ぶことができる」というのはなんだか聞こえはいいですが、違和感しかないですね。最後にある藤森先生の言葉のように「研究者の考えをうのみにせず、きちんと目の前の子どもを観察し、その姿から判断するべきだと言う気がします。」という部分がそういったところの真の部分になってくるのではないかと感じます。まずは本当かなのかと冷静に物事をみることにも通じてくる気もしますね。

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