専門家の言葉

ハリスが娘を初めて保育園に連れて行ったとき、大声で泣き続けていた教室に戻りたかったのを、先生の制止で戻りませんでした。娘は結局保育園にも慣れましたが、ハリスはあのときのことを忘れることはできないそうです。ハリスはあのとき、教室に戻り、彼女を抱き上げて泣き止むまで抱きしめ、彼女の心の準備ができるまで一緒にいてあげたいと思ったのですが、その強い欲求を退けて自分よりわずかに年配なだけの先生の言葉に従ったのでした。先生の言葉に従ったのは、彼女がその道の権威であり、娘のためには何が一番なのかを私よりも詳しく知っていると思ったからでした。

私たちの住む社会では、私たちは専門家の言葉に従います。今日かかる専門家は、子どもに必要なのは溢れんばかりの親の関心と愛情だといいます。子どもが問題を起こせば、体罰でわからせるのではなく、道理を説いて理解させることが大切であると言います。また、麻薬やセックス等の危険性についてはあらかじめ警告しておくべきで、万が一その警告が頭から抜けてしまっていることも想定して、子どもがどこで何をしているかをきちんと把握しておくことと言われます。親の努力のかいもなく子どもが問題行動に走れば、それは教えられたことのうちのいくつかを実行しそびれたか、実行したとしても不十分であったに違いないと考えます。

北アメリカやヨーロッパに住む親、とりわけ教養ある経済的にも恵まれた親は、専門家の著書を読み、最大限の努力をしてそれに従おうとします。その同じ親が専門家の助言が正しいことを立証しようとする研究に参加し、その子どもも参加させるのです。そしてこのあいまいな困果の円環性は、私たちの文化や時代に特有な、子どもと親に関する一連の仮説の上に成り立っているのです。それはまさに砂上に刻まれた仮説と言えるだろうとハリスは指摘しています。

園でも、子どもを把握しておくべきであるという考え方は、このころの考え方を引き継いでいるのかもしれません。ドイツで、オープン保育という形態の保育を実践するにあたって保育者にとっても大きな課題は、どう子どもを把握するかだったと聞いています。まさか、幼児期に子どもが麻薬やセックス等をするかもしれないといって、子どもがどこで何をしているかをきちんと把握しておくべきであるというわけはありません。そこで、徹底して、最近の研究知見による子ども観を合意することによって、オープン保育に踏み切ったと聞きます。たしかに、子どもを把握していないと、危険なこと、ろくなことを子どもはするものだという考え方はおかしいですね。

「生まれ」という単語が「育ち」と対照的に使われる場合、その意味は二通りあるとハリスは整理しています。まず、人はなぜそれぞれ違うのか、という問いに対して使われる場合です。もし同年齢の他の子どもたちよりも語彙が豊富で、概して言語感覚に優れた子どもがいた場合、その子の優れた言語感覚が「生まれ」によるものなのか、「育ち」によるものなのかと間うことになります。クロスワード・パズルの考案者である父親と英語教授の母親から受け継いだものなのか、それとも言語的な刺激に囲まれて育ったからなのかと問われます。

専門家

私たちの社会の子どもたちは、何をどのように行なうべきなのか、自分の行動のどこが間違っているのかに関する説教を延々と聞かされます。言葉による説明も、言葉によるフィードバックも文字のない社会ではめったに見られません。メキンコのシナカンテコ族では女の子は年配の女性が織物をする様子を観察して、織り方を身につけます。北アメリカの人はこのような指導法ではうまくいかないだろうとハリスは言います。アメリカのある大学生はシナカンテコ族の「師」との体験について次のように語っているそうです。「年配のシナカンテコ族の女性であるトニクから馬用の革帯の織り方を教わりはじめた頃、私は日に日に不安を募らせていった。その二カ月もの間、私からすれば見ているだけ、彼女に言わせると教えていたというのだが、その間私は一度も織機を触らせてもらえなかった。彼女は何度もわかりにくい技術的なことを口にし、ある作業を終えると“私がやって見せたのだから、もうできるね”などと言う。私は大声で叫び返したかった。“いや、まだだ。私はまだ自分で試してもないのだから”と。しかし織機に触れてもいいかどうかを決めるのは彼女の役目だった。そして私がはじめて織機を使ったときのぎごちなさを見て、彼女は“この能なしが!きちんと見ていなかったからわからないのさ”と言うのである。」

