母子間

シュッツェによると「母子間の心理学的な関係を科学的に追究することをはじめて試みた」のがワトソンだと言っています。それまでのアドバイスは子どもの健康やしつけ、もしくは宗教観を養うことに関するものばかりだったのです。ワトソンの登場により、母親の責務は拡大していきます。それまでは子どもが猫背や消化不良を起こさないように、不器用な子や無神論者にならないように努めることが責務とされていましたが、それに加え恐怖心や高慢な態度を養わないよう、また成績の悪い子、不幸な子にしないよう努めることもその責務に加わったのです。さらにこれだけでは不十分であるかのように、ちょうど同じ頃から、まったくフロイトのお陰で、子どものために何をし、何をしなかったかだけでなく、子どものいだく無意識の気持ちや欲求までもが母親の責任とされるようになったのです。シュッツェは、「20世紀後半の母親は過労で倒れるまでその責務をこなしても、自分が豊かな人間だと自負できない、もしくは無意識下で自分に否定的な感情をいだいていたりすればそれだけで非難された」と言っているのです。

20世紀後半の母親は20世紀前半の母親とは異なり、心から子どもを愛し、最大限にそれを表現することが求められました。それができない、もしくは「無意識下の否定的な感情」がわずかでも顔を出し、それによって愛情が妨げられたりすれば、子どもの人生を大きく狂わすことになると考えられていたのです。子どもの人生が狂うと当然、非難の矛先は母親へと向けられました。

今日の育児アドバイザーたちは、女性も何人かいるようですが、子どもを「無条件に愛する」ように提言しているそうです。女性アドバイザーが男性アドバイザーと比べ、やさしいアドバイスを与える傾向があるとすれば、それは微々たるものであるとハリスは考えています。1937年にドイツの心理学者ヒルデガルデ・ヘッツァー与えたアドバイスはワトソンにも引けを取らないくらい厳格なものだったそうです。彼女は「子どもに対してあまりにも感情的になり、愛情を注いで甘やかし、子どもを必要以上に大切だと考える、秩序に欠ける母親」を痛烈に非難したのです。

自称「ドクター・ママ」であるマリアンヌ・ネイフェルトはジョン・ワトンンの助言を正反対の言葉に言い換えています。

「毎日見つめ合い、触れ合い、そして抱きしめ合うことで、言葉を介さずに愛情を、そしてその子を認めてあげていることを伝えましよう。子どもはいくつになっても親が愛情を体で示してくれることを求めているのです。」

もちろんワトソンとネイフェルトの両方がともに正しいことはありえないとハリスは言います。そして、こんな疑問を投げかけています。「子どもたちは体で愛情を表現してもらうことを求めているでしょうか?それとも求めていないでしょうか?」ワトソンが主張したように、こうした問題を科学的に解決する方法はないのでしょうか?

母子間” への7件のコメント

  1. 「ドクター・ママ」の言葉のような内容は、保育の資格をとろうと勉強を始めた学生時代に随分と触れてきたように思います。その為か当時の感覚が蘇ってきて、その感覚が果たしてどのようなものなのかを、見守る保育藤森メソッドと出会うまで探し続けていたような気がしてきました。自分の気持ちに素直になることというのは実はとても簡単なことで、違和感に慣れるよう心を閉ざすことの方がとても辛く難しいことと今改めて思います。そもそもヒトは愛の生き物であるはずで、それを体現しなさいというのは何でしょうね、言ったりやったりしなくても伝わるものもあるはずで、形なきものを形にしなくてもいいということもあるように思えてきます。

