一人ベッドに

欧米では、今日でも赤ちゃんを一人ベッドに寝かせ、部屋を離れます。なぜ赤ちゃんの中には何かを訴えるように泣き叫ぶ子がいるのだろうかとハリスは不思議に思っていたそうです。不思議に思うべきなのはなぜ赤ちゃんがその状態に耐えられるのかです。ほとんどの赤ちゃんが一人にされることに慣れるということこそ、人類の順応性を証明するものだとされています。さほど前のことではないそうですが、私たちの祖先がまだ進化をつづけていた頃、人類は狩猟と採集で生計を立てていました。狩猟採集民の赤ちゃんは一人にされることはありませんでした。一人にされるとすれば、それは捨てられるときだけだったのです。何者かに食べられる危険性があり、火の入った囲炉裏もあり、また彼らが何を口に入れるかわかったものではありませんでした。ですから赤ちゃんが十分歩けるようになり、明らかに危険であるものを避けるだけの知恵がつくまでは親が連れて歩いたのです。夜になれば、母親と一緒に寝たのです。

今日でも世界のほとんどの地域では赤ちゃんは母親と同じ部屋で、そしてその多くが同じベッドで寝ています。グアテマラのマヤ族における育児習慣を調査している研究者がマヤ族の母親に、アメリカでは一般的に赤ちゃんは別の部屋のべッドに寝かされるという話をしたところ、母親たちは非常に驚いたそうです。一人の母親は「でも他の誰かが一緒なんでしょ?」と聞き返したそうです。赤ちゃんが部屋に一人きりになることもあると聞くと、その母親は一瞬言葉を失い、アメリカの赤ちゃんを哀れんでいたそうです。別の母親はショックをうけ、信じられないという様子で赤ちゃんはそれでかまわないのかと聞いたそうです。さらにもし自分がそうしなければならなくなったら、とてもつらい思いをするだろうとつけ加えています。マヤ族の親の反応からすると、乳児や幼児を別の部屋で寝かせることは子どもを放置することと同じことだと親たちは考えているのでしょう。日本でも同じような反応をするでしょう。

マヤ族の子どもが弟や妹のために母親のべッドから追い出されることになると、その子は父親もしくは祖母、または兄や姉と一緒に寝ることになるそうです。マヤ族にとって、一人で寝ることはつらいことなのです。

伝統的な文化で育った人にとっては北アメリカの子どもの育て方は「不自然」だと感じるでしょう。私たちは、子どもに独立心ある人間になってもらいたいと、自らの行為を正当化しようとします。確かに私たちの子どもにはそれなりに独立心があるように見えます。しかし彼らを一人でベッドに寝かせたから独立心が養われたという証拠は何一つないとハリスは言います。彼らが一人でベッドに寝かされたのは、北アメリカの人たちが子どもは独立心をもつべきだと考えるからです。育児習慣は文化の産物であり、それは必ずしも文化を代々引き継ぐためのバトンではないとハリスは言うのです。

子どもには独立心ある人間になってもらいたい。それでいて私たちと精神的な絆で深く結ばれていてほしいとも願います。親子の愛情はすっかり神聖化され、数知れない映画やテレビコマーシャルで、子どもたちが親の胸に飛びこむ姿や、目を潤ませながらやさしい表情で子どもたちを見つめる親の姿が映し出され、親子の愛情が称賛されます。母性愛、父性愛は決して文化の創造物などではありません。もちろんそれは万国共通のものであるはずです。

一人ベッドに” への6件のコメント

  1. 昔からの言い伝えや迷信、子育て神話にはそれに近いものがあるようで、ある意味ではそれはとても便利な考え方でもあるようです。なぜならそれは新たな知見に触れようと求めたり、また、それを受け入れたりする作業をしなくて済む、昔からの教えに従っていればそれで穏便という、日常の枠から飛び出す必要がなくなるからです。今改めて『峠』を読み返していますが、河井継之助はだからこそ江戸へ向かいました。いつでも柔軟な頭をもち、新たな知見を受け入れる準備をしておくことが、目の前の子どもたちを救える方法なのかもわかりません。

  2. 〝育児習慣は文化の産物であり、それは必ずしも文化を代々引き継ぐためのバトンではない〟とあります。育児はその土地でのやり方や特徴が濃く出るものであり、それに加えて個人の考え方など、私的なものも入りやすいものであるように思います。
    藤森先生が以前おっしゃっていた「伝統を守るために変わる」という言葉が思い出しました。昔ながらのものを取り入れていれば無難という考え方もできますが、新しいものを吸収しようとする姿勢が柔軟性につながり、必要なことだと感じました。

  3. “母性愛、父性愛は決して文化の創造物などではありません。もちろんそれは万国共通のものであるはずです。”という言葉には、親から子への愛というものは、文化によって違いはあるものの、愛を注ごうとする形には、その環境によった柔軟な形があることを改めて思いました。子育てには正解や絶対がないというのには、こういった面があるからこそ、柔軟な子育てができ、それが文化のなかでよりよいものとて、成り立っていくのでしょうね。子育ての柔軟性を感じるところです。

  4. マヤ族の人たちの育児感と私たち日本人の育児感に共通性を見出せました。私たちと彼らはもともと同族だったのかもしれません。オランダの乳児の寝室は結構カルチャーショックの対象となりました。私たちの育児習慣からはおよそ考えられないものでしたが、西洋の白人社会は赤ちゃんを一人部屋に置いておくことを聞き知っていましたから、施設においてもそのことが継承されているのだと合点がいったことを思い出します。それにしても人類の子育て習慣からはおよそ外れている西洋の赤ちゃん独り寝習慣。「一人でベッドに寝かせたから独立心が養われたという証拠は何一つない」とハリス女史。親と添い寝していたから独立心が養われないという証拠も同様にないでしょう。「育児習慣は文化の産物であり、それは必ずしも文化を代々引き継ぐためのバトンではない」と私も思います。とはいえ、人類として私たちの遺伝子情報として伝達されてきた「育児習慣」はあるでしょう。人類の伝統的社会における育児ということを私たちは省察しなければならないと思いました。

  5. ちょうどブログを読む少し前ですが、就寝時間になりいつもは母親と子どもたちで寝る部屋に行くのですが、今日は珍しく全員で行くことになりました。そういう時に限って次男が遊び始め、しばらく私が付き合うことになりました。トイレに行こうとすると次男が急に大声で泣き始め「一人にしないで!」と訴えてきました。今回のブログと関連が微妙かもしれませんが、マヤ族の育児習慣は伝統的な育児であり、人間本来の育児スタイルですね。独立心を持たせたいから一人で寝かす、確かにそれによって独立心が身につくかというと、そんな事はないように私も思います。前回のブログ「プライバシー」が多少なりとも関係しているようにも感じるブログの内容です。

  6. 「母性愛、父性愛は決して文化の創造物などではありません。もちろんそれは万国共通のものであるはずです。」という締めくくりがなんともドラマチックといいますか。そこはやはり大前提にありながらもその文化の違いが現れていることがよくわかります。「育児習慣は文化の産物であり、それは必ずしも文化を代々引き継ぐためのバトンではない」というハリス氏の言葉にはなにか重みを感じます。確かにそれが代々と言われたらそれを信じ引き継いでいくでしょうね。それしか知らない世界であるならば。そういったバランスというのにメスを打つのは非常に俯瞰することが必要ですが、世界を知らなければできないこと…。難しいですね。

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