文字のない社会では、生きていくための知恵のほとんどは模倣を通して学習されます。親や兄姉が雑用をこなす姿を見て、それを真似ます。間違ってしまえば、幼ければ周囲から笑われ、年長になってからだと非難され、罰せられます。正しく真似ることができれば、そのご褒美としてその雑用の担当に任ぜられることになるのです。

なんらかの罪を犯しているのではないか、自分の行為が子どものもろく小さな心に成長後にも跡を残すような影響を及ぼすのではないか、などとは思わない方が育児は楽です。しかしそれは親にとっての話だとハリスは言います。子どもからすると、親がそのように思ってもそうでなくても、五十歩百歩なのです。文字のない社会では親は自分の子どもにひどい仕打ちをします。それは文字のある社会でも同じことです。いずれの社会でも親は自然の流れに従って子どもを育てているつもりなのです。いずれの社会でも、現に親は自分の属する文化もしくはサブカルチャーによって規定されたルールに則って子どもを育てています。私たちの住む文化では、規定されたルールの中に「専門家の言葉に従う」というものがあるのです。

母親としてハリスが最も胸を傷めた思い出は、上の娘が三歳のときの出来事だそうです。それは彼女が保育園に人園した初日のことだったそうです。彼女はおとなしく、いくぶん臆病なところのある子どもで、親から離れて家の外で過ごすのはそのときがはじめてでした。彼女を保育園の教室に連れていくと、しばらくしたところで彼女が他の子どもたちの遊びに興味をもったのか、ハリスから離れていきました。するとすかさず先生が来て、その場を離れるようハリスに指示しました。「彼女は大丈夫だから」とその先生は言ったのです。その言葉に従いハリスが教室から出た途端に扉が閉められました。するとハリスの娘さんが扉をどんどん叩きながら泣き叫ぶのが聞こえたそうです。先生が娘に何か話しかけているのが聞こえましたが、娘はドアを叩き、泣きつづけていたそうです。ハリスは教室に戻りたかったのですが、先生に阻止されました。ハリスは自分の子どもが激しく泣き叫ぶのをひたすら聞くことしかできず、娘同様につらい思いをしたのでした。

きょうだい喧嘩

私たちの住む社会では、親は必死になってきょうだい同士仲よく暮らすように教えようとしますが、結局はきょうだい喧嘩の毎日です。伝統的な社会では親はきょうだい同士仲よく暮らすよう手を尽くしたりはしないそうです。それでも当然のごとくきょうだい関係は良好だと言うのです。この違いには理由が二つあるとハリスは考えています。

第一に、伝統的な社会には喧嘩の原囚となるものが少ないことがあります。社会の関心が赤ちゃんに集中するという習慣は母親の腕から退去させられた子どもにとっては決しておもしろいことではありません。しかし、家族内の子どもたちは、赤ちゃんを除いた皆同じ苦杯をなめる同志です。彼らは親の関心を引こうと競い合うこともありません。競っても無駄なのです。オモチャの取り合いもありません。オモチャと呼べるもの自体がないからです。これらの社会の子どもたちの遊び道具といえは、棒切れや小石、葉っぱなどふんだんにあるものばかりなのです。アメリカの子どもたちは、伝統的な社会では存在もしないものの取り合いで喧嘩ばかりしているようです。

第二に、アメリカの親たちは兄姉が弟妹を支配するのは自然なことであると気づかない、もしくはそれを認めようとしません。親は、子どもは対等であるべきだと思いますから兄姉が弟妹を支配することのないよう配慮し、その結果兄姉が弟妹を妬むようになります。なぜなら兄姉が弟妹を支配するのを防ぐためには親が弟妹の味方になるしかないからです。しかしそれが兄姉の目には親が弟妹ばかりをかわいがっているように映ってしまいます。実際、親とは概して下の子を特に目にかけているものですが、親は兄姉がそれに気づかないものだとなぜか思いこんでいるようだとハリスは言います。

