類似性

ボウムリンドとその後継者たちは幾十もの研究を実施し、そのすべてが同じ結論、「程よい親」の子どもはより望ましい人間に成長するという結論に達しています。データ分析と統計結果から、何らかの有意な相関関係が見いだします。仮に何も算出されなくても、分けるが勝ち手法で勝算を高めます。男女別に分ける。父親と母親に分ける。白人家庭と白人以外の家庭に分ける。往々にして、「程良い親」の好影響は、男の子か女の子か、父親か母親かで程度が違っています。また多くの場合、「程良い親」が好影響を与えるのは、白人の子どもに対してのみなのです。

ハリスは、これまで、実はずるい言い方をしてしまったと打ち明けています。全体としてはこれらの研究では、望ましい親の子どもは望ましい人間になるというゆるやかながらも適度に一貫した傾向が見られます。「程良い親」の子どもは他の子どもや大人とのつきあいもうまく、学業成績もよい傾向にあります。中高生になっても問題に巻きこまれることが少ないようです。一般的に彼らは「厳しすぎる親」や「甘すぎる親」に育てられた子どもより順当な人生を歩む、すなわち平均するとわずかですが、生き方がうまいと言えるでしょう。

問題はこれらの結果が行動遺伝学のデータと矛盾することです。親の姿勢を研究する者たちは、家族間の違い、つまりスミス家とジョーンズ家がどう違うかに関心をおきます。概して彼らが注目するのは各家族のうち子ども一人だけです。すなわちスミス家から一人、ジョーンズ家から一人といった具合にです。一方、行動遺伝学では各家族のうち二人を研究対象とします。それで何が解明されたかというと、子どもがスミス家で育てられようが、ジョーンズ家で育てられようが、その差はまったくないか、あってもわずかであるということです。スミス家の子ども二人の性格が似るのは、その二人が生物学的なきょうだいである場合だけです。もし養子であれば、その二人ともがスミス家で過ごそうと一方がジョーンズ家で過ごそうと関係なく、いずれにしても類似性はまったく見られません。

行動遺伝学研究の結果が暗に投げかけている疑問からは逃れることはできないとハリスは言います。親の育児スタイルは子どもの性格には影響しないのでしょうか、それとも親は一貫した育児スタイルをもたないのでしょうか、それとも親の育児スタイルは一貫していますが、それにより子どもが受ける影響は子どもごとに異なるのでしょうか。これらのいずれも、親の育児スタイルを研究している人々の考え方とは一致しません。もし模範的な親になることで子どもを望ましい人間へと育む、そうでなければ子どもを好ましくない方向へと導いてしまう、というのであれば、育児スタイルを研究する価値などなくなってしまうとハリスはいうのです。

ハリスは親の育児スタイルが常に同じであるとは思っていないそうですが、子どもが皆同じであるというのなら別だと言います。ハリス自身の二人の子どもはそれぞれまったく違っていたそうです。一人は養子でしたが、生物学的なきょうだいであっても事態は変わらなかったと言います。ハリス夫婦は二人に対しての育児スタイルは大きく異なっていたそうです。