  2. 時代によって母親の担う役割や負うべきとされていた責務は凄まじいもですね。今に至っては社会の変化から求められる役割というものは違ったものになってきてはいますが、それでも子育てにおいては母親の負担の方が大きいいように思えます。私も何かと家を開けることが多くなり、「今日もワンオペか・・・」と皮肉交じりの冗談を言われる時もあります(笑)実際に0歳児の子も含め3人の子どもを一人で見るわけですから、確かに申し訳ないことではあります。そんな状態の母親たちにとって、子育てに迷った際に触れる育児アドバイザーの言葉や育児本は非常に影響力も大きいものでしょう。しかしながら、「もちろんワトソンとネイフェルトの両方がともに正しいことはありえないとハリスは言います」とあるように、学識の高いアドバイザーの全てが同じことを言っているというわけではないので、影響力のある分、何を参考にし取り入れるかの見極めは非常に難しく感思います。

  3. 時代の流れとともに母親の子育てに関しての役割と責任は大きくなる一方であったのですね。現在では母親の役割も変わってきていることを内容を読みながら感じましたが、それでも責任は大きいのではないかと思います。我が家も母親に任せている部分は多くありますし、子どもが大きくなり負担は減ったかもしれませんが、また違う問題が…という感じであるようです。
    誰にも頼ることができないような状態で出会う育児に関する情報はありがたいものになり、その情報は本当はどうなのかという疑問を抱かず受けてしまうのだと思います。その責任の重さを肩代わりしてあげられる存在がいれば、また変わってくるのでしょうね。

  4. 地球上の各地域は時代時代での文化パラダイムを持っています。19世紀20世紀はヨーロッパ文化パラダイムの世紀でした。日本というアジア大陸の東の端、すなわち極東に位置した私たちの国もヨーロッパパラダイムに席捲され21世紀の今なおその影響下にあります。就学前教育の現場に向けてもそのことは看取できます。フレーベルはドイツ。一斉画一保育、軍隊保育はドイツ・プロイセン文化によります。モンテはイタリアに端を発してヨーロッパ中に拡大しました。プロジェクトやピラミッド、レッジョ、・・・全て欧州発。ハリス女史は米国にいながら欧米及びその影響下に置かれている現今の子育てに疑問を呈し、私たちに再考を促しているようです。「母子間」に集約させた子育て観の不自然さを突いているのでしょう。あるいは「家庭信仰」の虚を指摘しているのでしょう。ますます学びを深めたいと思います。

  5. 子育てとはなんのためにあるのだろうと疑問を持つことが必要な気がします。大人のエゴのためではなく、もちろん子どもの成長発達において重大なものであることはわかっていることだと思います。頼るべきところはどこなのかと考えてしまいますよね。父親では、性別も違うし、どこかズレを感じてしまう部分があっても、アドバイザーであったり、例えば、子育てについて有名な人からの助言というものも父親から同じことを言われても、気にせず、しかし、アドバイザーなどから言われればどこか納得し、それを子育ての方法に取り入れるなど、母親のそれからの情報には、内容というよりも、共感され、社会的な力というものの影響力の大きさを感じます。

  6. 母子の関係というのは、いつも不思議に思います。例えば今日、妻とこんな話をしました。「もし長男が入院したら間違いなくママが一緒に寝泊まりするでしょ」という話です。私も、もし小さい時に入院したら間違いなく母親にいて欲しいと思うはずです。同じ親なのに、こんなにも差がある事に時々不思議に思いますが、それだけ母子の関係は、父には分からない深い愛情で結ばれているのでしょう。ワトソンをはじめ今回のブログにも育児アドバイザーが出てきましたが、私個人の意見としては本当に育児の困った人がアドバイスをもらうべきで、それが絶対として広く認知されることが問題のような気がします。

  7. 「20世紀後半の母親」の姿というのは想像を絶する姿ですね。とても極端な気がしてなりませんね。現代での母子間というのだいぶイメージは変わったきてはいますが、根本は変わらないようにも感じます。母親よりも父親の方が共にする時間が多かったとしてもそこはやはり母子間というのが勝るのでしょうかね。話は変わってなにも育児に対して知識がなければ育児アドバイザーの極端なアドバイスを鵜呑みすることは間違いないですよね。そう考えると私はこうした仕事をしていることに恵まれていると感じますが、教師の子どもは…保育士の子どもは…と言われてしまうイメージがあるのはなぜですかね。

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