工業化が進んだ社会では、きょうだい喧嘩は家族生活の中では当然のこととする風潮があります。しかし、私たちが見慣れているきょうだい喧嘩、それは、子どもたちが大学生となり家を離れるまでつづく、もしくはそれ以降もつづきますが、そのような喧嘩は、世界中で見られるものではありません。伝統的な社会では、きょうだい間の張り合いはそう長くはつづきません。たいてい乳児期を過ぎ、母親の関心を引こうとしなくなる段階で喧嘩もなくなるようです。きょうだい関係は長くて親密である場合が多いのです。兄にとっては弟が、弟にとっては兄が一番身近な味方なのです。自分の村を守るときに自分を擁護してくれる人、それがきょうだいなのです。

伝統的な社会の親は、専門家の言うことには耳を貸さず、自分の育児習慣が子どもに及ぼす長期的な影響のことなど気にもかけないとハリスは言います。B・F・スキナーの著書などには目も通したこともない彼らは「正の強化」などではなく、罰に処すことで子どもの振る舞いを正そうとします。これらの社会では親が子どもを褒めることなどめったにありありません。子どもが間違った行動をとれば、親はその子どもを叩きます。このような体罰は、あらゆる社会で見られるようで、私たちの社会も例外ではないとハリスは言います。また、叩くだけでなく、からかうか、おばけや「怖いおじさん」や怖い動物が来るよと脅したりします。与えた罰に対して親は、なんら弁解はしません。さらにその罰は、その子どもがよかれと思ってやったのか、それとも悪気があってやったのかに対してではなく、その子どもの行動の結果、たとえば割った食器に対して処されるものなのだと言うのです。

年長の子ども

沖縄本島のある小さな田舎の村での子ども同士のかかわりや、年長の子どもに家畜の見張りをまかせているアフリカの村での年少の子の学びが行われている社会とは、少しでも食料の安定供給を図るために農業や酪農などを行なっている社会であり、それゆえに狩猟採集民族よりは人口密度の高い社会です。これらの社会では、遊びの輪が成立するために必要な子どもの数が常に存在し、しかもそのグループが男女二つに、もしくは年長の男子、年長の女子、年齢も性別も隔たりのない年少の子の三つに、そしてその子たちが面倒を見るさらに年齢の低い子どもたちで構成されているグループに分けられるだけの子どもの数が揃っている場合が多いようです、性別と年齢別にグループが分かれるという現象は子どもの数が十分揃っている社会では普遍的な現象だというのです。

先日、職員と子ども集団の数について考えてみました。このテーマは、以前のブログでも取り上げたのですが、欧米、特に北欧などの保育園における子ども集団は日本に比べて非常に小さいようです。その時に、私は自分が小学校で1年生を担任していた頃のことを書きましたが、教師から一斉に子どもに何かをやらせたり、指示したり、管理する時には集団が小さいほうが徹底します。しかし、子どもが自発的に物事を進め、そのときに集団における子どもそれぞれの役割を持ち、子どもの参画を重視するような場合は、ある数の集団が必要になります。ハリスが紹介しているように、異年齢における子ども同士のかかわりは、子どもの数が揃っている場合が多く、性別と年齢別にグループが分かれるという現象は子どもの数が十分揃っている社会では普遍的な現象だというのです。

さらに、ハリスはこんな例を出しています。女の子は男の子と比べるとより家の近くで遊ぶことが多く、そのため年少の子の面倒を見ることが多くなるようです。多くの、というより、おそらくすべての社会の母親は女の子に子どもの面倒を託したいと願っているからだと言います。しかし女の子がいなければ、男の子がその役目を背負わされることもあり、男の子はたいへん深刻にその役目を務めようとするそうです。チンパンジーに関するジェーン・グドールの著書の中に子ども時代のひどい傷跡が残るアフリカ人男性の写真が掲載されているそうです。彼が幼い弟の面倒を見ていた時、大きなオスのチンパンジーが現われ、弟をかっさらってしまいました。当時わずか六歳であった彼はこの恐るべき動物を追いかけたそうです。するとチンパンジーは赤ちゃんを手放し、彼に襲いかかってきたというのです。赤ちゃんは九死に一生を得たそうです。

弟や妹の面倒を見るという義務に付随して与えられるのが、彼らを支配する権利です。年少の子を支配下においてしつける権限は年長の子に一任されているため、弟や妹が親に兄や姉のひどい扱いを訴えても無駄でした。よほど負わされた怪我の程度がひどくなければ無視されてしまうのがオチだと言います。伝統的な社会では、兄姉が弟妹を支配するのは当然のこととされています。親が干渉しない社会であれば、世界中のどの社会でもそれが自然の成り行きなのです。このような社会では状況が手に負えなくなるくらい悪化しないかぎり、親が干渉することはなく、また、そんな事態に陥ることも意外なほどまれだそうです。兄姉が弟妹をからかったり、必要以上に罰することもあるそうですが、一般的にきようだい関係はすこぶるよいようです。言われなくても弟妹に食べ物を分け与え、彼らが他の子からからかわれていれば守ってやります。

きょうだいの関わり

新たな赤ちゃんが生まれるころには、二歳半から三歳になる上の子は母親の腕の中から永久に追放され、その新しく生まれた赤ちゃんが注目の的になります。追放された子を、たいていは年上のきょうだいが面倒を見ることになります。多くの場合、そのきょうだいは彼が追放したすぐ上の兄や姉であり、その子自身五歳か六歳くらいです。兄や姉は自分が近所の子どもと遊ぶときには、弟や妹を引き連れていきます。近所の遊び仲間というのはその子のきょうだい、異母きょうだい、いとこ、若いおばやおじであったりします。伝統的な社会のほとんどでは、家々が集団にまとめられ、その集団内では皆が親戚だったのです。

歩けるようになったとはいえ、子どもたちの遊びの輪に入れてもらえた年少の子はあらゆる点でまだ赤ちゃんです。母親の腕を独占できていた期間は活発で社会性に富んだ生活を送り、身体的な面でも十分世話されていましたが、その間に教えられたことは皆無に等しかったのです。伝統的な社会で生きる親は、赤ちゃんに意識がある、もしくは言われたことを理解する力があるとは考えないのです。そのため、親は子どもに話しかけようともしないし、しゃべり方を教えようともしません。結局、二歳半か三歳までに子どもが獲得する言葉は限られてしまいます。その数は北アメリカの同年齢の子どもと比べるとはるかに少ないのです。発達心理学者ジェイムズ・ユーニスは、多くの社会では子どもが言葉を獲得しはじめると途端に親の子どもへの関心が薄れるという現象はアメリカの中流階級の考え方に照らすと、いかに奇妙に聞こえるかを指摘していたそうです。

二歳半の子どもは、はじめは遊びの輪に積極的にかかわることはできません。年長の子どもたちがどのような遊びに興じているかにもよるそうですが、生きた人形として参加させてもらったり、見るだけであったり、入れてもらえずに泣きべそをかくこともあります。すっかり仲間に入れてもらえるようになるのは、三歳か三歳半になってからのことです。ドイツの動物行動学者イレネウス・アイ・ブル=アイベスフェルトは次のように語っているそうです。

「三歳児になると遊びの輪に仲間入りするようになり、このような遊びの輪の中でこそ子どもは真の意味で育てられる。年長の子が遊びのルールを説明し、他人の物を取り上げたり攻撃的になったりするようなルールを守れない子には注意をうながす。最初は年長の子も年少の子に対してたいへん辛抱強く接するが、徐々に年少の子の行動を明確に制限するようになる。子ども同士で遊ぶことで、何が他人を怒らせ、どのルールに従うべきかを学習していく。これは人々が小さな集団を形成して生活する文化のほとんどに共通する現象である。」

ここでも、子ども集団の重要性、また、異年齢での子ども同士の意味が示されています。とりわけ男の子は、仲間と過ごしてばかりで、家庭で過ごす時間はごく少ないとあります。沖縄本島のある小さな田舎の村では、五歳の息子が日中帰宅したのはご飯のときだけで、しかも友だちが待っているからとご飯をかきこんであわてて飛び出していった、と研究者にこぼしていた母親がいたそうです。また年長の子どもに家畜の見張りをまかせているアフリカの村では、年少の子が年長の子の後を追い、大人の目の届かないところで、退屈な仕事も遊びへと一変します。

伝統的な子育て

ハリスは、伝統的な部族社会や村落社会における子ども時代に関しての印象を紹介しています。

親が生まれた赤ちゃんを育てることを決心すると、親はその子をまず手塩にかけて育てるでしょう。泣けばあやしますし、それが一時間に何度か行なわれ、片時もその子から離れません。

日中は母親がおんぶしたり腰にぶら下げたりして連れて歩き、夜は母親と一緒に寝ます。父親も一緒に寝る場合もありますが、そうではない場合あります。父親が別の寝床をもっていたり、複数の妻をもつことが許される社会もあります。もっともほとんどの男性は経済的にも妻を一人しかもてないのですが。

赤ちゃんが起きているときは、注目の的になります。女の子たち、姉やいとこやおばたちが竸ってその子を抱きたがります。成人した男性、とくに父親は時折顔を出してはあやしていきます。どこにいっても赤ちゃんは誰からも愛される対象なのです。いや、正確には母親の腕の中という場所をその子に奪い取られた兄や姉以外の誰からもという意味です。

その赤ちゃんの地位は最低でも二年間は安泰です。頻繁な授乳と低カロリーな食事のため、伝統的な社会では産後二年以内に妊娠することはまずないからです。一般的にこれらの社会では二歳半から三歳ごろまでは母乳を飲みつづけます。ある程度歯が生えれば、固形物も食べるようになります。その際必要であれば、母親が前もって噛んで柔らかくします。

母親はふたたび妊娠したとわかると離乳します。それもある日突然にです。子どもがそれを気に入らない場合、たいていはそうなのですが、抗議する子どもはその子が生まれた場所や時代に応じて、おだてられたり、無視されたり、笑いものにされたり、殴られたりします。

新たな赤ちゃんが生まれる頃には三歳くらいになる上の子は母親の腕の中から永久に追放され、その新しく生まれた赤ちゃんが注目の的となります。私たちの社会ではその「強制退位」に対する心の準備が子どもたちに念入りに施され、罪悪感を感じる親は実際以上にその子を気にかけている素振りを見せます。上の子が下の子を憎むようなことは避けたいからです。伝統的な社会では、きょうだいができるということに対して、そのようなやさしい配慮はほとんどありません。強制退位は現実のものであり、何の前触れもなく訪れるのです。子どもは既成事実を突きつけられますが、それをなんとか乗り越えなくてはならないのです。当然赤ちゃんに対して憎しみが湧いてきます。叩いたり、引っかいたりしようとすることもあります。こうしたきょうだいへの葛藤が行動に移されたときにやさしく対処する社会もあるそうです。母親がそっと上の子の手を押しのけるのです。別の社会では上の子が赤ちゃんを気に入らない様子で見ただけで殴られることもあるそうです。それは、子どもの危険な欲望はそれが実行されるか否かにかかわらず、赤ちゃんに不幸をもたらすと信じられているからだそうです。

育児の伝授

私たちの出産が「不自然」なのは、生まれた赤ちゃんへの対応ではないとハリスは言います。生まれた赤ちゃんへの対応は、時と場所によって大きく異なるからです。彼女の言う不自然なのは、分娩時に父親が立ち会っていることなのだと言います。子どもを産むという作業は昔から女性たけで行なわれてきたのです。しかし最近の考え方は、父親も「誕生の神秘」を体験すべき、そして体験したいと思うべきだと考えられているので、父親も出産に立ち会っているのです。

300年以上もの間、ヨーロッパやアメリカの自称専門家たちは、女性にどのように子どもを育てるべきかを伝授しつづけてきました。そのアドバイスに人々は耳を貸さなかったわけではありませんでした。むしろ明らかに女性、特に教養ある女性はそれを喜んで受け入れたのです。医者が背中の湾曲に気をつけよと言えば、母親たちは子どもたちを昼夜を問わず過酷な装置にしばりつけたのです。医者が食べ過ぎに注意せよと言えば、潤沢な時代にありながら子どもたちは常にお腹をすかせていたのです。そこである疑間がハリスの頭をよぎります。もし優れた医者たちによる忠告がなくても、母親たちはこれらのことを行なったのだろうかという疑問です。もし、子育てに関する本やパンフレットがなければ、母親は子どもたちを自然の流れにそって育てたのではないだろうかと思うのです。

では自然の流れにそった子育てとはどういうものなのでしょうか。文字をもたない文化における育児習慣も穏和なものからさほど穏和でないものまで千差万別だした。その一例として、ケニアのニャンソンゴ族の赤ちゃんへの食事の与え方をハリスは紹介しています。

「伝統的にニャンソンゴの赤ちゃんには、生まれたときもしくは数日たってから母乳を補うために〔雑穀の〕お粥を食べさせる習慣がある。母親はお粥を強制的に食べさせる。母親は手をコップ状にして赤ちゃんの下唇にあて、そこにお粥を流しこみ、赤ちゃんの鼻をつまむ。そうすることによって、赤ちゃんは息をするためにお粥を飲みこまなくてはいけなくなるのだ。」

このような習慣は文化によっても異なり、また同じ文化の中でも世代によって異なるものです。今ではニャンソンゴの赤ちゃんにこのように強制的に食べさせることはしません。それでもなお、いくつかの共通点は見られるようです。ハリスは、人類学の資料を多く読んできたそうですが、そこで伝統的な部族社会もしくは村落社会における子ども時代に関して得た印象を紹介しています。

子どもの誕生はどこの社会においても人をはらはらわくわくさせるものである一方、それは必ずしも歓迎されるものばかりではありませんでした。最初に迫られる決断が、その赤ちゃんの名前を決めることではなく、その赤ちゃんを育てるかどうかという場合もあります。すぐ前の子がまだ離乳していなかったり、経済的に苦しかったり、もしくは生まれた赤ちゃんになんらかの異常が見られた場合などは母親がその子を手放す決断をする場合があるのです。通常、そのような決断は赤ちゃんに愛着をいだく前にすばやく行なわれます。しかもそのような決断は冷静にではなく、悲哀と後悔の中で下されるのです。

自然な出産

クラウスとケネルは、ヤギの観察から出産直後にはホルモンが引き起こす「感受期」があるのではないかと考えました。とはいえ、人々に受け入れられた絆という概念がヤギにその基礎をおいているとは思わないとハリスは言います。それはむしろ「原始的な」社会の「自然な」母親像という理想からきていると考える方が正しいだろうと言うのです。そうした社会の母親たち、すなわち高潔な野人ともいえる狩猟採集民の女性たちは、産気づくと、騒ぎ立てることもなく森の中や草原でしゃがみ、子どもを産みます。そして臍帯をかみちぎり、かき集めた葉っぱで赤ちゃんの顔を拭い、その子を胸に抱いてふたたび草の根や実の採集に戻るのです。

しかし、ハリスはこれを鵜呑みにしないでもらいたいと言います。子どもを産むとはそんなものではないのです。第一に、どの社会の女性にとっても出産は痛く苦しい大仕事なのであり、非工業化社会においては紛れなく危険な作業です。今日でもサハラ砂漠以南のアフリカの女性は13人に一人の割合で妊娠や出産によって命を落としています。第二に、それが大仕事であり、危険をともなうことから、女性が一人で子どもを産むということはまれなのです。しかし、例外としては経産婦が一人で子どもを産み、その気丈さが尊敬される社会がいくつありますが、それは初産ではありえないようです。このあたりも以前のブログで書きましたが、一人で産小屋に行って出産していた民族では、出産時に死亡する人が多くなったことから、一人産婆を連れて産小屋に行くようになったと聞いています。昔から分娩時には一人もしくは複数の年配の女性が立ち会い、妊産婦を励まし、生まれてくる赤ちゃんを取り上げます。出産は人間の女性にとっては一人で行なう行動ではないのです。それは今も昔も変わりません。そして母親が産後生まれたばかりの赤ちゃんと二人きりになることもあまりあることではないと言います。

赤ちゃんが生まれたらすぐに母親の胸に抱かせるという習慣は、伝統的な社会において見られることはありますが、すべての社会に通じるものではないそうです。コンゴ民主共和国(旧ザイール)のイトゥリ森林地帯に居住する背の低いエフェ族(旧ビグミー族)の出産の様子を解説した記述があります。

「出産の第一立会人が、まもなく子どもを産もうとしている分娩中の女性の前にひざまずく。赤ちゃんが生まれたら、その子はまずバナナとヤシの葉でつくられたマットの上に置かれる。次に泣き声をあげるようにと冷水で体を洗われる。臍帯が切られる(通常は第一立会人が切る)と、その赤ちゃんは短時間だがキャンプ内の男性へのお披露目として外に連れて行かれる。分娩が行なわれた小屋に戻ると、赤ちゃんは女性の間を次から次へとまわされ、女性らは母乳が出る出ないにかかわらず、赤ちゃんに乳を吸わせる。母親が一番に赤ちゃんを抱くと赤ちゃんに不幸が訪れると考えられているため、母親はすぐには赤ちゃんを抱かないのだ。よって、赤ちゃんは最初の数時間をキャンプ内の女性のもとで過ごし、その後ようやく母親の手にわたるのが一般的なのだ。」

産後直後のふれあい

絆に関する研究の歴史は、心理学者ダイアン・アイアーによって詳しく調べられているそうです。彼による考え方は次のとおりです。

「1980年代初頭には、科学者の間では、母親とその新生児の間の絆に関する研究は千思万考に欠けるだけでなく、方法も不完全であるとして認識されるようになった。しかしそれでも多くの小児科医やソーシャル・ワーカーは、今でも産後の母子間の絆を結ぶことで幼児虐待を防げると考えている。生まれた直後の絆が強調されることは沈静化した気配だが、その考え方は今もイデオロギー的には健在であり、女性がその乳児と触れあうことは(それが女性が望むことであろうとなかろうと)子どものその後の問題行動を防ぐ一つの方式だと考えられている。」

「生まれた直後の絆が強調されることは沈静化した」という点ではアイアーはたぶんに楽観的すぎるとハリスは考えています。ハリスのさんざん親を手こずらせた下の娘さんが、1996年3月に第一子、ハリスにとっては初孫を出産したそうです。出産直後には彼女自身も赤ちゃんも何が起きているのかしっかりわかる状態でいたかったため、彼女は分娩後半の麻酔を拒否したそうです。何からも邪魔されることなく赤ちゃんとの絆を結びたかったのです。

ハリスは、初孫の誕生で、いかに時代が変わったのか痛感させられたそうです。60年代にハリスが自分の赤ちゃんを育てていたころ、泣く子を抱き上げるたびに罪悪感にさいなまれていたそうです。抱き上げることで泣くという行為を「強化」し、子どもはますます泣くようになる、と大学院でB・F・スキナー本人から教えられていたからだそうです。今はもはやそうは思っていないので、自分の娘にはジェニファーが泣いたときに抱き上げても甘やかすことにはならないと教えてあげるつもりでいたそうです。しかしそれは必要なかったと振り返ります。ハリスができたことといえば、時にはジェニファーが数分間泣きつづけても大丈夫なのだと、娘を安心させてあげることくらいだったそうです。

絆という考え方が山火事のごとく広まったのは、それがまさに機に乗じたからであったとハリスは言います。当時人々の間には家族生活における「自然」志向が強まっていました。また皮肉にも当時は女性が白人の男性科学者や白人の男性医師に指示されることに反発を覚えていた時代でもあったのです。クラウスもケネルも白人の男性医師でした。しかし、彼らの提唱した絆に関する考え方はある意味で「自然」でした。それは動物、特にヤギをモデルとしていたからです。母ヤギは生まれたばかりの子ヤギと出産直後に短時間でも引き離されると、再会したときにその赤ちゃんを拒絶することがあるそうです。母ヤギが一定時間子ヤギと一緒に過ごした後で1,2時間引き離されたのであれば、再会時にも子どもを受け入れるそうです。このことからクラウスとケネルは出産直後にはホルモンが引き起こす「感受期」があるのではないかと考えたのです。

そこにはすべての哺乳類がヤギと同じような行動をとるわけではないという落とし穴がありました。近い種の動物ですら産後に感受期があるものとないものがあるかもしれないのです。シカの中には見慣れぬ子ジカを受け入れる種もあれば、受け入れない種もあるそうです。

理論の真偽

ワトソンが主張したように、子どもたちは体で愛情を表現してもらうことを求めているのか、それとも求めていないのかというような問題を、科学的に解決する方法はないのでしょうか?そのとき問題なのは、研究を行なっている科学者もまたネイフェルト博士の概念を生んだのと同じ土壌にいることだとハリスは言います。「科学とは『社会的に構成されたもの』であって、直接に現実を見ることも、自分の文化の世界観によって歪められることなく真偽を判断することもできない」などと言うもりはないとハリスは言うのです。現実とは実在するものであり、科学はその作用を解明する格好の手段であると、彼女個人は考えているのです。しかし育児は物理ではないと言います。実施される調査もそれに対する解釈も、間違いなく私たちの文化によって色づけされた子ども時代や親のあり方に関する考え方が生み出したものだと言うのです。しかもその考え方は変動するものであり、時には劇的に、時には世代よりも短い間隔で変化すると考えています。子ども時代や親の態度は本質的に感情論であるために、ニュートリノやクォークについての理論の真偽を判断するときのようには冷静に対処できないかもしれないと言っています。

たとえば「母子間の絆の形成」についての研究についてハリスは考察しています。1970年以降、ともに医者であるマーシャル・クラウスとジョン・ケネルは、生後1、2時間の新生児と母親の肉体的な密着がその後の子どもの成長にどのような作用を及ぼすかについての一連の記事や書籍を発表しはじめたそうです。彼らの主張は、出産直後に赤ちゃんと文字どおりのスキンシッップを体験できた母親はその赤ちゃんとの「絆」を結ぶことができる、つまり狂おしいほどの愛情を赤ちゃんにいだくようになる、というものだったそうです。逆に、赤ちゃんが速やかに病院内の育児室に連れ去られてしまった母親は、出産直後の肉体的接触による感情体験をしそこなうため、赤ちゃんに必要な無条件の愛情を注ぎにくくなり、赤ちゃんをなおざりにしたり虐待したりする可能性が高まると言いました。

この絆という概念は山火事のごとく広まっていきました。病院の処置手順にも大きな変化をもたらしました。一世代前には子どもたちの問題行動の原囚は親の「甘やかし」にあるとしていた関係者も、それからは生後数時間における母子の接触が不十分であったと考えるようになったのです。イヴォンヌ・シュッツェは自分と娘がうまくいかない原困は娘が生まれた直後、それも9年前の話だったそうですが、絆を結ぶことができなかったからだと主張したドイツ人の母親について言及しています。あるイギリスの小児科医は次のように忠告しているそうです。

「正常に生まれた赤ちゃんは直接母親の腕の中に抱かれるべきである。…その乳児は生まれたままの姿で母親の胸に抱かれるべきである。…親と赤ちゃんはその後一時間水入らずの時を過ごすべきだ。…動物研究では、母子が短い時間でも分離されるとその後母親が赤ちゃんを拒絶したり、さらには殺害するといった悲惨な結果を招くことが明らかになっている。」

こんな当時の母子間の考え方に対して多くの研究者、世論がいかにも普遍的な、正しい考え方であると受け入れられていたかを聞くと、現在でも、あたかも正しいかのように言われていることに対しても、決して、研究者の考えをうのみにせず、きちんと目の前の子どもを観察し、その姿から判断するべきだと言う気がします。